戦前の新聞には、小学生新聞と同じように「ルビ(ふりがな)」が振ってあったそうで、小学校しか出ていない人でも新聞が読めたし、新聞を読んで言葉や文字を覚えたりできたそうです。小学校を中退して働きながら小説家になった吉川英治だったと思いますが、どこかに書いていました。
このほかにも、私は今の新聞に望みたいことがいくつかありますので、ご紹介したいと思います。
1.新聞は「総ルビ」を復活すべし
これは、小学生も読めるようにするというよりも、一般国民が読みやすくなるようにしてほしいということです。一般新聞は、小学生新聞のように噛み砕いた説明はありませんので、小学生が日本の三大新聞を読むことを私は期待していません。
人名や地名も読み方がいろいろある(例えば、日産自動車の西川(さいかわ)前社長など)ので、総ルビは新聞社側にとっても、正しい読み方を再確認する意味で有効だと思います。
戦後、新聞の総ルビが廃止されたきっかけは、国語審議会の委員長や常用漢字主査を務めた文学者・小説家の山本有三(1887年~1974年)です。彼は「路傍の石」で有名ですね。
彼は、ルビを「黒い虫の行列のような気がして不愉快だ」と主張したそうです。新聞社側も、植字の手間の大幅削減を目論んで、同様に「総ルビ廃止」に同調したそうです。
しかし、今はパソコンで「ルビ」を振ることができますので、以前の「鉛の植字」のような手間はかからないと思います。
この「総ルビ廃止」から脱線しますが、戦後の「国語改革」は「改悪」であったと私は思っています。詳しいことは前に、『「旧字体」を「新字体」に変えた「国語改革」の愚』という記事に書きました。
2.新聞の文字のフォントを大きくすべし
渡辺謙のハズキルーペのCMの通り、中高年にとっては「新聞の文字は小さすぎて読めない」というのが実感です。
もう少し、新聞の枚数を増やすことも一つの方法ですが、それよりも「どうでもよいような記事がないか?」を今一度見直して、記事の「断捨離」(取捨選択)をして、文字を大きくしてほしいものです。
3.新聞の記事は圧縮して簡潔にすべし
福沢諭吉は、「猿でもわかる文章を書け」と文章作成の極意を述べていますが、私も同感です。だらだらと書くのは簡単ですが、内容を圧縮して簡潔に「簡にして要を得た文章」を書くのはなかなか難しいもので、手間もかかります。しかし、そこが「新聞記者の腕の見せ所」ではないでしょうか?
4.新聞は自社の政治的立場を明確にすべし
前に『日本の新聞は「不偏不党」か?新聞に不偏不党はあり得ない!』という記事を書きましたが、社説や論説を掲げている以上、その政治的立場が「不偏不党」ということはあり得ません。
それ自体は悪いことではなく、現実にはそれぞれの新聞社の政治的立場があるにも関わらず、あたかも「不偏不党」であるかのように装うことが問題だと私は思います。
批判的な目で新聞を読む人は、騙されることはないと思いますが、一つの新聞しか読まない人が新聞記事の内容を鵜呑みにしてしまうようなことがあると、「新聞による一種の洗脳」が行われることになります。「オピニオンリーダーとしての新聞による世論誘導」です。
これは十分心すべきことだと私は思います。
コメント
こんにちは。( ^-^)/
先日は、ブログの方にメールを下さり、ありがとうございました。(^^)
ということで、早速いくつかの記事を読ませていただきました。
きちんと調べたうえで、簡潔に分かりやすく、順序立てて書かれているので、とても分かりやすいです。
また、ここには管理人さまの思想があり、それが一番尊いと私は思います。(^^)
私のは、ただ調べたことをほとんど何の考察もなく書いているだけなので…。(爆)
それでは、またお邪魔させていただきます。(@^^)/~~~