シェイクスピアと言えば、ヨーロッパだけでなく「世界最高の劇作家」の一人として有名で、「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「ベニスの商人」など日本でもよく知られています。
ではシェイクスピアはどこがすごいのでしょうか?
今回はシェイクスピアのすごさ、その生涯、別人説についてわかりやすくご紹介します。
1.シェイクスピアはどこがすごいのか?
(1)現代英語の成立に大きな影響を与えた
「新約聖書」と同様に、彼の作品は英語教材として広く使用されています。これは彼が「英語そのもの」に大きな影響を与えたためです。
「マクベス」に出てくるマクベス夫人(Lady Macbeth)という単語は、会話の中で「She is more ambitious than Lady Macbeth 」(彼女はマクベス夫人よりも野心家だ)のように使われます。
この表現を正しく理解するためには、シェイクスピア作品を知る必要があります。彼の作品が英語教材として積極的に利用されているのは、英語でよく使われる言い回しや単語が数多く含まれているからです。
「ベニスの商人」に出てくる「Love is blind」(愛は盲目)というフレーズは、彼のオリジナルです。
ラテン語に語源を持つ「critical」(批判的な)と言う単語は、「オセロ」で使われた言葉ですが、彼の「造語」です。
夏目漱石も、面白い言い回しや当て字、新しい言葉を作る(造語)のを得意としていましたが、シェイクスピアとよく似ていますね。
(2)映画化を含め、今なお各国の舞台で上演されている
彼の作品は今でも映画化や舞台での上演が行われています。彼の作品を原作とした作品は900以上あると言われています。
たとえば映画「ウェストサイド物語」は、「ロミオとジュリエット」をベースとしています。黒澤明監督の「乱」は「リア王」を日本の戦国時代に置き換えたものです。
(3)よく用いられる名言や格言が多い
「ハムレット」に出てくる「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」(To be, or not to be : that is the question)というセリフは、演劇史を代表する名言として知られています。
また外見だけで人や物を判断してはならないという格言「光るもの必ずしも金ならず」(All that glitters is not gold )も彼のオリジナルです。
ほかにも、「最悪だと言えるうちは最悪ではない」(The worst is not ,So long as we can say, ‘This is the worst’)(リア王)や、「この世は舞台、人はみな役者である」(All the world’ a stage, And all the men and women merely players)(お気に召すまま)などがあります。
小椋佳が作詞・作曲し、梅沢富美男さんが歌って大ヒットした「夢芝居」も、この最後の警句を下敷きにしたのかもしれません。
2.シェイクスピアの生涯
(1)前半生
「ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)」(1564年~1616年)は、イングランド王国のストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれました(下の写真は生家)。
父は成功した皮手袋商人で町長にもなったことのある市会議員でした。母は貴族の身分を持たない富裕層である「紳士(gentleman)」の娘です。
地元の名士である父のおかげで、彼はきちんとした教育を受け、後の戯曲に生かされるラテン語やラテン演劇に触れています。ただし彼は大学進学の予備教育を行う「グラマースクール(文法学校)」という中等教育機関に通っただけで、大学には行きませんでした。
ちなみに、彼の生きた時代は日本では、織田信長や豊臣秀吉が活躍した「安土桃山時代」(1573年~1603年)から江戸時代初期です。出雲の阿国(おくに)歌舞伎が発祥(1603年)した時代でもあります。
18歳で8歳年上のアン・ハサウェーと結婚し、1男2女をもうけています。
(2)ロンドンの劇界に入り、俳優として出発
20歳を過ぎてまもなくロンドンに出て、劇界に入り俳優として出発し、やがて劇作に転じました。
(3)その後劇作家に転じ、数々の名作を発表
1590年頃から劇作を始め、最初は「薔薇戦争(ばらせんそう)」を主たる背景とする「ヘンリー6世」三部作(1590年~1592年)や「リチャード3世」(1593年)、「じゃじゃ馬ならし」(1594年)などを書いています。
