日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.鴛鴦(おしどり)
「オシドリ」は、カモ目カモ科の水鳥で、メスは地味な灰褐色ですが、繁殖期のオスは美しく、「銀杏羽(いちょうば)」と呼ばれるイチョウの葉形をした飾り羽を持ちます。
オシドリの雌雄がいつも一緒にいるところから、仲むつまじい夫婦を「おしどり夫婦」とたとえて呼ぶほど、オシドリはメスとオスの仲の良さが印象的な鳥です。
そのため、オシドリはオスとメスが互いに愛し合う鳥で、「ヲシ(愛)」が鳥の名になったものと考えられています。
オシドリの漢字の「鴛鴦」は、「鴛(えん)」がオス、「鴦(おう)」が「メス」のオシドリを表しています。
なお、多くの人の夢をぶち壊すようで恐縮ですが、実は動物の世界では一夫多妻が一般的です。仲のいい夫婦が「おしどり夫婦」とたとえて呼ばれるオシドリも例外ではありません。
オシドリも「一夫多妻」で、一番きれいなオスだけが多くのメスを獲得します。夫婦でいるのは交尾の期間だけで、オスは子育てを手伝いません。また、一番になれないオスに相手はいません。つまり、オシドリのオスはイクメンとはほど遠く、同じメスと一生を共にするわけでもなく、「おしどり夫婦」ではないというのが現実です。
「鴛鴦」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・里過て 古江に鴛を 見付たり(与謝蕪村)
・古池の をしに雪降る 夕(ゆふべ)かな(正岡子規)
・鴛鴦や 揃へたやうな 二つがひ(森鴎外)
2.お屠蘇(おとそ)
「お屠蘇」とは、屠蘇散を酒やみりんに浸したもので、一年の邪気をはらい、延命長寿を願って年頭に飲む薬酒です。また、年頭に飲む酒の意味もあります。「屠蘇酒」とも言います。
お屠蘇の語源には次のように諸説ありますが、正確なことは分かっていません。
①「蘇」が悪鬼で、それを屠る(ほふる:体を切ってばらばらにする意)とする説。
②鬼気を屠り、魂を蘇生させる意味からとする説。
③「屠蘇」という名前の草庵に住む人が、大晦日の夜に里人に薬を配り、それを元日に飲ませたという故事からとする説。
④中国の西方地域に伝わる薬草の名とする説。
本来、お屠蘇には山椒の実や桔梗の根、肉桂の樹皮など数種類の生薬を調合した「屠蘇酸」を浸したものを言います。
しかし、現代では、屠蘇酸を浸していないただの日本酒でも、正月の祝い酒として飲むものを「お屠蘇」と呼ぶことも多くなっています。
元日にお屠蘇を飲む風習は中国唐代にはじまり、日本では9世紀の桓武天皇の時、宮中の元旦行事として受け入れられ、その後、庶民へと広まりました。
「屠蘇」は新年の季語で、次のような俳句があります。
・屠蘇酒や 又とそまでの 遊びぞめ(加賀千代女)
・ぬれ色や ほのぼの明けの とそ袋(小林一茶)
・小さなる 屠蘇の杯 一つづつ(村上鬼城)
3.お呪い(おまじない)
「おまじない」とは、神仏その他神秘的なものの力を借りて、災いや病気を起こしたり、それを逃れようとする術のことで、「呪術(じゅじゅつ)」とも言います。
まじないは、動詞「まじなう」の名詞形「まじない」に接頭語「お(御)」が付いた語です。
「おまじない(まじなう)」の「まじ」は、「まじもの(蠱物)」「まじこる(蠱る)」などの「まじ(蠱)」と同じく、呪術を意味します。
「まじなう」の「なう」は、「占う」「行う」などと同じく、動詞を作る接尾語です。
なお、おまじないは、災いや病から逃れようとしたり、起こそうとしたりするもので、善悪にかかわらず「呪術」そのものを表します。
私は個人的には、「おまじない」を全く信じていません。これについては、「まじないや祈祷・占いは全てインチキで、百害あって一利なし」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。
また「おまじないの言葉」(呪文)と言えば「アブラカダブラ」がおなじみですね。これについては、「アブラカダブラという呪文はどういう意味か?また語源・由来は何か?」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。
4.お足/御足/御銭(おあし)
「お足」とは、お金、ぜにのことです。
お足は、もとは女房詞です。
お金はあたかも足が生えているかのように行ったり来たりすることから、お金を「足」にたとえ、女房詞なので接頭語の「お」が付いて「お足」となりました。
中国晋時代の『銭神論』にある「翼なくして飛び、足なくして走る」に由来するともいわれますが、女房詞は日常から自然に発生した言葉ばかりなので、「お足」だけが書物に由来するとは考え難い話です。
『銭神論』を直接の語源とせず、日本の「お足」と『銭神論』の「足」は、同様の発想から生じたと考えるのが妥当です。
なお、旅費などをいう「お足代」の「足」は車など交通の手段を指しており、お金そのものを指す「お足」と関係するものではありません。