「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」とは?

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空海

皆さんは「即身成仏」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?

私は、仏教を含む宗教全部を信じていないのですが、弘法大師空海(774年~835年)に関連する言葉として、以前から気になっていました。

今回は、「即身成仏」とそれ関連する「真言密教」と「天台密教」について考えて見たいと思います。

1.「即身成仏」とは

「即身成仏」とは、仏教の修行者が「行」を行うことを通じ、この肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることです。

真言宗の宗祖空海の造語との説もありますが、この言葉自体は、『菩提心論』などの経典で既に使われています。

「修行者が肉身のまま悟りの境地に達する行」は、空海の開いた「真言密教」だけでなく、密教全般(天台密教、インド密教、チベット密教)に見られるものです。

ただ、「即身成仏思想」を初めて体系的に日本に持ち込んだのは、延暦23年(804年)に遣唐使として唐朝に派遣された空海でした。

2.「真言密教」と「天台密教」

「真言宗」は「真言密教」、「天台宗」は「天台密教」と呼ばれますが、この「密教」とは空海が仏教を「密教」と「顕教」に分類したことに由来します。

「密教」は、「真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えのゆえに容易に明らかに出来ない秘密の教え」という意味です。

これに対して「顕教」は、「衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き表した教え」という意味です。

「真言密教」は、大日如来を本尊としていますが、「天台密教」は久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦如来を本尊としています。空海の「密教・顕教」の分類と違っていて、何だかややこしいですね。まあ、伝教大師最澄はそう主張しているのだと理解しておけばよいと思います。

3.「浄土真宗」が「真言宗」や「天台宗」に比べて信者が多い理由

「浄土真宗」を開いた親鸞(1173年~1263年)は、比叡山延暦寺で天台宗の堂僧として20年間、不断念仏の厳しい修行を重ねますが、ついに悟りを開くことは出来ませんでした。

つまり、「自力修行」の限界を感じたのです。その意味で、親鸞は「即身成仏」に失敗(落伍)したということになります。

しかし、それがかえって良かったのではないでしょうか?所詮、「即身成仏」などということは、常識的には考えられないことですし、一般民衆に受け入れられるものではありません。

そこで阿弥陀如来にすがる「他力本願」という考え方が出て来ます。親鸞自身、関白九条兼実の娘の玉日姫への思いを断ち切れず、「肉食妻帯」を認める「浄土真宗」を始める訳です。

当時の仏教界からは、「肉食妻帯の堕落坊主」「仏教を破壊する悪魔」「気が狂っている」との非難を受けたそうです。しかし、当時も隠れて肉食妻帯している僧はたくさんいたようです。

この「肉食妻帯」を自らにも公然と認めることによって、「家を捨て、家族も捨てて出家しなければ救われない教えの仏教」では、スタートラインにも立てない民衆を惹きつけ、「どんな人でも、苦悩の根源を断ち切れて、ありのままで救われる」という分かりやすい(ある意味では安直な)教えで、民衆の間に広まったものと思われます。

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