前に江戸時代に流行した「判じ絵」(なぞなぞ絵解き)の記事を書きましたが、今回は「判じ絵」と似て非なる「寄せ絵」をご紹介したいと思います。これらは広く「遊び絵」と呼ばれるものの一つです。
1.「寄せ絵」
(1)「遊び絵」とは
江戸時代の庶民芸術として国際的にも高く評価されている「浮世絵」は、喜多川歌麿などの「美人画」、東洲斎写楽などの「役者絵」、葛飾北斎・安藤広重などの「風景画」がよく知られています。
しかし浮世絵の世界は、これだけではありません。「判じ絵」「寄せ絵」といった遊び心と機知とユーモアに溢れた「遊び絵」も立派な浮世絵です。遊び絵にはほかにも「上下絵」「有卦絵」「文字絵」「大小暦」「地口絵」「身振り絵」「影絵」「鞘絵」「仕掛絵」「おもちゃ絵」「釘絵」「鯰絵」などたくさんあります。
これらの絵を、江戸庶民がどんな風に使い、面白がり、驚き、頭をひねり、そして笑っていたのかを想像するのも楽しいものです。
なお、上に挙げた「影絵」の具体例(「即興かげぼしづくし ふじの山・らんかんぎぼし」)は下のようなものです。
(2)「寄せ絵」とは
「寄せ絵」とは、「ある物を集めて一つの形とした絵」のことです。幕末の絵師歌川国芳(1798年~1861年)とその弟子が描いた「人の顔が多数の人の形からなっている絵」(「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」→最初の画像)などが有名です。国芳の弟子の歌川芳藤(1828年~1887年)の「小猫寄り集まって大猫になる」(下の画像)もユニークです。
2.西洋の「寄せ絵」
(1)ジュゼッペ・アルチンボルド
日本の「寄せ絵」と似た奇抜な発想の絵が西洋にもあります。イタリアの画家ジュゼッペ・アルチンボルド(1527年~1593年)の作品がそれです。
彼は初めミラノ大聖堂のステンドグラスの図案制作(1549年~1558年)に携わっていましたが、1562年にプラハへ移り1587年までハプスブルク家のルドルフ2世の宮廷画家となり、伯爵に叙せられています。
「四季を象徴する植物、果物又は動物や魚類、四大元素などを組み合わせて幻想的な人間像」を描き、ダリなどに影響を与え、「シュルレアリスムの始祖」と言われています。
それにしても、彼の絵は、ユーモラスな江戸の「寄せ絵」に比べると、幻想的でグロテスクな感じがするのは私だけでしょうか?
江戸の「寄せ絵」が江戸の庶民に広く親しまれた開放的な民衆芸術であるのに対して、西洋の「寄せ絵」は宮廷画家による皇帝のためだけの閉鎖的な芸術であったというのが大きな違いです。
(2)神聖ローマ皇帝ルドルフ2世
ところでジュゼッペ・アルチンボルドを宮廷画家として招いた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552年~1612年)は、好奇心の強い「新しい物好き」か「怪奇趣味」の皇帝だったのでしょうか?
下の画像はルドルフ2世がアルチンボルドに依頼した「公式肖像画」(ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像)です。かなりユニークですが、こういうのがお気に入りだったのでしょう。ちなみに「ウェルトゥムヌス」というのは、「ローマ神話に登場する果樹と果物の神」です。様々な形態に変身できる能力を持つウェルトゥムヌスは、「ポーモーナ」(ローマ神話に登場する果物とその栽培を司る女神)に恋した時、老婆に姿を変えて彼女を説得し求愛に成功したと言われています。
前に「現実逃避の為政者の功績としての文化の開花」という記事を書きましたが、ルドルフ2世も政治的には無能でしたが、教養があり文化人としては優れていたようです。
彼が芸術や学問を保護した結果、多数の芸術家や科学者が集まって、帝都プラハ(彼は在位中にウィーンからプラハへ遷都)は文化的に大いに繁栄しました。彼の宮廷には、芸術作品や科学機器などのあらゆる優れた創作物、新たに発見された珍奇な自然物などが集められ、「驚異の部屋」とも呼ばれる膨大なコレクションが形成されました。
プラハは国際「マニエリスム様式」(*)の重要拠点となり、ここからマニエリスム様式が1600年前後のヨーロッパ各国に拡散して行きました。
なお、チェコのガラス工芸(ボヘミアングラス)を世界的レベルに発展させたのも彼です。
(*)「マニエリスム様式」とは、ルネサンスからバロックへの移行期に興った絵画を中心とする芸術様式です。社会的な混乱による精神的危機を反映し、錯綜した空間構成、非現実的な色彩法、幻想的寓意性など極度の技巧性・作為性が特色です。