1.落語の長いネタ
落語家の皆さんは、どうしてあのように長い落語のネタを覚えられるのでしょうか?
七代目立川談志(1936年~2011年)は、「落語立川流」を主宰し、自ら「家元」を名乗った型破りな落語家です。古典落語に広く通じ、古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的な努力は高く評価されていますが、荒唐無稽・直情径行な言動によって、毀誉褒貶が激しく、好き嫌いが大きく分かれる落語家でもあります。
弟子である立川談四楼さんによれば、彼は昇進基準として明確な「ネタ数」を設けていたそうです。『二つ目昇進には、落語50席と歌舞音曲、真打になるには、落語100席と歌舞音曲が必要』というものです。もちろん「小噺」は除いた噺の数です。
まさに「記憶力の勝負」で、年功も情実も一切ない訳です。歌舞音曲とは、小唄や都都逸などです。
それにつけても、思い出すのは八代目桂文楽(1892年~1971年)のエピソードです。彼は持ちネタの少なさで有名でした。彼の持ちネタは27で、そのうち高座にかけるネタは8だったと言われています。
1971年(昭和46年)の夏のこと、高座で「大仏餅」を演じている途中、登場人物が名乗る場面で、その名前が出て来ず、絶句して黙り込んでしまったのです。
そのあと彼は「もう一度、勉強し直してまいります。」と客席に頭を下げ、袖へ引っ込みました。その4カ月後に亡くなっています。
端正な噺を得意とし「完璧主義者」だった彼は、記憶力の衰えが大きな原因となって、引退および死を迎えた訳です。しかし、私が思うに、あまりにも「完璧主義」で、「適当にいい加減な名前を作って、話の辻褄を合わせる」ことが出来なかったのでしょう。
五代目古今亭志ん生(1890年~1973年)は、桂文楽と並んで名人と呼ばれた落語家ですが、「天衣無縫」「ずぼら」「いい加減」と、文楽とは対照的な性格でした。
噺の細部はかなり大雑把で、「井戸の茶碗」を演じている時、登場人物の「千代田卜斎(ぼくさい)」がいつの間にか「千代田売卜(ばいぼく)」になっていたことがあるそうです。
「卜斎」なら、武士か医師ですが、「売卜」は占い師です。人名・地名や言い立ての順序・内容の誤りなどは「日常茶飯事」だったそうです。次男の三代目古今亭志ん朝が登場人物の名前を聞くと、「何だっていい」と答えた由。
噺の途中で登場人物の名前を忘れた時は、「どうでもいい名前」と何食わぬ顔で済ませて、客を爆笑させたりしたそうです。
2.記憶についての人間の4つのタイプ
閑話休題、落語の記憶術の話に戻りましょう。立川談四楼さんは、記憶について4つのタイプの人間がいると述べています。
(1)すぐ覚え、なかなか忘れない人
(2)すぐ覚え、すぐ忘れる人
(3)なかなか覚えられないが、いったん覚えると忘れない人
(4)なかなか覚えられず、かつすぐ忘れる人
立川談四楼さん本人は、3のタイプで、「こつこつやるタイプ」で「不器用でも、積み重ねることによって、ある程度の水準に達することができる」とのことです。
4のタイプは、落語家に不向きなようですが、「プロの中にはこのタイプが結構いる」そうで、「人気者さえ沢山いる」とのことです。
3.落語の長いネタの覚え方
(1)繰り返し声に出して覚える
立川談四楼さんの「覚え方」は、とにかく繰り返すことだそうです。「声に出して覚える」という師匠の言いつけを守って、至る所で声に出します。歩きながらでも、満員の電車の中でも同じです。
電車で隣り合わせた人に訝しがられ、席を立たれたのを幸いに、黙々とつぶやき続けて山手線をぐるりと回る1周約1時間を3周する日々だったそうです。
「声に出す」ということは、「音で覚える」ということです。リズムとメロディー、つまり歌を覚えるように覚える訳です。
(2)手を動かす
また「手を動かす」、つまり師匠の稽古をテープに録音して、その語り口を口述筆記のように書き留めることで、体にしみ込ませるのです。
(3)登場人物の人間像を具体的に思い描く
もう一つ面白いのは、「噺のリアリティーを追求する」という教えがあります。師匠がある時尋ねたそうです。「お前が演じる八五郎の年はいくつだ?仕事は?身の丈は?太ってんのか痩せてんのか?カミサンはいるのか、一人者か?酒はどのくらい飲む?博打は好きか?・・・」と畳みかけられたとのことです。
これによって、演者自身の中で八五郎という人物のリアリティーが高まるという訳ですね。何だか、学生や一般人の勉強にも応用できそうな話ですね。ご参考にしていただければ幸いです。