太平洋戦争で日本軍が敗色濃厚になった頃から、各地で「○○島玉砕」とか「一億玉砕」とかいう言葉がたびたび聞かれるようになりました。
「玉砕」とは要するに「全滅」ということなのですが、「一億玉砕」と言えば「日本人滅亡」ということになってしまいます。とんでもないことですね。
1.玉砕とは
「玉砕(ぎょくさい)」とは、「玉のように美しく砕け散ること」で、「指導層が提唱する大義や名誉などに殉じて潔く死ぬこと」です。
中国の古書「元景安伝」にある「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」(勇士は瓦として無事に生き延びるより、むしろ玉となって砕けた方がよい)を語源とします。
太平洋戦争における「日本軍部隊の全滅」を表現する言葉として、「大本営発表」で用いられました。今では「大本営発表」と言えば「虚偽の発表」の代名詞になっていますが・・・
対義語は、「瓦全(がぜん)」「甎全(せんぜん)」で、「無為に生き永らえること」です。
2.玉砕の偽善性と本当の意味
太平洋戦争当時の日本で「玉砕」の表現が初めて公式発表で使われたのは、1943年5月の「アッツ島玉砕」ですが、軍隊内部の文章では、それ以前から用いられていました。
たとえば1942年2月の「第一次バターン半島の戦い」では、木村部隊から師団司令部へ「第一大隊ハ玉砕セントス」との電文が送られました。
このほか、公刊戦史上では、1942年のニューギニア戦線ゴナにおける「バサブア守備隊の玉砕」、1943年の同じくニューギニア戦線の「ブナの陸海軍守備隊の玉砕」があります。ただし、これらの事実が国民に知らされたのは、1944年2月以降でした。
「玉砕」という表現を用いたのは、「全滅という言葉が国民に与える動揺・失望を少しでも軽くし、全兵士が勇敢に奮闘し、玉の如くに清く砕け散ったと印象付けようと意図した」ものです。
そして、「日本軍の敗色が濃厚であることを隠蔽し、国民の戦意喪失や政府・軍部に対する不満を抑える意図」がありました。
また、「補給路を絶たれて守備隊への効果的な援軍や補給ができないまま、結果的に見殺しにしてしまった軍上層部への責任追及を回避する目的」がありました。
「アッツ島玉砕」では、守備隊約2,660名のうち、29名が捕虜となりました。
「アッツ島玉砕」についての「大本営発表」は次の通りです。
大本営発表。アッツ島守備部隊は5月12日以来極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵兵に対し血戦継続中のところ、5月29日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信は全く途絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざる者は、之に先立ち悉く自決せり。
3.水木しげるの漫画「総員玉砕せよ!」
水木しげるの「総員玉砕せよ!」は、1973年8月に講談社から単行本として発表された漫画で、「彼自身の戦争体験と実話に基づいた戦記作品」です。「玉砕」の不条理さがよくわかります。
2007年には「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」というタイトルでテレビドラマも製作されました。
1943年(昭和18年)末、彼の所属部隊はニューブリテン島に上陸しました。兵隊たちは「パパイヤのたくさんある天国のような所だ」と言われてやって来たのですが、彼らの主食は野生の芋で、食糧探しに明け暮れる毎日でした。後でわかったことですが、この島は「天国に行く場所(死に場所)」だったのです。「北朝鮮は地上の楽園」という甘い言葉に騙されて北朝鮮へ帰還した人のようなものですね。
本作は、彼が爆撃で左腕を失って入院中に、所属する成瀬大隊(作中では田所支隊)が前線のズンゲンで「玉砕」した不条理な経緯を描いています。
「玉砕」と言えば、「硫黄島のような逃げ場のない小さな島で守備隊が全滅する」というイメージですが、田所支隊の玉砕は違っていました。ニューブリテン島は九州くらいの面積のある大きな島で、島の北部のラバウルには陸海軍併せて10万人近い日本軍が一大要塞を作り上げており、連合軍は包囲して空爆を加えましたが、日本軍は終戦までラバウルを守り切りました。
レイテ島やガダルカナル島の惨状に比べれば、ニューブリテン島は遥かにましだったのです。
(1)軍医と参謀
軍医:参謀どの!勝ち目のない敵の大部隊に、どうして小部隊を突入させるのですか?
