古代ギリシャの三大悲劇詩人(その1)アイスキュロス

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アイスキュロス

前に「ギリシャ悲劇とは何か?」という記事を書きましたが、古代ギリシャには「三大悲劇詩人」(三大悲劇作者)と呼ばれる傑出した詩人(アイスキュロス・ソポクレス・エウリピデス)がいました。

そこで今回は、アイスキュロスについてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.アイスキュロスとは

アイスキュロス(ギリシャ語: ΑἰσχύλοςAischylos, 紀元前525年~紀元前456年)は、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりであり、ギリシャ悲劇(アッティカ悲劇)の確立者です。代表作は「オレステイア三部作」です。

彼はアテナイ郊外のエレウシスで、貴族階級に属する地主エウポリオーンの子として生まれました。エレウシスは「デメテルの秘儀」(*)で有名で、後にアイスキュロスがこの秘密を漏らしたとして誅殺されかけたという伝承があります。

(*)「デメテルの秘儀」とは、古代ギリシャのエレウシスにおいて女神デーメーテールとペルセポネー崇拝のために伝承されていた祭儀で、「エレウシスの密儀」、「エレウシスの秘教」とも呼ばれます。

この密儀は農業崇拝を基盤とした宗教的実践から成立したと考えられています。紀元前15世紀のミュケナイ期から古代ローマまで約2000年間にわたって伝わり古代ギリシャの密儀宗教としては最大の尊崇を集めました。主要な祭儀は毎年秋に催されアテナイの祝祭として取り込まれた後は、春のディオニューシア祭夏のパンアテナイア祭と並んで「アテナイの三大祭」と言われました。

密儀の主題は、ギリシア神話において穀物と豊穣の女神デーメーテールの娘コレーが冥府の神ハーデースによって誘拐される物語に基づいています。冥府から地上に帰還するペルセポネーは死と再生の神として、世代から世代へと受け継がれる永遠の生命を象徴しています。入信者たちはこの密儀によって死後に幸福を得られると信じていました。

儀式の中核部分は公開されず、秘密が厳格に守られたために現代に伝わっていません。しかし、『ホメーロス風讃歌』をはじめとする文献資料のほか、エレウシスの遺跡から出土した絵画や陶器の断片から、その内容についてさまざまな推測や議論がなされています。

2.アイスキュロスの生涯

その生涯について伝えられていることはあまり多くありませんが、「マラトンの戦い」(紀元前490年)、「サラミスの海戦」(紀元前480年)に従軍したことはよく知られています。「マラトンの戦い」については、彼がこの戦いに参加したことを生涯の誇りにしていたことが、墓碑銘からもわかります。兄のキュネゲイロスはこの戦いで没しました。

サラミスの海戦については、自作『ペルシア人』にて見事に描かれていまます。この作品は紀元前472年のディオニューシア祭において初演さましたが、紀元前470年頃にアイスキュロスが訪れたシラクサのヒエロン1世の宮殿でも再演されています。

それからアテナイに戻り、『テーバイ攻めの七将』『オレステイア』などを上演したのち、再びシチリア島へ渡って同島のゲラで没しました。

カメを岩へ落として食べる習性のあるヒゲワシに、頭を岩と間違えられカメを落とされたという伝説的な死因が伝わっています。真相はわかりませんが、この出来事は「アイスキュロスの亀」という「ありえないことが起こるということわざ」になりました。

20代から作劇を始め、紀元前484年に初の優勝を得てからは、ディオニューシア祭で開催された劇大会で合計13回優勝しました。これを伝えられている彼の作品の数と悲劇上演の例で律すれば、5割を超える非常に高い優勝率を誇ったことになります。

様式面では、それまでの悲劇が1人の俳優とコロスの掛け合いで進めていたのに対して俳優を2人とする改革を行ったこと、現存する唯一の同時代の事件を扱った作品(『ペルシア人』)を書いていることが知られています。

作風については三部作構成を好んで用いたこと、アリストパネスにも揶揄された大言壮語とも言える大胆な比喩と荘重な詩句ゼウスの正義の称揚が特徴的です。

内容的には「本当の正義とは何か」「人間に訪れる栄光と破滅」を描いた作品が多いです。

アイスキュロスの一族もまた作家として有名になりました。息子のエウポリオーンはソポクレスとエウリピデスを破ってディオニューシア祭での優勝を果たし、甥のピロクレースもソポクレスを破っています。

3.アイスキュロスの現存する作品

アイスキュロスは90篇の作品を遺したと伝えられ、そのほとんどの題名が知られていますが、完全な形で現存しているのは、以下の7篇のみです。

(1)『ペルシア人』(ペルサイ)

紀元前5世紀に起きたペルシア戦争におけるサラミスの海戦での敗北に対するペルシア人の反応を題材としています。散逸せずに現存しているギリシャ悲劇作品の中では、最古の作品です