当時の劇作家が彼のことを「成り上がり者のカラス」と記しています。
1594年に宮内大臣お抱え一座の幹部座員となるに及んで、優れた劇作家としての本領を発揮し始め、1595年には「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」「リチャード2世」などの抒情的な作品を発表しています。
さらに「ベニスの商人」(1596年)、「ヘンリー4世」(1597年)、「お気に召すまま」(1599年)、「十二夜」(1600年)などを立て続けに発表しています。
続く数年間は「悲劇時代」と呼ばれ、生と死・善と悪・罪と罰・仮象と真実など人間の根本問題をテーマとした「ハムレット」(1600年)、「オセロ」(1604年)、「リア王」(1605年)、「マクベス」(1606年)の「四大悲劇」を創作しました。
1608年頃からは「許しと和解」をテーマにした「ロマンス劇」に転じました。「シンベリン」(1609年)、「冬の夜ばなし」(1610年)、「あらし」(1611年)などの作品があります。
(4)代表的な作品
彼は37編の戯曲、154編のソネット(抒情詩)を書きましたが、言葉の豊かさ、性格描写の巧みさなどで、「イギリスルネサンス文学の最高峰」と称されました。
日本へは明治時代に、「小説神髄」で有名な評論家・小説家・劇作家の坪内逍遥(1859年~1935年)の翻訳によって紹介され、新劇の重要なレパートリーとなりました。日本では「沙翁(さおう/しゃおう)」とも呼ばれます。
代表的な作品としては、次のようなものがあります。
①ハムレット、②オセロ、③リア王、④マクベス
⑤夏の夜の夢、⑥十二夜、⑦ベニスの商人、⑧お気に召すまま、⑨じゃじゃ馬ならし
⑩ジョン王
①~④が「四大悲劇」、⑤~⑨は代表的な「喜劇」、⑩は「史劇」です。
3.シェイクスピア別人説
イギリスのロマン派詩人で批評家のコールリッジ(1772年~1834年)は、彼を「百万の魂を持つ」と評しました。それほど多彩な作品を書き、作風も変遷した彼については、「シェイクスピア別人説」というものが古くからあります。これは18世紀以来続けられてきた真面目な学術的議論です。
「シェイクスピア別人説」とは、「ウィリアム・シェイクスピアなる人物によって書かれたとされている作品は、実のところ他の作者もしくは『ウィリアム・シェイクスピア』という共有のペンネームを用いた作家集団によって書かれたものではないか」という説です。
懐疑派は、「本当の作者」として、フランシス・ベーコン(1561年~1626年)、クリストファー・マーロウ(1564年~1593年)、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー(1550年~1604年)、ウォルター・ローリー(1554年~1618年)、エドマンド・スペンサー(1552年頃~1599年)など多くの人物の名を挙げています。
多くのジャンルの浮世草子を書いた井原西鶴についても、このような説がありました。多作の流行作家についても、「ゴーストライター存在説」がよくあります。
4.シェイクスピアにまつわる私の思い出話
(1)高校の学園祭で「アントニウスとクレオパトラ」を上演したこと
高校2年の文化祭(学園祭)で、私のクラスがシェイクスピア原作の「アントニウスとクレオパトラ」という演劇を上演しました。私の役はブルータスとともにカエサルを暗殺する元老院の一団(その他大勢)の一人でした。古代ギリシャの衣服である「キトン」(布を二つに折って体に巻き、肩を留め具で留める)を着る必要があり、母に「敷布」で作ってもらいました。
(2)高校の英語のテストでシェイクスピアのスペルを書かせる問題が出たこと
高校の英語のテストでシェイクスピアのスペルを書かせる問題が出ました。人名などの固有名詞のスペルを問う問題は珍しく、あまり出ないと思います。
私は、正しいスペルは知らなかったのですが、何度か口の中で唱えてみて、「シェイク」と「ピアー」をくっ付けたものだと推理して「Shake(振る)」+「s」+「pear(西洋梨)」だと思い、「Shakespear」と解答しました。
しかし、正解は「Shakespeare」でした。残念ながら「一字違い」でした。先生が試験の後に「難しかったようですね。しかし一人だけ惜しい人がいました」とのコメントがありました。
いい所まで行ったのですがね・・・
余談ですが、大学の教養部の英語の助教授が雑談で、「採用の時、『福音書で有名なマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの英語名のスペルを言え』という試問があった」と話していました。こちらの正解は、「Matthew」「Mark」「Luke」「John」です。