「人間関係」を表す四字熟語(その3)友情・友人関係

フォローする



渭樹江雲

漢字発祥の国だけあって、中国の「四字熟語」は、人生訓にもなるような含蓄に富んでおり、数千年の悠久の歴史を背景とした故事に由来するものも多く、人類の叡智の結晶とも言えます。

そこで今回は、「人間関係」を表す四字熟語のうち、「友情・友人関係」を表す四字熟語をご紹介したいと思います。

1.渭樹江雲(いじゅこううん)

遠くにいる友人を気遣うことです。

「渭樹」は長安郊外を流れる川、渭水のほとりの樹木。
「江雲」は長江の空に浮かぶ雲。

渭水の北の地にいる杜甫が、長江にいる李白を思って詩を作ったということから。

2.以心伝心(いしんでんしん)

文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うことです。

もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味します。

「心を以(もっ)て心に伝う」と訓読します。

3.一蓮托生/一蓮託生(いちれんたくしょう)

よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花の上に身を託し生まれ変わることです。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすることです。

もと仏教語。「托」は、よりどころとする、身をよせる意。

4.一種一瓶(いっしゅいっぺい)

一種の肴 (さかな) と一瓶の酒のこと、また簡単な酒宴のことです。一種物 (いっすもの) 。

5.益者三友(えきしゃさんゆう)

交際してためになる三種の友人のことです。正しいと思うことを直言する正直な人・誠実な人・博識な人のことです。

人と付き合うに当たって、友人をどう選ぶかを述べた言葉。

6.肝胆相照(かんたんそうしょう)

お互いに心の奥底までわかり合って心から親しくつき合うこと、心の底まで打ち明け深く理解し合っていることです。

「肝胆」は肝臓と胆嚢(たんのう)。転じて、心の底、まごころ。また、肝臓と胆嚢が近くにあることから密接な関係のたとえ。

一般に「肝胆相(あい)照らす」と訓読を用います。

7.管鮑之交(かんぽうのまじわり/かんぽうのこう)

互いによく理解し合っていて利害を超えた信頼の厚い友情のこと、きわめて親密な交際のことです。

「管」は春秋時代、斉の名宰相の管仲(かんちゅう)。「鮑」は鮑叔牙(ほうしゅくが)。単に鮑叔ともいいます。

管仲と若いときから仲がよく、仲を斉の桓公(かんこう)に推挙しました。

中国春秋時代、斉の桓公に仕えた宰相の管仲と大夫の鮑叔牙とは幼いころから仲がよく、かつてともに商売をして管仲が分け前を余分に取ったときも、鮑叔牙は管仲が貧しいのを知っていて決して非難せず、管仲が鮑叔牙のために事を計画して失敗し、逆に鮑叔牙を困窮に陥れたときも、鮑叔牙は時には利と不利があるとして決して非難しなかった。また、管仲が戦に敗れて逃げてきても、鮑叔牙は母を養っているのを知っていて決して悪口を言わなかった。のちに、桓公に管仲を推薦したのも鮑叔牙であった。管仲も「我を生む者は父母なり、我を知る者は鮑叔なり」と言って、鮑叔牙の厚意にいつも感謝し、二人の親密な友情は終生変わらなかったという故事から。

8.旧雨今雨(きゅううこんう)

古い友人と新しい友人のことです。

中国音で「雨」「友」はともに音が通じるところから、友人のことをしゃれていう言葉。

9.金亀換酒(きんきかんしゅ)

この上なく酒を愛することのたとえ、また大切な友人を心からもてなすことのたとえです。

「金亀」は、唐の時代の役人が腰に帯びた、金製の亀の形をした飾りものの一種。

中国唐の時代、賀知章(がちしょう)は李白の才能を認めて、金亀を売って酒に換え、李白とともに一時を楽しんだという故事から。

10.金石之交(きんせきのまじわり)

固い友情のこと、また変わらない交際のことです。

「金石」は、金と石で、固くて永遠に変わらないもののたとえ。

11.金蘭之契(きんらんのちぎり/きんらんのけい)

(「易経」繋辞上から)きわめて親密な交わりのことです。

「金蘭の交わり」ともいいます。

12.傾蓋知己(けいがいのちき)

一度出会っただけで、昔からの友人のように親しくなることのたとえです。

「蓋」は、車のほろ。「傾蓋」は、車のほろを傾けること。また、車を止めること。「知己」は、自分のことをよく知っている人の意から、親しい友人のこと。

孔子が道でたまたま出会った程子(ていし)と道端で傘を傾け合って車を止めて、親しく語り合ったという故事から。

13.高山流水(こうざんりゅうすい)

すぐれて巧みな音楽・絶妙な演奏のたとえ、また自分を理解してくれる真の友人のたとえです。清らかな自然の意に用いられることもあります。

「流水高山」ともいいます。

14.膠漆之交(こうしつのまじわり/こうしつのこう)

