NHKスペシャル「戦後ゼロ年東京ブラックホール1945-1946」は終戦後の闇を暴く!

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戦後ゼロ年東京ブラックホール

これは、2017年8月20日に初回放送があったドキュメンタリータッチの歴史ドラマです。私は2020年1月の何度目かの再放送を見たのですが、「終戦後の闇」が実際の記録フィルムとの合成で「タイムスリップ」したように錯覚するほど生き生きと描き出されています。

そして、ほとんどの人が知らないであろう「日本軍の隠匿物資」「不法占拠した闇市を支配する闇商人」「CIAに保護され占領軍に寝返った戦時中の軍国主義者や軍人」などの「終戦後の闇」が見事に暴かれています。

NHKスペシャル「戦後ゼロ年東京ブラックホール1945-1946」

この番組のディレクターで後に「戦後ゼロ年東京ブラックホール」という本を出版した貴志謙介氏は、インタビューに答えて次のように述べています。

戦後ゼロ年が取り上げられるときというのは、そのほとんどが高度成長の話の“前フリ”としてなんです。要するに、「我々は負けた、全部ゼロになった。けれども、それを乗り越えて立ち上がり復興した。そして、高度成長に邁進した。結果、日本は世界有数の経済大国になった。めでたし、めでたし」というストーリー。その描かれ方も、必然的にステレオタイプになる。いつも同じなんです。「耐えがたきを耐え……」から始まって、それで、少しだけヤミ市の映像が出てきて……。で、すぐ、次にいくんですよ。

確かにこの番組は「ステレオタイプ」でない斬新な切り口です。

NHKの紹介には次のようにあります。

終戦直後の東京を記録した鮮明な映像が、次々に発掘されている。さらには、極秘扱いだった10万ページに及ぶCIA文書が情報公開法によって続々と公開され、敗戦直後の東京をめぐる新たな真実が明るみに出てきた。浮かび上がってきたのは、ヒト・モノ・カネをブラックホールのようにのみ込んでふくれあがる東京の姿。
焼け跡に最初に出現したブラックホールは「闇市」だった。日本軍や米軍のヤミ物資が大量に横流しされ、大金を手にした野心家が、新しいビジネスを興す。六本木や銀座には、治外法権の「東京租界」が生まれた。占領軍を慰安するショービジネスから、戦後の大衆文化を担う人材が生まれた。
連合軍による占領からはじまった戦後ゼロ年の東京。それは、今の東京を生み出した原点である。俳優の山田孝之が、21世紀の若者にふんし、時空を超えて当時のフィルムの中に入り込み、東京ゼロ年を追体験していく。それは、まもなくオリンピックを迎える東京の足下を照らし出す、確かな道しるべとなるはずである。

1.日本軍の隠匿物資

1946年、日本軍が東京湾に隠していた大量の金銀プラチナの延べ棒が、占領軍GHQによって発見され没収されました。この金塊などの価値は、現在の貨幣価値で数兆円になるそうです。

このほかにも、占領軍の計算によれば、日本軍には国民が2年間食べるに困らない財産と食糧が備蓄されていたそうです。

しかし、そのうちの70%は、占領軍が上陸する前に跡形もなく消えていたそうです。日本軍および特権階級がそれを隠していたのです。

戦後、「M資金詐欺」というのが何度も発生しましたが、この「日本軍の隠匿物資事件」が実際にあったため「M資金も本当にあるのではないか」と思わせることになったのではないかと思います。

戦時中は「欲しがりません、勝つまでは」と国民に唱えさせ、戦後は多くの国民を「食糧難」「栄養失調」のどん底に陥れながら、裏では特権を持つ政治家・政府官僚・資本家・日本軍将校らが、闇市への隠匿物資横流しなどで不当な利得を得ていたようです。

アメリカの歴史学者ジョン・ダワーはインタビューで、「500万人の復員兵の多くが病気で苦しんでいる時期に、政府役人・警察・資産家たちが軍需物資を横領した。国家ぐるみの悪質な犯罪だ」と語っています。

2.不法占拠した闇市を支配する闇商人

闇市では米軍のヤミ物資」とともに、日本軍の隠匿物資」が大量に横流しされ、それで財を成す闇商人が跳梁跋扈します。六本木や銀座には彼らのような無法者が支配する「東京租界」が生まれました。

