古代ギリシャの喜劇詩人(その2)メナンドロス

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前に「ギリシャ喜劇とは何か?」という記事を書きましたが、古代ギリシャにはアリストパネスとメナンドロスという傑出した喜劇詩人(喜劇作者)がいました。

そこで今回は、メナンドロスについてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.メナンドロスとは

メナンドロス(古代ギリシャ語: Μένανδρος / Menandros、紀元前342年~紀元前292年/291年)は、古代ギリシャ(ヘレニズム期)の喜劇詩人(喜劇作者)です。ギリシャ喜劇 のうち、「新喜劇」(アッティカ新喜劇(Attic new comedy) あるいは アテナイ新喜劇(Athenian new comedy))と呼ばれる作品群の代表的な作者です。

紀元前4世紀は、紀元前5世紀と違い政治よりも哲学・修辞学の時代、また個人の国家からの遊離の時代でした。こうした時代背景をもつメナンドロスの作品は、古喜劇のもっていた強烈な政治性と個人風刺には欠けますが、その反面、日常市民生活の種々の様相を、警句、皮肉、また思いやり、そして一種の諦念(ていねん)すら含んだ筆致で活写し、そこに潜む人生の哀歓を生き生きと描出しています。

筋立ては、恋の駆け引き、私生児と捨て子の問題、親子兄弟の対面な主なものもので、そこに狡猾だが忠実な召使い、利発な遊女、頑固親父、放蕩息子、尊大な軍人、若妻、恋に悩む若者、純情な乙女などの諸人物が登場し活躍します。

その筆の冴えは、すでに古代において「メナンドロスと人生よ、汝(なんじ)らのうちのどちらがどちらを模写したのか」(ビザンティオンのアリストファネス)との賛辞を博しているほどですが、その作品は、単に当時の世相の模写にとどまるものではありません。

それは、随所にみられる詩人の透徹した人生観、人間観によって、単なる風俗喜劇を超えたところに到達していると言えます。この点で彼は、ジャンルは異なるとはいえ、悲劇詩人エウリピデスの後継者ともみなされます。

2.メナンドロスの生涯

メナンドロスは、アテナイの富裕な名門に生まれました。父はアテナイの将軍・政治家であるディオペイテス、叔父は喜劇作家アレクシスで、メナンドロスの喜劇はこの叔父から影響を受けたと考えられます。

メナンドロスは、哲学者・博物学者テオプラストス(アリストテレスの後継者)の友人・同僚であり、ときには弟子でもありました。

また、アテナイの独裁者であったファレロンのデメトリオスとも親密でした。

またエジプト王プトレマイオス1世の後援者でもありました。プトレマイオスはメナンドロスをその宮廷に招こうとしましたが、メナンドロスはこれを拒み、愛人のグリセラとともにピレウスにある別荘で隠棲することを選びました。

メナンドロスは、生涯に数百点の喜劇を著しました。レナイアの祭典でも7回にわたって賞を得ています。

アテナイのディオニューシア祭での記録ははっきりしませんが、同様に素晴らしいものであったろうと推測されています。

劇作上のライバルであり、グリセラの愛を競った相手であるフィレモンは当時多くの人気を得ていましたが、メナンドロスは自分の方がより優れた劇作家だと信じていました。

アウルス・ゲッリウスが記すところによると、メナンドロスはフィレモンに「私より名声を得ていることが恥ずかしいと思わないのかね」と訊ねたということです。

また、カラクテーのカイキリオス(エウセビオスの著書 Praeparatio evangelica ではテュロスのポルピュリオスとされています)によると、メナンドロスのThe Superstitious Man が アンティファネスのThe Augur からの剽窃の疑いをかけられ有罪になったということです。

もっとも、このような主題の変形は当時としてはありふれたものであり、嫌疑はばかげたものでした。

のちにオウィディウスの Ibis の注釈者が記すところによると、メナンドロスは入浴中に溺死したということです。彼の栄誉を讃えて土地の人々はアテナイへと通じる道に墓所を作りました。この墓所は、2世紀の地理学者パウサニアスによっても描かれています。

3.メナンドロスの作品

メナンドロスはエウリピデスを崇拝し、模倣しました。メナンドロスの日常の生活に対する鋭い観察や心理分析、道徳的な格言好みは、多くの諺を生みました

「友のものは皆のもの」(The property of friends is common)、「神々が愛する人たちは若くして死ぬ(=才子薄命)」(Whom the gods love die young)、「悪い付き合いは良い習慣を駄目にする(=朱に交われば赤くなる)」(Evil communications corrupt good manners)などであり、のちに新約聖書の中で引き合いに出されたものもあります。

また、メナンドロスの初期の作品 Drunkenness にあった、政治家を槍玉に挙げるセリフは長く残りました。アリストパネス式に下品な言葉を投げかける場面は、メナンドロスの作品では多く見られます。

