野内与吉氏はペルーで今も尊敬される日本人。フジモリ元大統領は晩節を汚した!

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野内与吉

1.在ペルー日本大使公邸人質事件

ペルーと言えば、私はまず1996年に起きた「在ペルー日本大使公邸人質事件」を思い出します。日本大使公邸で行われていたパーティー会場に、テロリストが侵入して日本人多数を含む72名の人質を取り、別の事件で投獄中の彼らの仲間の釈放を要求した事件です。

結局、126日後に特殊部隊の強行突入で犯人は全員射殺され、日本人・日系人の人質は全員無事に解放されました。

2.フジモリ元大統領(1938年~ )

ペルーで有名な日本人と言えば、私はすぐフジモリ元大統領を思い出します。彼は移民の子として、ペルーで生まれています。

国立の農業大学の総長を経て、大統領にまでなります。大統領に就任すると、大規模な経済改革を実行し、外国資本の誘致などを積極的に行って、ペルー経済を劇的に復活させます。

後年は独裁的な政権運営や、汚職、軍が左翼ゲリラと間違えて市民を殺害した事件などで逮捕され、晩節を汚します。投獄されましたが、「恩赦」によって釈放されます。しかし最近「恩赦」が取り消され拘束命令が出たとのニュースがありました。

彼が大統領の時に起こった「在ペルー日本大使公邸人質事件」で、解放された日本人人質と抱き合って喜び、「ペルーはテロには屈しない」と語っていた姿が印象に残っています。

3.野内与吉(のうちよきち)さん(1895年~1969年)

2018年のBSテレ東の番組「世界なぜそこに?日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~」で、「南米ペルーにあるマチュピチュを、世界遺産にまで押し上げた日本人偉人」として、野内与吉さんが紹介されました。

番組案内では、次のように紹介されています。

今回の日本人が「とんでもない偉業」を達成した場所は、
未だに激しい経済格差のある、南米・ペルー共和国。
南米ペルーのマチュピチュを、世界遺産にまで押し上げた日本人偉人が、
野内与吉(ノウチ ヨキチ)さん、享年73。

野内さんは、1917年に22歳で単身ペルーへ渡り、地獄とも呼べる強制労働を経験。
その後、働き出した職場では、突然、火事の被害にあい、全財産を損失…。
日本に帰るお金もなく、まさに八方塞がりとなった野内さんはなんと、
まだ世界的に全く無名だったマチュピチュの麓で村を作り上げたのです!

水道、食料、電気など、何1つ無かった小さな集落に、
野内さんは水道を通し、農作物を栽培し、タービンを使って水力発電まで行いました!

20人ほどの小さな集落に続々と人が集まり、気が付けば人口500人の立派な村に!
村に対する貢献から、多くの現地人から支持され、
このマチュピチュ村の初代村長に就任したと言います。

そう、マチュピチュ遺跡に行く際、
ほぼ100%の人が経由する場所に村を作ったことにより、
後に、あのマチュピチュを今のような世界中に知れ渡る
世界遺産に押し上げたのです!

しかし、そもそも一体ナゼ、野内さんは日本から遠く離れたペルーで
丸ごと1つの村をゼロから作り上げ、
マチュピチュを世界有数の観光都市に変えたのだろうか?
そこには知られざる「日本人偉人伝説」があったのです。

彼は、何もなかったマチュピチュの村に「ホテル」(「ホテル・ノウチ」)を開業し、1階部分を「交番」や「郵便局」として無償で貸与し、後に2階部分も「裁判所」や「村長室」として村のために提供するなど、「ホテル・ノウチ」を中心にして、村が発展することに貢献しました。

我々のような一般の日本人にはあまり知られていない人ですが、現地の人からは、大変感謝され、今でも尊敬されているということは、日本人として誇らしいことだと思います。