固く結びついて、容易なことでは離れない交友関係のたとえです。厚い友情のたとえ。

「膠」は、にかわ。「漆」は、うるし。「膠漆」は、互いにぴったりとくっついて離れないこと。にかわやうるしでくっつけたような間柄の意から。

15.古琴之友(こきんのとも)

自身のことをしっかりと理解してくれる友人のことです。

中国の春秋時代の琴の達人の伯牙は、鐘子期という琴を理解してくれる親友がいたという故事から。

16.爾汝之交(じじょのまじわり)

互いに「きさま」「おまえ」などと呼び合えるほどの親密な交わりのことです。

17.情意投合(じょういとうごう)

お互いの気持ちがぴったりと合うことです。

「情意」は感情と意志。また、心。「投合」はぴったり合うこと。

18.杵臼之交(しょきゅうのまじわり/しょきゅうのこう)

身分をこだわらずに人付き合いをすることです。

「杵臼」はきねとうすのこと。

中国の後漢の時代の公孫穆(こうそんぼく)は、学費を稼ぐために呉祐(ごゆう)の家で雇われて、きねとうすを使って米をついていた。あるとき呉祐が公孫穆に話しかけてみると、高い学識があることに驚き、その後は主従を越えた付き合いを結んだという故事から。

19.深情厚誼(しんじょうこうぎ)

情愛の深くこもった付き合いのことです。

「深情」は相手を深く思う気持ちのこと。「厚誼」は深い親しみの気持ち。

相手からの心遣いをいう言葉。

20.晨星落落(しんせいらくらく)

仲のよい友人が次第に少なくなっていくこと、または歳をとるにつれて友人が死んでいなくなっていくことです。

「晨星」は明け方の空に残っている星。「落落」は閑散としていてさびしい様子。

夜が明けるにつれて星が一つ一つと消えていく様子から。

「落落晨星」ともいいます。

21.心腹之友(しんぷくのとも)

心を許し合った最も親しい友人のことです。

「心腹」は腹を割って話して、何も隠さずに本心を明かすということから。

22.水魚之交(すいぎょのまじわり/すいぎょのこう)

離れることができない親密な間柄や交際のたとえです。水と魚のように切っても切れない親しい関係をいいます。

君主と臣下、また夫婦の仲がよいことなどについても用います。

23.清風故人(せいふうこじん)

さわやかな秋風が吹いてくるのは、友人が久しぶりに訪ねてくれたようだということです。

「清風」は清らかな風で、ここでは秋風のこと。「故」は古い意。「故人」は古くからの友人の意。

「清風故人来(きた)る」の略。

24.千里結言(せんりけつげん/せんりのけつげん)

遠方にいる友人と約束した言葉です。「千里」は道のりの非常に遠いこと。

「里」は距離の単位。中国の一里は時代によって異なりますが、およそ500m前後。「結言」は言葉によって約束をすることです。

25.総角之好(そうかくのよしみ)

幼なじみとの付き合いのこと、小さい子どもの時分からの長く親しい交際のことです。

「総角」は、髪を束ねて両側に垂らす幼児の髪型のこと。「好」は、親しく付き合うこと。

26.足音跫然(そくおんきょうぜん)

人の足音が響く様子、または予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえです。

「跫然」は足音が響き渡る様子。

人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。

27.損者三友(そんしゃさんゆう)

交際して損をする三種の友人のことです。

うわべだけの不正直な(便辟べんぺき)人、誠実さのない(善柔ぜんじゅう)人、口先だけ達者な(便佞べんねい)人を友とするのは害であるということ。

28.耐久之朋(たいきゅうのとも)

長く変わることのない友情で結ばれた友人のことです。

「耐久」は長い月日が経過しても変化しないという意味。
「朋」は親しい相手、友人という意味。

29.断金之交(だんきんのまじわり/だんきんのこう)

友人同士がきわめて固い友情で結ばれていることです。

「断金」は、金属を断ち切ること。二人が結束すれば金属をも断ち切ることができる意。

30.知己朋友(ちきほうゆう)

よく自分のことを知ってくれている友人、またよく待遇してくれる人のことです。

「知己」は自分の人柄・才能をよく知ってくれている人。親友の意。「己」はおのれ。「朋友」は友達、友人のこと。

31.竹馬之友(ちくばのとも)

幼友達のことです。幼いころ竹馬に乗って、一緒に遊んだ友達の意。

中国晋(しん)の桓温(かんおん)は殷浩(いんこう)と並び称されることが不満で、少年のときに自分が捨てた竹馬を殷浩が拾ったものだったとして、自分が上に立つべきだと主張した故事から。

32.綈袍恋恋(ていほうれんれん)

友情のあついこと、また友情の変わらないことのたとえです。

「史記」范睢 (はんしょ) 伝の、魏の須賈 (しゅか) が范睢を哀れんで厚絹の綿入れを与えたという故事から。

33.天涯比隣(てんがいひりん)