ローマ時代には、メナンドロスを模倣する作家たちが現れました。テレンティウスの作品にはメナンドロスの作品が公然と引用されたり、あるいは他の題材とあわせて用いられたりしています。

このほか、プラウトゥスやカエキリウス・スタティウスの作品にもメナンドロスの影響が色濃くあります。

プルタルコスはメナンドロスとアリストファネスを対比し、クインティリアヌスはメナンドロスが「アッティカの語り部カリシウス」の名で作品を発表したという伝統的な解釈を受け入れた上で賞賛するなど、メナンドロスは古代の作家たちのお気に入りの人物でした。彼の胸像も多く残されています。

メナンドロスは作者のはっきりしないいくつかの風刺詩の作者に擬せられました。プトレマイオス1世とやりとりしたとされる手紙や議論がスーダ辞典に言及されていますが、おそらく実際にはメナンドロスのものではないでしょう。出典の定かでないもの、出典が異なるものも含まれた警句はのちに集められ、「メナンドロスの一行格言」(Menander’s One-Verse Maxims)など学校で用いられるような道徳書として刊行されました。

完全な形の彼の作品がどれだけの期間存在したかははっきりしませんが、ミカエル・プセルロスが記述するところによると、11世紀のコンスタンティノープルでは23作品を見ることができたということです。

いつしか彼の作品そのものは忘れ去られ、19世紀の終わりになると、メナンドロスについて知られていることは、他の作者によって格言として引用された断片がすべてでした。アウグストゥス・マイネッケらが記した書には、古代の辞書編纂者が引用した1650もの格言が収集されています。

4.メナンドロスの作品の再発見

1907年、カイロ古写本の発見によってこの状況は急変します。この写本には、「サモスの女」の大部分、「髪を切られる女」、Men at ArbitrationHeroの一部と、その他もとの作品がはっきりしない断章が含まれていました。

これに先立つ1906年には、Sikyonian(s) の116行分の断片がミイラの棺に収められた張り子から発見されています。

1959年に公刊されたボドマー・パピルスには、Dyskolos、「サモスの女」の大部分、Shieldの半分が含まれていました。

1960年代の終わりには、2つのミイラの棺の充填材とされていたパピルスから Sikyonian の多くの部分が見つかりました。この断片は、1906年に見つけられた部分と同一の出所を持つ資材で、明らかに再利用されたものでした。

その他のパピルスの断片も、発見と公刊が続いています。

5.メナンドロスの現存する作品

(1)デュスコロス(人間嫌い、気むずかし屋)

彼の喜劇の中で、ほぼ完全な形で現存する唯一の作品として知られます。

人間嫌いとして有名な実在のアテナイ人ティーモーンをモデルとした、クネーモーンというアテナイ郊外に住む老人を主人公に、彼の娘、その異父兄ゴルギアース、娘に惚れた金持ち息子ソーストラトス等が絡みつつ、クネーモーンが改心していく物語が描かれます。

紀元前316年のレーナイア祭で上演され優勝しました。

(2)アスピス(楯)

主人であるクレオストラトスが戦死したと早合点し、彼に託された戦利品と楯を持って一足先に帰ってきた忠実な奴隷ダーオス。そんな彼と、クレオストラトスの財産と妹を狙う伯父スミークリネース、それを防ごうとするその弟カイレストラトス等が絡みながら、物語が進展していきます。

欠損が激しく、上演年代も分かりません。

(3)エピトレポンテス(辻裁判、調停裁判)

原題の「エピトレポンテス」は、「委ねる」を意味する動詞「エピトレペイン」の現在分詞で「委ねる者たち」の意。劇中で行われる一時的・臨時的な仲裁人を立てた仲裁にちなみます。

アテナイ富裕市民カリシオスと妻パンピレーは、結婚して半年の新婚夫婦ですが、互いを知らずに婚前交渉を行い、妻はそこで孕んだ子を密かに産んで捨てたことで、険悪な夫婦仲にあります。

子供は羊飼いが拾い、カリシオスの炭焼き奴隷夫婦に引き取られました。妻の父スミークリネースを含め、そんな様々な面々が絡みつつ、徐々に誤解が解かれていく様が描かれます。

欠損が激しく、原本の3分の2程度しか残っておらず、上演年代も分かりません。

(4)ペリケイロメネー(髪を切られた女、髪を切られる女)

軍人ポレモーンと愛人グリュケラー、その彼女に惚れている生き別れの双子の兄であるモスキオーン、そんな兄妹を捨てた本当の父親パタイコス、そんな面々が絡みながら、事の真相が明らかになっていく様が描かれます。

「髪を切られる(切られた)女」というタイトルは、物語の冒頭で、グリュケラーがモスキオーンに抱擁・接吻されている場面を召使いから伝え聞いたポレモーンが、怒って彼女の髪を切ったことにちなみます。

