皇居や京都が空襲を免れた理由

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皇居

太平洋戦争中、日本は各地で米軍のB29戦略爆撃機やグラマン戦闘機による「空襲」の被害を数多く受けました。B29から東京や大阪の住宅密集地に投下された「焼夷弾」は、ナパーム弾(油脂焼夷弾)で、木造家屋が多い日本ではたちまち多くの家屋が焼き尽くされ、住民が死傷する大きな被害をもたらしました。そして、極めつけは広島と長崎への「原子爆弾の投下」でした。

この「無差別爆撃(絨毯爆撃)」は、軍需工場などを標的とした「精密爆撃」とは異なり、明らかに一般住民の被害が予め想定されるもので、国際法違反と言えると私は思います。しかし、ドイツは1940年9月から1941年5月までの8ケ月間、何度も「ロンドン大空襲」を行いました。その結果、43千人以上が死亡し、百万人以上が家を失ったと言われています。

日本の空襲による被害は、東京(1945年3月10日の東京大空襲が最大)で死者116千人以上、焼失家屋770千戸以上、名古屋(1945年3月12日の名古屋大空襲が最大)で死者13千人以上、焼失家屋168千戸以上、大阪(1945年3月13日の大阪大空襲が最大)で死者15千人以上、焼失家屋364千戸以上と甚大なものでした。1945年8月6日と9日の原爆投下の被害は、広島で死者14万人、長崎で死者7万人でした。しかし、京都は大きな空襲はなく、死者215人、焼失家屋不詳という程度でした。

話が少し脱線しますが、ここで日本軍による「アメリカ本土空襲」についてお話します。これは、海軍の艦載機と陸軍の風船爆弾(気球爆弾)による空襲です。一回目は、オレゴン州とカリフォルニア州の州境の森林に2個の焼夷弾を投下し、森林を延焼させたというもの。二回目は、オレゴン州の森林に2個の焼夷弾を投下し、森林を延焼させたというもので、これが全てです。いずれも1942年9月のことです。この空襲は、森林被害が目的で人的被害を狙ったものではないため、民間人・軍人ともに被害はありませんでした。

風船爆弾は、気球をジェット気流に乗せてアメリカ本土まで飛ばすというもので、約9,300発のうち10%程度がアメリカ本土に到達したようですが、大きな被害は出なかったようです。

さて閑話休題、そろそろ本題に入りましょう。皇居や京都がほとんど空襲を受けなかった理由ですが、これには様々な説があります。

1.文化人類学者からの助言によるもの

菊と刀 (光文社古典新訳文庫) [ ルース・フルトン・ベネディクト ]

これは、私が大学生の時、文化人類学の授業で聞いた話です。日本文化を説明した「菊と刀」(The Chrysanthemum and the Sword:Patterns of Japanese Culture)の著者のルース・ベネディクトの助言で、天皇は古来日本人にとって精神的支柱とも言うべき大切な存在であるから、これを攻撃することは、戦略的に望ましくないというものです。京都も古来天皇の住居である「御所」があり、天皇家ゆかりの寺院などもあるので、皇居と同様に空襲対象にすべきでないというものです。

また、当時のトルーマン大統領が、著名な日本学者ライシャワー(元駐日大使)から、古都京都の文化財の重要性を説明され、京都への空襲を殆ど行わなかったという話もあります。

さらに昭和20年11月11日の朝日新聞の報道で、「京都・奈良無傷の裏 作戦国境も越えて「人類の宝」を守る米軍の陰に日本美術通 」という見出しで「東洋美術学者のウォーナー氏が、歴史的文化を守るために京都や奈良などの古都への空襲を控えるようアメリカ政府に進言した」と大きく伝えられたため、一般常識として定着したようです。

アメリカは、開戦前後から、戦後処理や占領政策の方法を周到に準備していたようで、ルース・ベネディクトの研究は米政府の戦時情報局からの依頼によるものです。

空襲についても、占領後に活用する必要性から、皇居・皇族の住居・軍司令部・大蔵省などの重要官庁・国会議事堂・財閥の本社ビル・新聞社・横須賀軍港などの重要施設は対象外とされていました。

京都を空襲対象から外したのも「文化財保護」という観点からではなく、あくまでも戦後日本の占領政策上、天皇にゆかりの深い京都を焼き尽くすことは得策でないということです。特にソ連との関係で、日本が共産主義化する恐れがあったからです。トランプ大統領を待つまでもなく、「America First.」だったわけです。

2.京都は3発目の原爆投下対象都市として温存されたというもの

この説によれば、広島・長崎の原爆投下があっても、日本が無条件降伏をしていなかったら、京都も原爆の被害を受けていたかも知れないことになりますね。

3.占領後に京都や奈良の古美術品をアメリカに持ち帰るため

「賠償金代わりに日本から取り上げる古美術品リストを作成していた」というオチまでついたこの説は、あまり信憑性がありません。

しかし奈良や京都の古寺・仏像の写真で有名になった写真家の入江泰吉氏は、「美術品をアメリカに持って行かれる前に、写真を撮っておこう。」というのが、仏像写真を撮り始めた動機だと本に書いています。京都や奈良でそういう噂が流れたことは事実のようですね。

蛇足ですが、私が中学生や高校生の頃は、「受験」に余り関係しないためか、歴史の授業で「現代史」はほとんど取り上げられませんでした。さらりと済ませるか、「時間があれば読んでおくように」という程度だったと思います。しかし、本当は現在の世界情勢を考える上で、また正しい判断をする上で、日本人としてしっかり現代史を学ぶ必要があるのではないかと思います。それは、朝日新聞の捏造記事による「従軍慰安婦問題」などの嘘に惑わされない賢さを身に付けることにもつながると思います。現在の中学生や高校生の歴史の授業ではどうなっているのでしょうか?

<追記>

2019年7月4日付けで「不可解な南北朝時代と天皇家の祖先」の記事を書いていますので、ぜひあわせてお読みください。