1.藤村操
藤村操(1886年~1903年)は当時16歳の一高生でしたが、彼のクラスの英語を担当していたのが夏目漱石でした。華厳の滝で投身自殺する数日前に、漱石は彼に「君の英文学の考え方は間違っている。やる気がない」と叱ったそうです。具体的な内容は、今となってはわかりませんが、当時の彼は哲学青年で哲学書を読みふけり、人生その他に関する思索を重ねて煩悶し、厭世観を抱いていたのでしょう。
そんな中で「自己インフレーション」を起こしていたところに、漱石から厳しい叱責を受けたことがきっかけとなって絶望して失踪し、自死に至ったのかも知れません。
他にも自殺の原因としては「失恋説」もあるようですが、彼をよく知る友人は一様に否定しています。
彼の名を一躍有名にしたのは、華厳の滝の岩頭の木に記した次のような「巌頭之感」です。
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
2.夏目漱石と藤村操とのつながり
私が好きな小説家の筆頭は夏目漱石です。彼の著作は文学論と文学評論以外は全部読んでおり、彼の弟子である小宮豊隆の著作「夏目漱石」や鏡子夫人の口述を娘婿の松岡譲が筆録した「漱石の思ひ出」も興味深く読みました。
藤村操の「巌頭之感」については、「吾輩は猫である」で引き合いに出されています。
この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込がないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭蓋骨を畳の上に圧しつけて、無言の裡に暗に訣別の意を表した。主人は「帰るかい」と云った。武右衛門君は悄然として薩摩下駄を引きずって門を出た。可愛想に。打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。元を糺せば金田令嬢のハイカラと生意気から起った事だ。
「草枕」にも言及があります。
芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒うの愚を笑うのである。真に個中の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい。昔し巌頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。余の視るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵に壮烈である、ただその死を促がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
彼と藤村操のつながりについては、何の本で読んだのか忘れましたが、興味深い事実がありました。
漱石は担任の教師として、失踪した彼の捜索や投身自殺事件の後処理に忙殺されたようです。その時の心労が、ロンドン留学時代に発症した漱石の「神経衰弱」をさらに悪化させたのでしょう。
当時漱石は一高教授と東大講師を兼任していましたが、漱石の授業内容は難解で、学生には理解が困難で不評だったようです。特に東大の前任者であるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の講義が文学的・随筆的でわかりやすく、学生に人気があったのに対し、漱石の講義は論理的・科学的で無味乾燥・難解に感じられ不人気だったようです。
漱石もそれを気にしていて、友人の菅虎雄にその苦悩を訴える手紙を書いています。私も、漱石が小説家にならず「文学論」や「文学評論」しか書かない英文学者だったら、これほど身近に感じることは出来なかったと思います。
藤村操の自殺は、当時のマスコミや知識人に波紋を広げるとともに、青年たちにも大きな影響を与え、その後4年間に華厳の滝で自殺を図った者が185人にも上ったそうです。
3.若きウェルテルの悩み
「ファウスト」「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」などの著作で知られるドイツの文豪ゲーテ(1749年~1832年)が25歳の時に出版した「若きウェルテルの悩み」は、青年ウェルテルが婚約者のいる身であるシャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望して自殺するまでを描いた小説で、当時ヨーロッパ中のベストセラーとなりました。
その結果、ウェルテルをまねて自殺する者が急増するという社会現象を巻き起こしました。しかし、ゲーテ自身は82歳の天寿を全うしました。「若きウェルテルの悩み」の執筆によって苦悩が昇華されたのかもしれません。
最近は「哲学青年」は少なくなったように思います。しかし、「いじめ」や「パワハラ」「過労死」などで自殺する人が少なくありません。
「人生不可解」というのは、70年を生きた私としても「そうかもしれない」と思います。だからと言って「自ら命を絶つ」のは早計です。作家の伊集院静氏も「若者よ、すぐに答えを求めるな」と述べていますが、私も同感です。
「迷いの中で生きるのが人生」とでも言うのでしょうか?私が中学3年生の頃に学習雑誌か何かに書いてあった「不安の中に安住せよ」というアドバイスを今も覚えています。これは、「誰しも不安を持って受験勉強に励んでいる。だからそこから逃げないで、不安はあっても安心して勉強すればよいし、そうすべきだ」という意味に私は解釈しています。
「自分の人生とはこういうものだったのだ」というのは、天寿を全うする直前に初めて悟ることのような気がします。
このブログも、「人生の棚卸し」のようなつもりで書いています。古い商品在庫(人から教えてもらった知識や、自らの古い経験・知恵)や新しい商品在庫(最近の報道や最近読んだ本から得た情報や知識)を、改めて見て、同世代だけでなく若い世代にも参考になる残すべきものは書き残し、不要なものは潔く捨てる自分なりの「断捨離」「整理」をしていこうと思っています。