「超高齢化社会」で「親孝行」のことわざが通じなくなった!?

フォローする



風樹の嘆

1.孝行のしたい時分に親は無し

昔のことわざに、「孝行の(を)したい時分に親は無し」または「親孝行したい時には親は無し」というのがあります。

これは、「親が達者なうちは、親の苦労や有難みがなかなかわからず、それに気づく頃には親はこの世にいなくなっているものだ。生きているうちに親孝行しておけばよかったと嘆き悔やむこと」です。「親が生きているうちに孝行せよ」という訓戒でもあります。

「石に蒲団は着せられぬ」(石は墓石のこと)「子養わんと欲すれども親待たず」も同じ意味です。

中国前漢の韓嬰が故事・伝承をまとめた「韓詩外伝」という書物に「風樹の嘆」ということわざが載せられています。「樹静かならんと欲すれども風止(や)まず。子養わんど欲すれども親待たず。往きて来たらざるものは年なり。再び見るを得べからざるものは親なり」とあります。

意味は「木が静かにしたいと思っていても、風がやまないのでどうすることもできない。孝行したいと子が思っても、親は待ってくれない。あの世に行ってしまえば、二度と会えないものは親である」ということです。

2.孝行をしたくなくても親長寿

現在でも若くして亡くなる親もおられますので一概には言えませんが、最近は「超高齢化社会」で、子供も高齢者、場合によっては75歳以上の後期高齢者となるケースも増えています。

高齢者の子供が後期高齢者の親を介護する「老老介護」が普通になって来ています。

後期高齢者の子供が超後期高齢者の親を介護する「超老老介護」も現実味を帯びています。さらに親子ともに介護施設で介護される「被老老介護」「ダブル老老介護」になる恐れも感じています。

今や「孝行をしたくなくても親長寿」「親孝行十分すぎるほど長寿」(by historia)という有様です。

近い将来、「親が居る介護ホームに子も同居」(by historia)なんてこともあり得る話です。

しかし、親が長寿であることはありがたいと思わなければ、罰が当たりそうです。

長命を祈り祝う四字熟語に「延年転寿(えんねんてんじゅ)」という言葉があります。安楽に長命を保つことを表しています。同じような言葉に、「延年益寿」「延命息災」「千秋万歳」「長命安楽」というのがあります。

やはり、苦痛があまり多くない状態で長生きしたいものです。長生きするのが苦痛になっては「本末転倒」です。

蛇足ですが、「君子万年(くんしばんねん)」という言葉があります。「徳の高い人は長寿である」という意味です。我々も望むらくはこうありたいものです。