神話を題材とするのが通例のギリシャ悲劇にあって、同時代の事件を題材として作品の存在は本作とプリュニコスによる『フェニキアの女たち』と『ミレトスの陥落』のみしか伝わっておらず、現存するのは本作が唯一です。

本作を挟む形で、『ピーネウス』と『グラウコス』が存在して三部作を構成し、ここにサテュロス劇(*)『プローメテウス』を加えた計四作が、紀元前472年の大ディオニューシア祭で上演され、アイスキュロスが優勝しました。

(*)「サテュロス劇」とは、ギリシア神話の神ディオニューソスの従者といわれるサテュロスから成るコロス(合唱隊)を伴う滑稽な劇のことです。

初演は紀元前472年ですが、その後、アイスキュロスがシラクサに渡るにあたって当地で再演されました。

(2)『テーバイ攻めの七将』

テーバイ攻めの七将

ギリシャ神話で古代都市テーバイの王権をめぐる戦いの物語に基づく悲劇です。

紀元前467年の春、アテナイの大ディオニューシア祭にて、『ラーイオス』『オイディプース』『テーバイ攻めの七将』という三部作として上演されました。

このときのサテュロス劇は『スピンクス』であり、上演記録(デイダスカリア)は、アイスキュロスの勝利を伝えています。

これらのうち現存するのは本作『テーバイ攻めの七将』のみです。

この三部作は、古くから成立していたとされる叙事詩『テーバイス』(Thebaïs)及び『オイディポデイアー』(Oidipodeia)から題材をとっています。

テーバイに関わる神話に基づいて、ギリシャ悲劇詩人たちは多くの作品を書きましたが、これらのなかで本作は現存するもっとも古いものです。

『テーバイ攻めの七将』以降では、ソポクレスの『オイディプス王』(紀元前427年ごろ)、『アンティゴネー』(紀元前441年ごろ)、『コロノスのオイディプス』(紀元前401年ごろ)、エウリピデスの『救いを求める女たち』(紀元前420-415年ごろ)、『フェニキアの女たち』(紀元前409年)が現存する同系列の作品であり、物語の背景や登場人物が共通しています。なかでもエウリピデスの『フェニキアの女たち』は本作と同じ戦いを描いています。

『テーバイ攻めの七将』は戦いを扱いながら、舞台で示されるのはテーバイ城内のエテオクレースとその周辺のみに限られ、戦闘そのものについては直接語られません。また、相争う兄弟のうちエテオクレースは主人公であり優れた人物として描かれますが、一方のポリュネイケースは災いを引き起こす厭うべき存在とされています。こうした大胆な省略、対比の強調はアイスキュロスの悲劇に特徴的に見られるもので、この手法によって、エテオクレースの英雄性が端的に表出されています。

編成は俳優2人と合唱隊(コロス)により、ギリシア悲劇としては古い形式を採っています。

(3)『救いを求める女たち』(ヒケティデス)

ウォーターハウス による『ダナオスの娘たち』ダナオスの娘たち

<ウォーターハウス による『ダナオスの娘たち』>

神話にあるダナオスとその50人の娘の伝説を扱った作品です。

続く2作『エジプト人』(アイギュプティオイ)と『ダナオスの娘たち』(ダナイデス)を加えた三部作(ダナイデス三部作)に、サテュロス劇『アミューモーネー』を加えた計四作で構成されていました。

しかし、今日では本作以外は散逸しています。正確な上演年は不明ですが、この作品と同時上演された『ダナオスの娘たち』によってソポクレスを破ったとの記録がありますので、古くともソポクレスが登場した紀元前468年以後の後期作品であると推測されます。中でも紀元前463年が有力と考えられます。

作中に占める合唱隊の役割が他の作品に比べて大きく、アリストテレスによって悲劇の起源とされる「ディテュランボス」(酒神讃歌)の影響を未だ濃く残している作品だと言えます。このため、かつては上記の年代よりもさらに古くに書かれたものだと考えられていました。

(4)「オレステイア三部作」

これは、トロイア戦争におけるギリシア側総大将アガメムノン一族についての悲劇作品三部作です。

『アガメムノン』

アガメムノーンアガメムノーン

文字通り、トロイア戦争におけるギリシア側の総大将であるミュケーナイのアガメムノンを題材とした作品であり、彼の帰還から死の直前までを、殺害者である妻クリュタイムネーストラー等の言動を中心に描くものです。

紀元前458年のアテナイにおけるディオニューソス祭にて、「オレステイア」三部作の他の二篇、およびサテュロス劇『プローテウス』と共に上演されました。

『コエーポロイ』(供養する女たち)

アガメムノンが殺された8年後、帰還した息子のオレステースが、姉エーレクトラーに事情を教えられ、復讐として母であるクリュタイムネーストラー等を殺し、復讐の女神たち(エリーニュエス)に取り憑かれるまでが描かれます。

