「哀れ」(憐れ)は、「かわいそうな様子」、「みじめな様子」、あるいは「しみじみとした情趣」などを意味する言葉です。本居宣長(1730年~1801年)は、「源氏物語玉の小櫛」において「源氏物語の本質」が「もののあはれ」にあり、自然や人事に触れて発する感動・情感を書き表すことを本旨としたとしました。この場合は「しみじみとした情趣」の意味です。
一方、「天晴」は、「天晴な振る舞い」などと「見事なこと」の意味に使いますし、「ほめ言葉」としても使います。
このように、意味や用法の上でもかなり異なっている二つの言葉ですが、実は同一語からの分かれなのです。
1.物事に感動した時に発する言葉としての「アハレ」
古くから、物事に感動した時に発する言葉として「アハレ」というのがありました。喜びも悲しみも含めて心の底から湧き出る感情の全てを表す言葉でした。
「やつめさす出雲たけるが佩ける大刀 つづらさはまき さみなしに あはれ」(古事記)
「アハレ」は、もともと「ア」と「ハレ」という二つの嘆声が結び付いた言葉のようです。ただし、「ア(彼)ハ」に感動詞「レ」が添ったものという説もあります。
2.かわいそうな様子・みじめな様子・しみじみとした情趣を表す言葉としての「あはれ」
平安時代の「竹取物語」にある「是を聞きてかぐや姫少しあはれとおぼしけり」の「あはれ」は感動を表す嘆息の声とも見えます。
しかし、「心ぼそくあはれに侍る」(竹取物語)、「もののあはれ知らせがほなるもの」(枕草子)、「声はをかしうにてあはれうたひける」(伊勢物語)などになると、感動詞ではなく特定の意味を表す名詞として使われています。
名詞の場合、「あはれ」の発音は平安時代には「アワレ」となったようです。
3.感嘆を表す言葉としての「あはれ」
一方、感嘆を表す言葉としての「あはれ」の方は、依然として「ハ」の音を残して「アハレ」と発音されたようです。それが強めて発音された場合、「アッパレ」となったようです。「やはり」が「やっぱり」になるのと同様です。
鎌倉時代に成立した軍記物語の「平家物語」に斎藤別当実盛の言葉として「あつぱれおのれは日本一の剛の者に組んでうずよなうれ」のように「あっぱれ」が出て来ます。
また、この実盛が討ち取られて、その首が木曽義仲の前に供えられた時、義仲は「あつぱれ是は斎藤別当に有るごさんなれ」と言ったとあります。
このように「ほめる場合」や「嘆息する場合」にも使った「アッパレ」から、今度は「あっぱれな働き」「あっぱれだ」のように、「見事だ」「素晴らしい」という意味の形容動詞が成立したのです。
なお、「アッパレ」を「天晴」と書くのは古くからのことで、「古語拾遺」にも「阿波礼言天晴也阿那於茂志呂」と出ています。