かつて「独居老人」や震災などの高齢の被災者の「孤独死」「孤立死」が問題となりました。
また2021年2月には、菅首相(当時)の肝煎りで「孤独・孤立対策担当室」が新設され、坂本一億総活躍担当大臣が「孤独・孤立問題担当相」に任命されました。
しかし「孤独」は決してマイナス面ばかりではありません。
最近「孤独力」という言葉をよく耳にするようになりました。「孤独力」や「孤独」に関する本もたくさん出ています。
たとえば、保坂隆著「精神科医がたどりついた『孤独力』からのすすめ」、午堂登紀雄著「人生の『質』を上げる孤独をたのしむ力」、斎藤孝著「孤独のチカラ」、中谷彰宏著「孤独が人生を豊かにする」、下重暁子著「極上の孤独」など、枚挙にいとまがありません。
1.「孤独力」とは
孤独力とは、他人との接触を避け、物理的な孤独の状態そのものを愛するような自閉的な意味ではありません。
「社会の中で、人と関わりあいながらも、常に自分の意思を主軸に置いて、自己責任で生きるという姿勢」のことです。
2.孤独力は「内省力」
(1)三省
論語の学而編に「吾日にわが身を三省す」という言葉があります。
これは文字通り解釈すれば、「毎日三度反省すること」ですが、一般的には「一日に何度も自分の言行を振り返ってみて、過失のないようにすること」の意味とされています。
現代社会は、大量の情報が溢れかえっており、技術革新も猛烈なスピードで進み、目まぐるしく変転する世の中ですが、一日に何回かはそれらの雑事・情報から離れて(情報遮断)頭をクリアにして(デトックス)、静かに考える時間を持つ必要がありそうです。
(2)只管打坐(しかんたざ)
座禅の「只管打坐」も、「三省」に通じるものがあると思います。「只管打坐」とは、「雑念を一切捨て去って、ただひたすら座禅を組み、修行すること」です。この場合、悟りを求めたり、想念を働かせることは厳禁で、「心身脱落の境地」を目指すものです。
私も新入社員の時、「新人研修」の一環として、京都にある妙心寺で「座禅体験」をしたことがあります。
大勢の同期社員が一堂に会して座禅に取り組むと、その時間その場所だけは「寂(せき)として声無し」「静寂に包まれる」という状態でした。「来し方行く末のことを思う」というと老人のようで変ですが、大変不思議な経験でした。
(3)瞑想
ヨガの瞑想(meditation)は、「無心になり、自分自身の内面に集中すること」です。これも「三省」や「只管打坐」に通じる内省の方法です。
「瞑想ヨガ」は、思考をリセットする方法として最近注目されており、Appleの創立者の一人のスティーブ・ジョブズや、Microsoftの創立者の一人のビル・ゲイツのような世界的なビジネスリーダーから、マドンナやリチャード・ギアのようなハリウッドセレブも実践者だそうです。
瞑想ヨガの効果は、①リラックス、②疲労回復、③集中力向上だそうです。これは、瞑想に伴う深く静かな呼吸が関係しているように私は思います。深い呼吸で脳に酸素が十分に供給されて、ストレスが軽減され、心身を内側から浄化する効果があるのでしょう。
3.内省によって自分の「プリンシプル」を確立する
新田次郎の小説「孤高の人」のモデルとなった加藤文太郎は、「単独行」を信条とした登山家ですが、彼の孤独力はかなり高かったのではないかと思います。「孤高な求道者」のような人だったのではないでしょうか?
永井荷風も、孤独を愛し、孤独を想像力の源泉にした作家です。
戦後教育の悪影響かもしれませんが、現代の多くの日本人は、確固とした「プリンシプル(principle)」(道義・節操・信条のような意味)を持たなくなったように思います。
以前、「日本再発見」の記事にも書きましたが、占領軍による教育政策や日教組系の教師によって、誤った歴史認識を刷り込まれたことも大きいと思います。また、「現代史」の授業を軽視(授業では全く行われず、生徒に「教科書を読んでおくように」と言うだけ)しているのも問題だと思います。
内省によって、「自分の頭」で考え、「自分のプリンシプル」を確立するように努めたいものです。