歴史上有名な兵法と言えば、「孫子の兵法」と「マキャベリズム」ですが、どちらも「権謀術数」を特色としています。これは具体的にはどのようなものだったのでしょうか?
今回は「孫子の兵法」についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.孫子とは
「孫子(孫武)」(生没年不詳)は紀元前500年頃の中国・春秋時代の呉の兵法家・軍略家です。彼は、呉の「闔閭(こうりょ)」(B.C.515年~B.C.496年)に仕えた武将です。西は楚を破り、北は斉・晋を脅かして天下にその勇名を轟かせました。呉王が諸侯の覇となりえたのも彼の力に負う所が大きかったと言われています。
彼が生きた中国の春秋時代は、群雄割拠で諸国が乱立して覇権をめざして抗争を繰り返した時代です。彼の「孫子の兵法」はそういう時代背景から生まれたものと思われます。
彼の兵法書も「孫子」と呼ばれています。現存する兵法書「孫子」は、3世紀初期に魏の曹操(武帝)が編纂したものです。「始計・作戦・謀攻・軍形・兵勢・虚実・軍争・九変・行軍・地形・九地・火攻・用間」の13巻からなっています。ちなみに「用間」はスパイのことです。
2.孫子の兵法とは
「兵は国の大事、死生の地、存亡の道」とする立場から、国策の決定、将軍の選任、行軍、輸送、その他作戦、戦闘の全般にわたって、格調高い文章で簡潔に要点を説き、絶えず主導的位置を制して、「戦わずして勝つ」ことを旨としています。
3.兵は詭道なり
兵とは詭道(きどう)なり。
故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親(しん)にしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出ず。
現代語訳すると次のようになります。
戦いとは騙し合いである。できるのにできないふりをし、必要でも必要でないふりをし、近くにいても遠くにいるように見せかけ、有利と思わせて敵を誘い出し、混乱していれば奪い取り、充実していれば守りを固め、強ければ戦いを避け、怒り狂っているときはかき乱し、謙虚であれば低姿勢に出て驕りたかぶらせ、休息が十分であれば疲労させ、結束していれば分裂させる。そうして敵の手薄な部分を攻め、敵の不意を突く。
4.孫子の名言
(1)彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず
これは「敵の実情を知り、味方の実情を知っていれば、百回戦っても敗れることはない」という意味です。
(2)疾(はや)きこと風のごとく、徐(しず)かなること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、知りがたきこと陰のごとく、動かざること山のごとく、動くこと雷霆(らいてい)のごとし
これは「軍が移動する時は風のように素早く、陣容は林のように静かで敵方の近くにいても見破られにくく、攻撃は火のような勢いに乗じて行い、どのような動きに出るかわからない雰囲気は陰のように、敵方の奇策・陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように、攻撃の発端は敵の無策・想定外を突いて雷のように敵方を混乱させながら実行されるべきである」という意味です。
この言葉は武田信玄の旗指物(軍旗)に記されていた通称「風林火山」として有名ですね。
(3)まずその愛する所を奪わば、即ち聴かん
これは「敵が大切にしている物を奪取すれば、敵はこちらの思いどおりにできる」という意味です。
(4)囲師(いし)には必ず闕(か)き、窮寇には迫ることなかれ
これは「包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地に追い込まれた敵軍を無理に攻撃し続けてはならない」という意味です。
(5)逸を以て労を待つ
これは「自らはゆっくりと力を蓄えて、相手が疲労した時を待って戦う」という意味です。
(6)実を避けて虚を撃つ
これは「敵の備えが充実している所は避けて、備えが手薄なところを選んで攻撃すべきである」という意味です。
(7)善く戦う者は、人を致して人に致されず
これは「戦巧者は、自分が主導権を握り、相手のペースで動かされない」という意味です。
(8)戦いは正を以て会い、奇を以て勝つ
これは「戦いとは正攻法を用いて敵と対峙し、奇策をめぐらせて勝つものである」という意味です。
(9)善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり
これは「戦上手と呼ばれた人は、勝ちやすい状況を作り出し、勝つべくして勝った人である」という意味です。
(10)卒を視ること嬰児のごとし
これは「兵卒に対して赤ん坊のように思い接する」という意味です。
(11)兵は拙速を聞くも、未だ功の久しきを見ざる
これは「戦いは、長引かせてうまくいったためしがない」という意味です。
(12)百戦百勝は善の善なるものにあらず
これは「百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である」という意味です。
4.権謀術数を批判することわざ
「策士策に溺れる」ということわざがあります。この言葉は後漢末期から三国時代の軍師「諸葛亮(諸葛孔明)」(181年~234年)が後漢末期の武将「曹操」(155年~220年)に対して言った言葉とされています。
これは「策略を好む人は策をめぐらし過ぎて、逆に失敗することがある」ということです。自己過信に陥ることを戒める時にも使われます。
諸葛亮は、時代に合った政策を実行し、公正な政治を行いましたが、奇策は用いませんでした。彼は軍の統治には優れていましたが、奇策はそれほど得意ではなかったとも言われています。
策略を使いすぎると、裏をかかれたり、裏の裏を書かれたりする恐れもあります。また疑心暗鬼に陥ってしまうこともあるでしょう。
また、いつ裏切られるかもしれないので、信用できない人物(あるいは国)という烙印を押されてしまうかもしれません。私のような凡人は、ついそのようなことを考えてしまいます。
しかし、孫子は机上の空論ではなく実戦において、状況に応じて常人の想像も付かないような柔軟で融通無碍・奇想天外な権謀術数を駆使して、戦乱の世を勝ち抜いたのでしょう。