ダヴィッドと言えば、1801年に描かれた「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」(下の画像)が大変有名です。これはナポレオンの勇姿を表した代表的な作品です。
彼はどのような人物で、どんな人生を送ったのでしょうか?
1.ダヴィッドとは
ダヴィッドは、フランスの新古典主義の代表的画家で、18世紀後半から19世紀前半にかけてのフランス史の激動期に活躍しました。
(1)生い立ちと少年時代
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年~1825年)は、パリに商人の子として生まれました。彼が9歳の時、父親が決闘で殺害されたため、その後は裕福な叔父によって育てられました。
彼が絵に興味を示し始めた時、彼の叔父は親戚の「ロココ絵画」の大家フランソワ・ブーシェ(1703年~1770年)のもとへ送りました。
しかし当時50歳代だったブーシェは弟子を取っていなかったため、知人のジョセフ=マリー・ヴィアン(1716年~1809年)という「新古典主義」の画家を紹介して師事させました。
(2)長い修業時代の後、若手画家の登竜門「ローマ賞」を獲得
約10年の修業期間を経て、彼は1774年に「アンティオコスとストラトニケ」という作品で若手画家の登竜門「ローマ賞」を獲得しました。
(3)国費でのイタリア留学と作風の変化
「ローマ賞」受賞者は国費でイタリア留学できる制度となっていたため、彼は1775年にイタリアに留学し、1780年までの5年間プッサン、カラヴァッジョ、カラッチなど17世紀の巨匠の作品の研究に没頭しました。16世紀に活躍したミケランジェロやラファエロの作品にも感嘆しました。
イタリアでの研究を機として、彼の作風は18世紀のフランス画壇を風靡したロココ色の強いものから、新古典主義的な硬質の画風に変わっていきました。
(4)ルイ16世から「ホラティウス兄弟の誓い」の制作注文を受ける
1782年に彼はシャルロット・ぺクールと結婚し、莫大な持参金を得ました。
1784年の「ホラティウス兄弟の誓い」は王室から注文を受けて制作した最初の作品です。
サロンに出品された際には、同時代の画家が「ダヴィッドこそ今年のサロンの真の勝利者である」と述べたほど、大きな評判を集めました。
(5)フランス革命の勃発とジャコバン党員としての政治への関与
1789年にフランス革命が勃発すると、彼はジャコバン党員として革命側に立って政治にも関与するようになりました。有名な「球戯場の誓い」(下の画像)を描いているほか、「バスティーユ牢獄襲撃事件」にも加わっており、1792年には「国民議会議員」にもなっています。
彼は機を見るに敏だったようで、変わり身の早さには驚かされます。
1793年には革命家マラーの死を描いた「マラーの死」を制作しています。
1794年にはロベスピエールに協力して「最高存在の祭典」の演出を担当し、一時期「国民公会議長」も務めています。
1793年までに、芸術委員会のメンバーとして、ロベスピエールを通じて多くの権力を獲得した彼は、事実上「フランスの芸術の独裁者」となり、また王立アカデミーを即座に廃止したことで、「筆のロベスピエール」と呼ばれました。
その後、ロベスピエールの失脚に伴い、彼の立場も危うくなり、一時投獄されました。
1795年の恩赦後、彼は革命と政治に注いでいたエネルギーを若い画家を教えることに切り替え、何百人もの若手画家の指導に専念しました。
(6)ナポレオンによる軍事クーデター
1797年にナポレオンをスケッチしていますが肖像画を完成させるには至りませんでした。
1799年の軍事クーデターによって第一執政となったナポレオンは、彼にフランスの勝利を記念する絵の制作を依頼しました。
また1800年には、レカミエ夫人から肖像画を依頼されましたが、これは未完成に終わっています。未完成になったのは、ダヴィッドの筆が遅いので、彼の弟子フランソワ・ジェラールに依頼し直したからとも言われています。
(7)ナポレオンの庇護を受け、ナポレオンの主席画家となる
その後、彼はナポレオンの庇護を受けて、1804年には「ナポレオンの主席画家」に任命され「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」などを描いています。
1808年には騎士の爵位を与えられています。
(8)ナポレオンの失脚後、彼も失脚しベルギーに亡命
1815年のナポレオン失脚後は、彼も再び失脚してベルギー・ブリュッセルへ亡命し、同地で時代に翻弄された77年の生涯を終えました。
ルイ16世の処刑に賛成票を投じたことが災いして、彼の遺体はフランスへの帰国を許されませんでした。
2.ダヴィッドのその他の主な作品
(1)アンティオコスとストラトニケ(1774年)
(2)ホラティウス兄弟の誓い(1784年)
(3)マラーの死(1793年)
(4)ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠(1805~1807年)
(5)書斎のナポレオン(1812年)
(6)テルモピュライのレオニダス(1799~1803年、1813~1814年)
(7)ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス(1822~1824年)
(8)ソクラテスの死(1787年)
(9)サビニの女たち(1799年)
(10)レカミエ夫人の肖像(1800年)