表題「コエーポロイ」(ギリシャ語: Χοηφόροι)とは、「コエー」(ギリシャ語: χοή、注ぎもの)と呼ばれる麦粉・蜂蜜・オリーブ油の混ぜものを墓前に注いで供養する人々のことであり、作品冒頭でオレステースがアガメムノンの墓参りをしている際に、姉エーレクトラーと共に登場します。舞台上ではコロス(合唱隊)の役割を担います。

紀元前458年のアテナイにおけるディオニューソス祭にて、「オレステイア」三部作の他の二篇、およびサテュロス劇『プローテウス』と共に上演されました。

『エウメニデス』(慈みの女神たち)

復讐の女神たち(エリーニュエス)に取り憑かれたオレステースが、ヘルメースに付き添われながら、デルポイのアポローン神殿、続いてアテナイ・アクロポリスのアテーナイ神殿を訪ね、最後にアレイオス・パゴスの評決によって無罪となり、復讐の女神たち(エリーニュエス)が慈愛の女神たち(エウメニデス)へと変化するまでが描かれます。

表題「エウメニデス」(ギリシャ語: Εὐμενίδες)とは、上記の通り、オレステースに取り憑いていた復讐の女神たち(エリーニュエス)が、アレイオス・パゴスにおける裁きを経、アテーナーの説得によって変化した形態である、慈愛の女神たちを指します。

舞台上では、復讐の女神たち(エリーニュエス)の段階も含め、コロス(合唱隊)の役割を担います。

紀元前458年のアテナイにおけるディオニューソス祭にて、「オレステイア」三部作の他の二篇、およびサテュロス劇『プローテウス』と共に上演されました。

(5)『縛られたプロメテウス』

縛られたプロメテウス

<ギュスターヴ・モローによる『プロメテウス』>

ギリシア悲劇は三部作で上演されるものであるため本作はその第1編であり、この後に『解放されたプロメテウス』『火を運ぶプロメテウス』の2編が続き、「プロメテウス三部作」を構成するものと考えられています(『火を運ぶ~』を三部作の冒頭に持ってくる意見もあります)。

また、これらとは別に『火を点けるプロメテウス』という作品もありますが、こちらはペルシア人競演の際のサテュロス劇『プロメテウス』だとされており、「プロメテウス三部作」には含まれません。しかし、これら3編は散佚し、わずかに断片のみが現代まで伝わっています。

この作品は後の時代の無名の脚本家の作で、アイスキュロスの作ではないという説もあります。上演年代についても不明で、『テーバイ攻めの七将』、『オレステイア』の間に上演されたとする説、晩年の460年代とする説の他、紀元前478年以前とする説などがあげられますが、『オレステイア』(紀元前458年)より後の晩年の作品としたり、死後の他者の手によるものとして紀元前440年代-紀元前430年代の上演とする見方が有力です。

4.アイスキュロスの言葉

今から4000年ほど前のエジプトの遺跡で見つかった手記に、「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしい」と書かれていたという逸話があります。

また、今から2500年ほど前の古代ギリシャの三大悲劇詩人の言葉を見ても、「人間は今も昔も同じようなことを考えていた」ことがわかります。

フランスの哲学者・数学者デカルト(1596年~1650年)は、「我思う、ゆえに我あり」と述べ、同じくフランスの哲学者・数学者パスカル(1623年~1662年)は「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と喝破しました。

大昔の名もなき物言わぬ庶民たちも、書き残していないだけで、いろいろと考えたり悩んだりして人生を生き抜いたのだろうと私は思います。

(1) 賢い人とは多くのことを知る人ではなく、大事なことを知る人である。

(2) 成功は人間の目に神のごとく映る。

(3) 真理の言葉は単純である。

(4) 私は辛い人生より死を選ぶ。

(5) 苦しみの報酬は経験である。

(6) 悩みによってはじめて知恵は生まれる。悩みがないところに知恵は生まれない。

(7) たとえ老人であっても、知恵を学ぶことは立派なことである。

(8) 手軽なことだ、災難を身に受けない者が酷い目に遭ってる者らに、あれこれと忠告するのは。

(9) 言葉は怒りに病める心の医者となる。

(10) 憧れざる人間は幸せになれず。

(11) 真の悲しみは、苦しみの支え杖である。

(12) 英知は苦難からもたらされる。

(13) 正しい思慮こそが神の最上の贈り物である。

(14) 幸福な状態においてその生命を終えた者のみを、幸福であると考えるべきである。

(15) 年をとるにつれて、時は多くの教訓を教える。

(16) 苦しみこそ悟りの母。

(17) 幸福なる状態において、その生命を終えし者のみを幸福なりというべし。

(18) 嫉妬心を少しも持たず、友人の成功を喜ぶ強い性格の持主は皆無である。

(19) 倒れている者を、その上、蹴りつけようというのが人間の生まれつきの性である。

(20) 惨めに生まれたるよりも生かれざるがよし。