生の哲学の祖と言われるショーペンハウエルの思想とは?

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ショーペンハウエル

大正時代に学生の間で流行した「デカンショ節」の「デカンショ」は哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの略だという話があります。

これについては、前に「デカンショ節にまつわる面白い話。歴史や名前の由来などを紹介。」という記事に詳しく書いていますので、興味のある方はぜひご覧下さい。

ところで、この三人の哲学者の名前は知らない人もいないほど有名ですが、それぞれの人物の生涯や思想については、詳しく知っている方は少ないのではないかと思います。

前回「生の哲学の祖と言われるショーペンハウエルとはどんな人物だったのか?」という記事を書きました。

そこで今回は、ショーペンハウエルの思想についてご紹介したいと思います。

1.若い頃の不人気と晩年の再評価の原因

ショーペンハウエル(1788年~1860年)は25歳の時に書いた博士論文『根拠の原理の四つの根について』がゲーテに高く評価されましたが、31歳で書いた主著『意志と表象としての世界』は発表当時あまり評価されませんでした。しかし不思議なことに、60歳頃から最晩年にかけて急に再評価されるようになりました。

若い頃の不人気の原因は、彼の若い頃は有名な哲学者ヘーゲルの人気が絶大であったことや、彼の「生の哲学」が難解すぎて学生をはじめ多くの人々があまり理解できなかったことでではないかと私は思います。また、ペシミズム(悲観主義)を中心とした暗い思想という印象もあったかもしれません。

これはちょうど、東京大学文学部で人気の高かった小泉八雲の英文学の講義の後を受けた夏目漱石の文学論の講義が学生に不人気であったことによく似ているように私は思います。

晩年の再評価の原因は、『意志と表象としての世界』や彼の思想全体について書かれたエッセイ『余禄と補遺』が、19世紀後半の厭世的世相に迎えられてベストセラーになったことが大きく、これによって晩年になってからようやく名声を得るに至ったと考えられます。

2.ショーペンハウエルの思想

ショーペンハウエルは、カントとプラトンの研究から思想形成に影響を受け主著に『意志と表象としての世界』があります。

また彼の思想には仏教哲学、インド哲学の教えが根底にあり、特に「この世界は「苦」である」とする思想や仏教の唯識思想が顕著にみられます。そしてその哲学思想の範囲は、人間学や芸術学、自然学、心理学など広範囲にわたります。

彼はまず、この世の中を「苦である」と断定しました。そして、そこからの解脱(げだつ)は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだとしました。

彼は世界を一歩引いたところから見て、「人生というのは困難や苦労の連続である」としたのです。しかし彼は、ただ世界について嘆くだけでは終わりませんでした。彼は世界を「苦」として認識したうえで、人としての理想的な生き方を模索したのです。

世の中を悲観的な視点で捉えつつも、そこから生きる希望を見出すのが彼の思想です。理性主義の哲学に反対して、生存への意志を中心にする「生の哲学」を説きました。

カントの「現象と物体との二元論」に対し、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等はこれを克服するため、「理性一元論」をとったのに対して、ショーペンハウエルは、現象と物自体の区別を承認し、カントの物自体は意志であるとし、世界は意識の仮現にすぎないとしました。

人間の本質にさまざまな角度から光をあてたショーペンハウエルの思想は、ニーチェやワーグナー、さらにフロイトやトルストイ、トーマス・マンらの錚々たる哲学者や作家など、さまざまな分野の一流の思想家に大きな影響を与えました。

ニーチェはショーペンハウエルの没後まもなく、その主著である『意志と表象としての世界』に出会い、衝撃を受けるほどの感銘を受けたといいます。今日ニーチェによって代表される「生の哲学」の祖はショーペンハウエルであるとされます。

ショーペンハウエルの盲目的意志の哲学は、ニーチェに受けつがれて、「力への意志」として積極的に展開されました。

日本でも森鷗外、堀辰雄、萩原朔太郎、筒井康隆など多くの作家に影響を及ぼしました。

またゲーテと深く親交を結んでいたことも知られています。

3.ショーペンハウエルの著作

(1)『意志と表象としての世界』

『意志と表象としての世界』は20代から30代にかけて書かれた全4部からなる大書で、ショーペンハウエルの主著です。

さまざまな現象の根底にあるものを意志(欲望)としました。意志は盲目的で、それは常に満たされない欲望を追いかけるものであり、それゆえ人生は苦悩に満ちているとしました(厭世主義)。

冒頭で「世界は私の表象である」といい、人間を取り巻いている世界はただ表象として存在するにすぎずつまり世界とは人間自身が表象するところのものと、その関係において存在するにすぎないものだとショーペンハウエルは述べています。

また、表象として意識しているこの世界は、私が二重に意識している自分の身体と同じように、一方は表象であり、他方は意志であるのか、という命題が示されます。

世界は「意志」と「表象」という二つの側面から成ると述べられています。

『意志と表象としての世界』は四編に分かれています。

  • 第一編<現象としての世界> これはカントの認識論をショーペンハウエル流に展開させたもので、世界が現象であることを論証。
  • 第二編<意志としての世界> 意志は世界最深の本質です。意志とは、もともと衝動や欲求であり、タンタルス的な悩みが意志であり、充たされることは永久にありえない。
  • 第三編<芸術論> 芸術によって、意志は自己を超脱して平安になる。
  • 第四編<永久的解脱> これは結局、意志の断滅によって達成される。意志がある以上、われわれの悲劇は絶えることがない。


(2)『幸福について』

『幸福について』は『意志と表象としての世界』の注釈である『余禄と補遺』に納められた処世術の箴言(しんげん:教訓の意をもつ短い句)や随筆をまとめたものです。

日常生活の中から具体例を示しながら、人間の本性を平易な表現でかつ鋭く、あるいはユーモアを交えて語っています。

本書でショーペンハウエルは、世界とは、その人が世界をどのように主観的に把握しているかに左右される表象なのだから、自分自身が変われば見える世界も変わるといい、本来自分に備わっているものを磨く大切さを繰り返し説きます。本書は一般の人に向けて書かれており、ショーペンハウエルの哲学を理解するための入門書としても最適です。

(3)『読書について』

『読書について』も『幸福について』と同じく、『意志と表象としての世界』の注釈である『余禄と補遺』に納められた随筆をまとめたものです。

ここでは読書について語られ「読書するとは、自分でものを考えずに代わりに他人に考えてもらうことだ」「多くの学者は多読のために愚かになっている。暇さえあればすぐ本を手に取り、たえず読書していると、精神が麻痺する」など独自の辛辣な考えが語られます。

しかしその辛辣さはショーペンハウエルの人間の本質を究めようとする深い人生哲学から生まれており、読む者を納得させるショーペンハウエル哲学に気軽に触れることができる書となっています。