占領軍は、東京都の「都市計画による復興」を「敗戦国にふさわしくない」として却下し、闇市を野放しにしました。その結果、マフィアや右翼、政商などの暗躍を許すことになります。

3.CIAに保護され占領軍に寝返った戦時中の軍国主義者や軍人

CIAの機密文書から、「占領軍の諜報機関が、ソビエトや中国の情報を入手するために、一部の戦犯容疑者を利用する秘密工作を行っていた」ことも明らかになりました。

旧大本営参謀や右翼要人らは変わり身が早く、CIAの手先となり、スパイ活動や密輸に手を染めていたことも浮き彫りにされました。

その第一号は、マッカーサーを厚木で出迎えた有末精三陸軍中将で、彼の働きかけで大本営参謀が次々とCIAにスカウトされたそうです。

日本軍の特務機関に雇われていた児玉誉士夫も、CIAに日本軍の情報を提供してそのエージェントとなりました。そして彼は戦時中に中国で手に入れた金やダイヤモンドなどを政治家や右翼団体にばらまき、フィクサーとしての地位を築いて行きました。

ちなみに田中角栄元首相は、当時土建業者として、東京の米軍家族の住宅「ワシントンハイツ」の建設で莫大な財を成したそうです。

4.占領軍を慰安するショービジネス

占領軍にくっつけば、「サンドイッチが食べられ、ビールやコーヒーが存分に飲める」というので、占領軍専用のダンスホールの歌手やバンド演奏などに多くの芸能人やバンドマンが参入しました。江利チエミ雪村いづみクレージーキャッツ原信夫や高度成長期にテレビの娯楽番組を支えた渡辺プロの創設者渡辺晋などです。

5.占領軍の優雅な生活

100回を超える空襲で10万人以上が焼き殺され、市街地の五割を失った東京は焼け野原となりました。

しかし、占領軍は攻撃対象から外した皇居周辺の丸の内ビルや帝国ホテルなどを接収し、第一生命ビルGHQ司令部を置きました。また、水洗トイレのある資産家の邸宅を真っ先に接収し、将校の住宅としました。

また、東京宝塚劇場を米兵専用のミュージカル劇場「アーニー・パイル劇場」としました。米兵専用の売春施設「RAA」も日本の費用で設置させました。

占領軍の駐留経費396億円は全て日本の負担で、当時の国家予算の3分の1に上りました。

東京の庶民が防空壕やガード下、土管をねぐらにしたり、バラック生活で飢えを凌ぎ、靴磨きをする子供や浮浪児があふれる中、占領軍兵士とその家族は贅沢三昧の優雅な生活をしていました。食堂付き専用列車で箱根や熱海を行き来するなどリゾート生活も満喫しています。

6.二度目の玉音放送

1946年5月19日に皇居前広場で開かれた「飯米獲得人民大会」(いわゆる「食糧メーデー」)には25万人が参加し「人民民主政府の樹立」を要求しました。その時、「国民は飢えているのに、天皇は十分な食事をとっているという意味のプラカードが、当時の「不敬罪」に当たるという事件がありました。

しかし、翌日マッカーサーが「暴民デモ許さず」との声明を出したため、沈静化しましたが、天皇に不満の矛先が向けられていたため、5月24日に昭和天皇の「二度目の玉音放送」が放送されました。

飢えている国民に向かって、「今は大変な時だから、日本の伝統を守って家族で助け合って頑張りなさい」というような趣旨だったようですが、この玉音放送を聞いた若者がインタビューに答えて「言葉だけで実行がないとバッサリ切り捨てていたのが印象的でした。厳しい食糧難に直面している国民には、もはや天皇の玉音の神通力は通じなかったということでしょう。

それともう一つ、昭和天皇が1946年から1954年にかけて「全国巡幸」を行いましたが、その記録フィルムで戦災を受けた少年に「家は焼かれなかった?」と質問して「焼かれました」と少年が答えると「あっそう、焼かれたの」と能天気にやりとりしていた様子に唖然としました。「人間になった天皇が、国民を慰め励ます旅」という趣旨だったようですが、戦災を受けて苦しむ人々の気持ちを逆なでしたのではないかと私は感じました。「天皇のお言葉」を有難がった人も多かったのかもしれませんが・・・

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戦後ゼロ年東京ブラックホール [ 貴志謙介 ]