前に「江戸時代に精密な日本地図を作成した伊能忠敬」の記事を書きましたが、彼はどうやって地球の大きさを測ったのでしょうか?
今回は伊能忠敬の測定方法と、世界初の測定者エラトステネスの測定方法についてご紹介したいと思います。
1.伊能忠敬の測定方法
伊能忠敬(1745年~1818年)の師匠である高橋至時(1764年~1804年)は、日本人で初めて西洋の近代天文学、すなわち地動説とニュートン力学を基礎とした天文計算法を理解した人でした。
一方、伊能忠敬は天文学や暦学を学ぶうちに、当時の暦学の中心的課題であった「子午線(*)
1度の長さを正確に知り、その結果から地球の大きさを知る」ことに強い関心を持つようになります。これは「地球が球形と仮定すれば、子午線1度の長さを360倍すれば地球の大きさになる」という意味です。
(*)「子午線」とは、地球の南極及び北極を通る大円のことで、「経線」とも言います
それには、南北方向の距離を正確に測り、それぞれの地点で北極星などの恒星の位置を観測し、各地点の緯度を求める必要がありました。
彼は当初、所属していた幕府の天文方暦局がある浅草と自分の家がある深川から北極星を観測して、緯度の差が0.1度であることを求め、浅草と深川の距離が2㎞あったことから地球の円周を計算しました。
しかし、その値は誤差が大きくて信頼できないことを知り、江戸と蝦夷くらいに離れた場所で観測しなければ正確な値は得られないであろうと考えました。
そこで彼は、日本地図を作成するための測量をしながら、江戸から蝦夷地まで行くことを思い立ったのです。
そして蝦夷地までの観測で、緯度1度が111㎞であることを確かめ、これから地球の大きさを39,960㎞と計算(111×360)したのです。
現在地球の大きさとして知られている40,000㎞に対しての誤差は、わずか1/1000という驚異的な正確さです。
2.エラトステネスの測定方法
世界で初めて地球の大きさを測定したのは、ギリシャの天文学者で数学者でもあったエラトステネス(B.C.275年~B.C.194年)で、紀元前240年頃のことです。
彼はエジプト北部の地球海沿岸の都市アレクサンドリアに住んでいました。彼は毎年「夏至」の日に、エジプト南部のシエネ(現在のアスワン)の町の井戸の底に影がないことを知っていました。つまり、毎年「夏至」の日の正午に、太陽がシエネの頭上にあるということです。
一方、シエネより北にあるアレクサンドリアでは、毎年「夏至」の日の正午に、太陽が真上にないことも知っていました。つまり井戸の底を見れば影があったのです。これは言い換えれば、「地球は丸い」ことの証明です。
そこで彼は、井戸の代わりに高い塔を建てて、影の長さを測りました。
その結果、αの角度は7.2度であることがわかりました。
また彼は、アレクサンドリアとシエネの距離も測りました。その距離は787㎞でした。その測量方法は、現代のように便利な測量道具がないため、伊能忠敬と同様に歩いた時の歩数を数えて測ったと言われています。
これによって、彼は「地球の半径」がわかり、「地球の大きさ」を求めることができたのです。
地球の半径をRとすると、地球の大きさ(地球の周りの長さ)は2πRなので、
2πR/360=787/7.2
R=(787/7.2)×(360/2π)=6262.93㎞
地球の大きさは、787×360/7.2=39,350㎞です。