1.五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)とは
「五代目古今亭志ん生」(1890年~1973年)と言えば、2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、ナビゲーターを務めたビートたけしが演じたことや、本名の「美濃部孝蔵」として若い頃の話が出てきたのでご存知の方も多いと思いますが、私は個人的には、「あの大河ドラマで、ビートたけしが志ん生役として最悪の落語を演じたことで、五代目古今亭志ん生のイメージを損ねた」のではないかと感じています。
長男・清が「十代目金原亭馬生(きんげんていばしょう)」(1928年~1982年)、次男・強次が「三代目古今亭志ん朝」(1938年~2001年)です。孫(長男・清の長女)が女優の池波志乃(1955年~ )です。
五代目古今亭志ん生は八代目桂文楽(1892年~1971年)と並んで名人と呼ばれる落語家ですが、若い頃は素行が悪く、博打や酒に手を出して放蕩生活を続けた末に家出したため、親や夭折した兄弟の死に目にも会っていないそうです。
このように、自由奔放で破天荒な生活を送り「なめくじ長屋」での貧乏生活を長らく続けた志ん生ですが、芸への情熱と探求心、誇りを持った仕事ぶりで落語家として大成しました。
2.五代目古今亭志ん生の「哲学問答」
演芸評論家の江國滋氏(1934年~1997年)の本に、次のようなエピソードが載っていました。
「いつだったか、大学の総長があたしに向かって、志ん生君、キミは哲学を知ってるねって、いやがんの」
大病後、身体中の酒精分をすっかり蒸発させてしまったためか、少し萎(しな)びた顔になった古今亭志ん生が、不意にこんなことを言い出した。
褞袍(どてら)の上に半纏(はんてん)をひっかけて、炬燵(こたつ)に丸くなっているところに、障子越しの冬の陽差しが当たって、顎の無精髭が白く光っている。
「ねえ、小学校も満足に出ていないあたしに、哲学を知ってるねって、フフフ、だから、そいってやった、あなたの方はうんと金がかかっているけど、こっちは一文もかけねえ哲学ですってね」
するとそばで聞いていたおかみさんが、笑いながら口をさしはさんだ。「一文もかけないどころか随分資本(もと)をかけているじゃありませんか」
志ん生が柔和な表情をほころばせてハハハと笑ったところで、”哲学問答”は終わりを告げた。
3.五代目古今亭志ん生の「名言」
・貧乏に苦しみながら、今になんとかしてやると希望を持って生きていくところに、また言うに言われぬ面白みがあるもんですよ。
・上の者にかわいがられて引き上げてもらったって、それは自分の力じゃない。八方敵だらけになって爪弾きにされてもいい、自分の力で上がってゆこうと思った。
・本当に芸に一身をぶち込んでやれば、眼のある人はきっと見てくれます。
・噺家(はなしか)になれ!!扇子一本でどこだってメシが食えらあ!
・他人の芸を見て、あいつは下手だなと思ったら、そいつは自分と同じくらい。同じくらいだなと思ったら、かなり上。うまいなあと感じたら、とてつもなく先へ行っている。
・貧乏ってのはするもんじゃねえ。「たしなむ」もんです。「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」これは「びんぼう自慢」という先ほどの自伝の本で紹介されていた言葉です。貧乏を「自慢」できるようになるんですから、まさに名人芸です。
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色を見ない。貧乏人も金持ちも同じように酔わしてくれるんだ。あいつは酔わせないよ、なんて言わねえとこがいい。
・ものごとっていうのは、嬉しいことが起きる前には、必ず心配事や悲しいことが起こるものなんですよ。
・出世をしようの、いい真打になろうのという考えはない。ただこれが好きなんで、はなしを覚えた。
・寄席は学校じゃねえんだ。間違えたって、直したりしちゃいけねえ。そのまま通しちまうんだ。
・芸人てえのはな、売れてるときはわがままでいいんだ。売れなくなったら、いくら八方美人をしていても捨てられる。
・あたしはちょうど、うちにおったなめくじみたいに、切られようが突かれようがケロンとして、ものに動ぜず、人に頼らず、ヌラリクラリと、この世の中の荒海をくぐり抜けて、やっとこさ今日まで生きてきたんですよ。