参謀:時を稼ぐのだ。
軍医:時とは何ですか?
参謀:後方(主力部隊)を固め、戦力を充実させるのだ。
軍医:そのためなら、玉砕させる必要はありません。玉砕すれば前途有望な人材を失います。玉砕させない作戦があります。
参謀:馬鹿者!「ビビビビビッ」(ビンタの音)。貴様も軍人の端くれなら、言葉を慎め!
軍医:私は医者です。軍人ではありません。あなた方は、意味もないのにやたらに人を殺したがる。一種の狂人ですよ。もっと冷静に大局的に立って、ものを考えたらどうですか?
参謀:貴様、虫けらのような命が欲しくてほざくのか!
軍医:もっと命を大事にしてはどうですか?
(この軍医は、参謀に直言した直後に自決した。参謀は無言であったが、軍医の自決に対し、丁重に弔った)
(2)作戦会議
隊長:我々は祖国を守らなくてはならない。一度この陣地を捨てたら、優勢な敵と対峙する気力を失う。このジャングルで持久戦をすれば、兵は飢えとマラリアで自滅する。そんな悲惨な死に方よりは、全員が斬り込み玉砕した方が死に甲斐がある。
A中隊長:玉砕しても、敵に損害を与えることはできません。
B中隊長:後方のラバウル(ニューブリテン島北部の都市)には、10万の兵がいます。彼らは惰眠を貪っています。
A中隊長:彼らのために捨て石となり、ラバウルの将兵を延命させるのであれば、後ろの山に下ってゲリラをやっても、目的は果たせます。
隊長:それでも結局は、兵を犬死にさせることになる。隊長としてそれはできない。
B中隊長:玉砕だって犬死にです。
A中隊長:どうして、食うものもろくに食っていない我々が、こんな陸の孤島で死なねばならないのですか?一体この高地をそこまでして守る必要があるのですか?
隊長:この高地を守ることは、兵団長閣下の命令だぞ!中隊長は俺と一緒に死ぬのだ!
(3)水木しげるの「あとがき」
①「総員玉砕せよ!」という物語は、90%は事実である。ただ、物語では参謀は流れ弾に当たって死ぬが、そんな事実はなかった。参謀はテキトウな時に上手に逃げる。
(筆者注)昭和20年6月、ガゼル岬に敵の有力部隊が上陸し、ズンゲンで玉砕しなかった生き残りたちが最後の斬り込みを敢行します。その突撃直前に参謀は「自分には、玉砕を見届け報告する冷たい義務がある」と言い放ちます。
②物語では全員死ぬが、実際には80人近く生き残った。
③「玉砕」というものは、必ず生き残りがいる。ラバウルの場合、後方に10万の兵隊がぬくぬくと生活していた。(筆者注:確かに「ラバウル小唄」という呑気な歌がありますね)その前線で500人の兵隊(実際は300~400人)に死ねと言われても、とても兵隊全体の同意は得られるものではない。
④「軍隊と兵隊と靴下は消耗品」と言われた。しかし、こと「死」に関しては、やはり人間である。「一寸の虫にも五分の魂」と言うが、兵隊全体の暗黙の同意なしに、ただ命令というだけでは、玉砕は成立しない。
4.水木しげるとは
漫画家の水木しげる(1922年~2015年)は、「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」などの作者として有名な「妖怪漫画の第一人者」で、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」でも取り上げられました。
彼は1922年に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育ちました。
幼少の頃、拝み屋の妻で賄い婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受けました。
高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学んでいましたが、1943年に召集され、陸軍の兵隊としてニューギニア戦線・ラバウルの出征しました。
過酷な戦争体験を重ね、米軍の攻撃で左腕を失いました。
復員後は貧困のために画家修業を諦め、生活のために始めた「紙芝居作家」を経て、1958年「ロケットマン」で「貸本漫画家」としてデビューし、1960年から「墓場鬼太郎」シリーズを断続的に発表し始め、これが大ヒット作「ゲゲゲの鬼太郎」となりました。
総員玉砕せよ!! 他 (水木しげる漫画大全集) [ 水木 しげる ]