「落人伝説」に見る「落人」の「疑心暗鬼」と「進退窮まる極限状態」

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落人伝説

1.平家落人伝説

「落人伝説」と言えば、「平家落人伝説」が最も有名ですね。

「安徳天皇が落ち延びたという伝説」があります。私たちは普通、安徳天皇は母親の建礼門院(平徳子)に抱かれて入水し亡くなったと教えられ、そう信じて来ました。

しかし、実は入水したのは建礼門院だけで、安徳天皇は平家の残党に警護されて「地方」に落ち延びたとする説です。それは、徳島県三好市の祖谷(いや)地方をはじめとする中国・四国地方だけでなく、九州や近畿地方・東北地方まであるというから驚きです。

平家の残党(これは平家一門だけでなく、郎党や平家に味方した武士も含まれています)が落ち延びた先は、東北地方、関東地方、中部地方、近畿地方、中国地方、四国地方、沖縄を含む九州地方に及んでいます。

日本各地に、平家の落人が隠れ住んだと言われる里があります。日本の三大秘境といわれる徳島県祖谷、岐阜県白川郷、宮崎県椎葉村が最も有名です。

宮崎県椎葉村には、「御池(みいけ)」という池で起きた悲しい伝説が残っています。

平家の落人たちは、椎葉村にたどり着き、いろいろな場所に分かれて隠れ住んでいました。そんな村にも源氏の追っ手が平家の残党狩りがやってきました。見張りの者の知らせで、慌てて逃げ出し、「御池」という池の畔で一休みしていたところ、見張りの者が谷間に何か白い物が揺れているのを見つけ、「大変です。源氏の白い旗が沢山見えます。とうとうここにも追っ手が来ました。」と告げます。

一行は、「もはや逃げ切れない。最後は武士として潔く死のう」と覚悟を決め、池の畔で全員自害しました。しかし、「源氏の白い旗」と見えたのは、実は山に咲き誇る山桜の花だったということです。

「源平盛衰記」の中の「富士川の戦い」で、「平家軍が水鳥の羽音に、源氏の夜討ちと勘違いして、驚いて我先に逃げ出した」というエピソードを読んだ時は、平家は武士なのに公家集団のようになっていたからだと軽蔑するように思っただけですが、落人になった平家の人々のこの「御池伝説」は、「逃亡者」の「極限状態の心理」がよくわかり、哀れを誘います。

平家の落人たちは、再び「平家の世」が来ることを忘れないように、苗字を「平家の人」を意味する「伴」としたという話を聞いたこともあります。

「平家落人伝説」のほかにも落人伝説はあります。

2.義経落人伝説

源義経は、兄の源頼朝に追われて奥州藤原氏を頼りましたが、岩手県平泉町にある衣川館で自刃したと伝えられていますが、実は逃げ延びて、蝦夷地(北海道)から中国大陸に渡り、チンギスハンになったという「義経伝説」もあります。

3.信長生存伝説

織田信長が、本能寺の変の後、明智光秀が懸命に探しても遺体が見つからなかったことから、実は信長は死亡しておらず、本能寺から逃れて薩摩に落ち延びたとか、豊臣秀吉に裏切られて幽閉されたとかの伝説(都市伝説?)が生まれています。

4.元日本兵落人伝説(ただし、これは「実話」)

太平洋戦争中から戦後にかけて、島に取り残されて戦い続けた元日本兵の落人の話もあります。

(1)横井庄一さん

太平洋戦争中に、グアム島に取り残された横井庄一軍曹は、27年間の逃亡・潜伏生活ののち、1972年(昭和47年)に発見されて日本に帰国した時に発した「恥ずかしながら帰って参りました」という言葉が流行語になりました。

(2)小野田寛郎さん

その後、横井庄一さんと似たような経緯で、ルバング島に潜伏していた小野田寛郎少尉も29年の潜伏生活を経て1974年(昭和49年)に発見されて帰国しました。ただ、表情は元洋服の仕立て屋だった横井庄一さんとは異なって険しい表情が印象的でした。さすが「陸軍中野学校」出身というべきでしょうか?

取り残された日本兵の気持ちは、投降を呼び掛ける米軍機についても、「疑心暗鬼」になり、「これは米軍の謀略放送のようなもので、必ず日本本土から応援部隊が来てくれると縋るような気持」だったのではないでしょうか?

特に小野田寛郎さんの場合は、トランジスタラジオを改造して短波放送を受信し、独自に情勢分析をして友軍来援に備えていたそうです。捜索隊の残して行った新聞や雑誌で「皇太子(今の上皇)ご成婚」や「1964東京オリンピック」「新幹線開業」も知っていましたが、その日本はアメリカの傀儡政権で、満州国に亡命政権があると考えていたそうです。

島の住民からは「山賊」と恐れられていたようです。しかし小野田さんとしては、友軍の来援を待ちながら、日本兵として必死に最後まで戦っていたということでしょう。

登山の途中で道に迷った時などとは比較にならないほど、「進退窮まる極限状態」だったのではないでしょうか?それを30年近く続けたというのですから、その精神力と体力には驚かされます。しかも、横井庄一さんは82歳まで生き、小野田寛郎さんは91歳まで生きたというのですから、すごい生命力ですね。

上記の2人ほど長期間の落人経験ではありませんが、俳優の池部良さんも、太平洋戦争で中国大陸から南方の島へ転戦中、米軍の猛攻撃に会い、上官たちは皆先に逃げ出して、池部さんの部隊だけが取り残され、苦戦を強いられたそうです。

最近では、留置場から逃亡した容疑者が「自転車で日本一周中」というプレートを付けて「四国お遍路」していたというニュースがありました。これは、「落人」ではなく、「逃亡者」ですが、心理的には似たような面があったかも知れませんね。