前に「トロッコ問題」「シュレディンガーの猫」「マクスウェルの悪魔」「テセウスの船」という思考実験の記事を書きましたが、ほかにも興味深い思考実験がまだあります。
今回は「ギュゲスの指輪」という思考実験をわかりやすくご紹介したいと思います。
1.「ギュゲスの指輪」とは
「ギュゲスの指輪」とは、「自在に姿を隠すことができるようになる(透明人間になれる)という伝説上の指輪」のことです。
リュディアの人ギュゲスが手に入れ、その力で王になったという伝説があります。
2.プラトンの「国家」におけるギュゲスの指輪
古代ギリシャの哲学者プラトン(B.C.427年~B.C.347年)は「国家」という著作の中で、ギュゲスの指輪を元に議論を展開しています。指輪の所有者は自分の意のままに透明になることができるため、不正を犯してもそれが発覚することはありません。そのため悪評を恐れる必要がなくなりますが、「それでも人は正義を貫くかどうか」が検討されています。
プラトンのギュゲスの指輪の物語は次のようなものです。
ギュゲスという羊飼いがある時、地震によって開かれた洞窟に入り、青銅の馬を見つけました。馬の体の空洞には、金の指輪を付けた死体がありました。この指輪を内側に回すと周囲から姿が見えなくなり、外側に回すと見えるようになるという不思議な力を持っていました。
そんな指輪を手に入れたギュゲスは、その後に王の使者となります。そして宮殿に入り、王妃に近づいて不倫します。そこから二人は密かに計画して王を暗殺し、ギュゲスは王位を奪ったという話です。
3.ヘロドトスが語るギュゲス
古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(生没年不詳)の「歴史」には、「透明になる指輪」の話はありませんが、ギュゲスという人物についての話は語られています。
ある日、リュディア王国の最後の王であるカンダウレスが、「私の妻は最も美しい」と他人に自慢しました。ギュゲスも王の自慢を聞いた一人です。
しかしギュゲスは、「私は王妃を見たことがないので何とも言えない」と答えました。王にはギュゲスが王妃の美しさを信じないように見えたので、王妃の寝所に忍び込んで覗き見するよう強要します。
そこでギュゲスは「王の命令は拒否できない」と言って、王妃の寝所に忍び込んで覗き見をしますが、すぐに王妃に見つかってしまいます。
その結果、王妃に王への復讐心が芽生え、「覗き見を行った罪で死ぬか、王を暗殺して私とともに国を支配するか?」と究極の選択をギュゲスに迫り、王暗殺を共謀して実行します。
そしてギュゲスは、暗殺したカンダウレス王の妻を自らの妃としてリュディアの王となったのです。
しかし、カンダウレスの暗殺がギュゲスの仕業だったとわかるとリュディアの人々は、「そんな偽りの王を認めるわけにはいかない」と騒ぎ出しました。
そこでギュゲスは、「神託が私の王位を認めたならば私はリュディア王となる。そうでなければ王位を返還する」と提案したので、リュディアの人々はこの提案を受け入れました。
神託の結果、ギュゲスの王位が認められ、そこからギュゲスの一族に王位が移りました。
4.文化的影響
(1)キケロ
共和政ローマ末期の政治家・弁護士・文筆家・哲学者キケロ(B.C.106年~B.C.43年)は「義務について」で「有利さと道徳的高貴さの関係」を論じる中で、ギュゲスの指輪問題に触れています。
彼は、「道徳的高貴さは自然の理法にかなっており、人間が究極的に求めるべき唯一のものであるから、利得の方がよいと考えるべきではない」と述べています。
(2)ジャン・ジャック・ルソー
フランスの哲学者・啓蒙思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)は、「六歩」の中でギュゲスの指輪の伝説を引き合いに出し、自分自身が透明の輪をどのように使うか考えています。
(3)リヒャルト・ワーグナー
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813年~1883年)は、それを手にした者は世界を支配できるという「ニーベルングの指環」という楽劇を作っています。
(4)H・G・ウェルズ
イギリスの小説家で、ジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」とも呼ばれるH・G・ウェルズは、ギュゲスの指輪の物語をもとに「透明人間」を書きました。