欠損が激しく、上演年代も分かりませんが、内容から制作年代は紀元前313年頃と考えられます

(5)サミア(サモスの女)

アテナイの富裕老人デーメアスとその愛人であるサモス島出身の遊女クリューシス、そして彼の養子モスキオーン、隣人である老人ニーケーラトスとその娘プランゴーン。老人2人が旅行に行っている間、モスキオーンとプランゴーンが祭で性交渉を行い、生まれた子供はクリューシスが引き取り、モスキオーンとプランゴーンの2人は結婚することになりました。そこに事情を知らない老人2人が帰ってきて、誤解から様々な騒動が起き、それが解決されていく様が描かれます。

題名の「サミア」(サモスの女)とは、作中のサモス島出身の遊女クリューシスにちなます。

欠損が激しいですが、上演年代は紀元前314年頃と推定されます。

(6)シキュオーニオイ(シキュオーン人)

題名は「シキュオーンの人々(男たち)」の意。単数形の「シキュオーニオス」(ギリシャ語: Σικυῶνιος, Sikyōnios)という題名もよく用いられます。

欠損が激しく、上演年代も分かりません。

他、断片

6.メナンドロスの言葉

今から4000年ほど前のエジプトの遺跡で見つかった手記に、「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしい」と書かれていたという逸話があります。

また、今から2500年ほど前の古代ギリシャの三大悲劇詩人の言葉を見ても、「人間は今も昔も同じようなことを考えていた」ことがわかります。

フランスの哲学者・数学者デカルト(1596年~1650年)は、「我思う、ゆえに我あり」と述べ、同じくフランスの哲学者・数学者パスカル(1623年~1662年)は「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と喝破しました。

大昔の名もなき物言わぬ庶民たちも、書き残していないだけで、いろいろと考えたり悩んだりして人生を生き抜いたのだろうと私は思います。

・健康と知性は生きることの恵み。

・富はあまたの苦痛を覆う。

・白髪が知恵を生み出すわけではない。

・望むようにではなく、できるようにしか生きられない。

・すべての自由人は法というひとつのものに屈従するも、奴隷は法と主人の二つのものに屈従する。

・人間は、不幸にありては希望が救いの主。

・娘ほど荷厄介なる、取り扱いがたきものなし。

・都合のよきときに、富み栄えている人にへつらう友は、まことの友にあらず、都合の友なり。

・一度投げた石は手に戻らないし、一度口に出した言葉は口に戻らない。

・苦しみなき貧しさは、悲惨なる富裕に優る。

・逆境の際の最大の慰めは、思いやりのある心に出会うことだ。

・「汝自身を知れ」はよいことだが、他人を知るのはもっとよいことだ。

・女とは必要悪である。

・女は、男にとっては心地よいわざわいである。

・感謝は、恩恵を受けた後ですぐに老いる。

・人の性格は会話によりて明らかにされる。

・貧乏人の親類縁者は、見つけ出すのに骨が折れる。

・時は免れがたきすべての禍の医者なり。

・結婚は邪悪なるも必要なる邪悪なり。

・結婚は、ほとんどすべての人が歓迎する悪である。

・主人とはいえ結局は家庭の一奴隷。

・暴君が三人いる。法と習慣と必要である。

・すべての人間にとって、共通のあらゆる多くの禍いのうち最大のものは悲しみである。

・沈黙は、尊厳荘重の態度であるのみならず、しばしば有利で周到な態度である。

・父親は娘について自慢し、母親は息子について自慢しがちなものである。

・他人のことについてしゃべるほど痛快なことはない。

・万物はすべて土から来て土にかえる。

・貧者(ひんじゃ)は、たとえ真実を語るとも信じられず。

・父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。

・我々の考えることと、言うこと、行うこと、すべてこれ「運」にして、我々はただ「運」の発行する手形の権利譲渡にすぎず。

・人を説き伏せるのは、話し手の言葉ではなく、その人柄だ。

・男心をそそるただひとつの、正真正銘の愛の媚薬、それは思いやり深い気立てなり。男は常にこれに参る。

・黙るか、さもなければ言葉が沈黙にまさるようにせよ。

・男心をそそるただひとつの、正真正銘の愛の媚薬、それは思いやり深い気立てなり。男は常にこれに参る。

・怒った人が適切な助言を与えたことはない。

・兵士は死神に雇われている。生きるために死にいく。

・人間にとって、言葉は苦悩を癒す医者なり。なぜならば、言葉のみが魂を癒す不可思議なる力を有するからなり。

・逆境においては、人は希望によって救われる。

・後悔は、自分が自分に下した判決である。

・沈黙は賢者には十分なる答えなり。沈黙は同意を示す。