たとえ遠く離れていても、すぐ近くにいるように親しく思われることです。親しい友人などについていいます。

「天涯」は非常に遠い所、「比隣」は隣近所の意。

34.投桃報李(とうとうほうり)

仲の良い友人同士でお互いに物を贈りあうこと、または、自分が徳を施せば必ず徳で報いるということです。「李」は植物のスモモ。

桃を贈られれば、お返しにスモモを贈るという意味から。

「桃を投じて李(すもも)に報(むく)ゆ」と訓読します。

35.同袍同沢(どうほうどうたく)

衣服をともにする意から、苦労を分かち合った親密な友、特に戦友のことです。転じて、一般に苦労をともにする親密な友人。

「袍」は、綿入れ。「沢」は、肌着。出典(『詩経』秦風しんぷう・無衣ぶい)の「子(し)と袍を同じくせん」「子(し)と沢を同じくせん」によります。

36.伯牙絶弦/伯牙絶絃(はくがぜつげん)

非常に深い関係の親友を失った悲しみのことです。

「伯牙」は中国の春秋時代の人の名前。

琴の名手である伯牙は、自分の一番の理解者であり、親友だった鐘子期が亡くなり、自分の琴を理解してくれる人はもういないといい、琴の弦を切って、二度と弾くことはなかったという故事から。

37.莫逆之友(ばくぎゃくのとも)

気持ちがぴったり合った親密な友のことです。

「莫」は、否定を表す。ない。「逆」は、逆らうこと。

38.莫逆之交(ばくぎゃくのまじわり)

ぴったりと息が合い、心に逆らうもののない親密なつきあいのことです。

39.伐木之契(ばつぼくのちぎり)

厚い友情を言い表す言葉です。

「伐木」は『詩経』にある詩の一編で、山中で友を呼び合う鳥と、友人や古くからの知り合いと酒を酌み交わす様子を描写したもので、友情の大切さを詠んでいる一編。

40.班荊道故(はんけいどうこ)

しばらく会っていない、昔の友人とたまたま出会って語り合うことです。

「班荊」は草を敷くこと。「道故」は話をすること。

中国の春秋時代、伍挙が楚から亡命して晋に行く途中に、古い友人の公孫帰生とたまたま出会って語り合ったという故事から。

「荊(けい)を班(し)きて故(こと)を道(い)う」と訓読します。

41.貧賤之交(ひんせんのまじわり)

貧しく苦労している時から交友のある友人のこと、またはそのような友人は大切にすべきであるということです。

出世すると以前の友人を捨てて、高い地位を持っている人と付き合おうとするが、以前の友人を捨ててはならないということ。

42.布衣之交(ふいのまじわり/ふいのこう)

身分や地位などにこだわらない心からの交わり、また庶民同士・身分の低い者同士の付き合いのことです。出世前の付き合い。

「布衣」は布で作った衣服。一般庶民の着物。転じて、官位のない人の意。平民・庶民のこと。

43.刎頸之交(ふんけいのまじわり/ふんけいのこう)

首を切られても悔いないほど固い友情で結ばれた交際、心を許し合った非常に親密な交際のことです。

「刎頸」は首を切ること。「頸」は首。「刎」は切る、はねる意。

中国春秋時代、趙(ちょう)の廉頗(れんぱ)将軍は、弁舌のみによる外交戦略で恵文王(けいぶんおう)の厚い信頼のあった藺相如(りんしょうじょ)を恨んでいたが、相如は二人が相争えば趙が強国の秦に攻め滅ぼされてしまうとして二人の争いを避けた。これを聞いた廉頗は心から謝罪し、二人は相手のためなら首を切られてもよいと思うほどの深い親交を結んだ故事から。

44.冒雨剪韭(ぼううせんきゅう)

来訪した友人を手厚くもてなすことです。

「冒雨」は雨を冒す、「剪韭」はにらを摘みにいくことで、来訪した客をもてなすために雨の中、外に出て、にらを摘み食事をごちそうした故事から。

45.暮雲春樹(ぼうんしゅんじゅ)

遠く離れている友人に思いをはせることです。

「暮雲」は夕方の雲。「春樹」は春になって新しい木の芽がふいた木のこと。

46.有朋遠来(ゆうほうえんらい)

同じ志を持つ友人が遠方より訪ねてきてくれること、またはその喜びのことです。

「朋」は友人のこと。

47.雷陳膠漆(らいちんこうしつ)

固い友情で結ばれていることです。

「雷陳」は、中国後漢の雷義(らいぎ)と陳重(ちんちょう)のこと。深い友情で結ばれていることで有名でした。「膠漆」は、膠(にかわ)と漆(うるし)のことで、接着剤として用いられました。

48.落月屋梁(らくげつおくりょう)

友人を思う切ない心情のことです。

「落月」は沈んでいく月のこと。「屋梁」は屋根を支えるはり、または屋根のこと。

中国の詩人杜甫が江南に流された友人の李白を思い、「家の屋根に落ちかかる月に君の面影を見た」と詩を詠じたことから。

「屋梁落月」ともいいます。