前にダヴィッドを紹介する記事を書きましたが、画風がよく似た新古典主義の画家にアングルがいます。上の画像は1804年に描かれた自画像ですが、「泉」が大変有名ですね。
彼はどのような人物でどんな人生を送ったのでしょうか?
1.アングルとは
アングルはフランスの画家で、19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらの「ロマン主義絵画」に対抗して、ダヴィッドから「新古典主義絵画」を継承し、特にダヴィッドがナポレオン没落後の1816年にベルギー・ブリュッセルに亡命した後注目され、古典主義的な絵画の牙城を守りました。
(1)生い立ちと少年時代
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(1780年~1867年)は、フランス南西部の田舎町モントーバンに生まれました。
父ジョセフは芸術家というよりは職人で、化粧漆喰、建築、家具の装飾彫刻、看板描きから音楽まで手広く手掛けていました。
彼も父から絵画と音楽を学び、ヴァイオリン奏者としての一面もありました。そのため、フランス語で「アングルのヴァイオリン」と言えば、「本格的な趣味」を指すようになりました。
彼は11歳の時にトゥールーズの美術アカデミーに入学し絵画を学びました。
(2)ダヴィッドに入門し、若手画家の登竜門「ローマ賞」を獲得
1797年にパリに出て、新古典派の巨匠ダヴィッドのアトリエに入門しました。
1801年、「アキレウスのもとにやってきたアガメムノンの使者たち」で、若手画家の登竜門「ローマ賞」を獲得しました。これは師匠のダヴィッドと同じですね。
(3)国費でイタリア留学後も長期滞在し、ラファエロ・ミケランジェロなどの古典を研究
彼も政府給費生として国費によるイタリア留学が許可されましたが、当時のフランスの政治的・経済的状況のため留学が延期され、1806年にようやくローマのヴィラ・メディチを訪れました。
この留学時代に描かれた「スフィンクスの謎を解くオイディプス」「浴女」「ジュピターとテティス」は留学の成果を示すために制作されたもので、フランスの美術アカデミーに送付されました。
彼は留学期間終了後も、フランスに戻らず、1813年にマドレーヌ・シャペルと結婚し、1824年までの長期間イタリアに滞在しました。
この間、ラファエロ・ミケランジェロなどの古典を研究し、生活のために肖像画を描きつつ、フランスのサロンへも出品していました。
「オシアンの夢」「グランド・オダリスク」「アンジェリカを救うルッジェーロ」「聖ペテロへの天国の鍵の授与」などはこの時期の作品です。
(4)「ルイ13世の誓願」によりダヴィッドの後継者として新古典主義の指導者となる
長いイタリア滞在の後、1824年のサロンに出品したモントーバンのノートルダム大聖堂祭壇画「ルイ13世の誓願」によって、彼はダヴィッドの後継者として、また新古典主義の指導者として熱狂的に迎えられました。
1825年には「レジオンドヌール勲章」を授与され、アカデミー会員にも推されました。
1834年に再びイタリアのローマを訪れ、かつて留学生として自らが学んだフランス・アカデミーの院長に就任しています。そして1841年には再びパリに戻っています。
こうして彼は押しも押されもせぬ巨匠となり、1855年の「パリ万国博覧会」では「アングルの大回顧展」が開催されました。
師匠のダヴィッドが、王室からジャコバン党、ナポレオンと次々に庇護者を変えて政治的に泳ぎ、栄光と失脚を繰り返したのに対し、彼は着実に巨匠への道を登り詰めました。
彼もダヴィッドと同様にナポレオンの庇護を受けていたため、ナポレオンの失脚で一旦はどん底生活に陥りました。しかし1841年にパリに戻ると、ラファエロのような優美な技法がサロンで絶賛され、ロマン派のドラクロワのライバル・新古典主義の旗手としてもてはやされました。
アングルの熱心な愛好家であった王侯貴族たちが、そろって彼を歓迎し肖像画などの注文が激増したそうです。
(5)最晩年の作品「トルコ風呂」
彼の代表作の一つである「トルコ風呂」は、最晩年の1862年の制作ですが、円形の画面に退廃的・挑発的な多数の裸婦を描き込んでおり、82歳の画家がなお旺盛な創作意欲を持っていたことを示しています。
彼は86歳の天寿を全うしました。
2.アングルにまつわるエピソード
(1)「グランド・オダリスク」の裸婦は背骨が曲がっている?
「グランド・オダリスク」の裸婦は、胴が異常に長く描かれています。また背骨が曲がっているように見えることから、同時代の批評家に「この女は脊椎骨の数が普通の人間より3本多い」などと揶揄されました。
彼は自然を忠実に模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成することを重視していたためのようです。
(2)「写真は画家の生活を脅かす」として、フランス政府に禁止するよう抗議!
彼は当時発明された写真が画家の生活を脅かすとして、フランス政府に禁止するよう抗議したそうです。
しかしその一方で、彼は自らの制作に写真を用いていたそうです。確かに「泉」という作品などは写真のような写実性がありますね。
3.アングルのその他の主な作品
(1)泉(1856年)
(2)男のトルソ(1800年)
(3)第一執政官ナポレオン(1804年)
(4)玉座のナポレオン(1806年)
(5)スフィンクスの謎を解くオイディプス(1808年)
(6)浴女(1808年)
(7)ジュピターとテティス(1811年)
(8)オシアンの夢(1813年)
(9)グランド・オダリスク(1814年)
(10)ラファエロとフォルナリーナ(1814年)
(11)アンジェリカを救うルッジェーロ(1819年)
(12)ルイ13世の誓願(1824年)
(13)ホメロス礼賛(1827年)
(14)ルイ・フランソワ・ベルタン(1832年)
(15)奴隷のいるオダリスク(1842年)
(16)ドーソンヴィル伯爵夫人(1845年)
(17)シャルル7世の戴冠式でのジャンヌダルク(1854年)
(18)ド・ブロイ公爵夫人(1853年)
(19)モワテシエ夫人(1856年)
(20)トルコ風呂(1863年)