京都・南禅寺の「水路閣」を設計・デザインしたのは、21歳の若き土木技術者の「田辺朔郎」氏だった!

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水路閣

皆さんは、京都東山の麓にある南禅寺の奥にひっそりと佇む「水路閣」をご存知でしょうか?テレビのCMやサスペンスドラマのラストシーンなどでも、よく使われていますね。

これは、琵琶湖の水を京都市内に引くための水路である「琵琶湖疎水」が、南禅寺境内を通る部分について、周囲の景観に配慮して21歳の若き土木技師の田辺朔郎氏が設計・デザインし、明治21年に完成した水路橋です。

全長93.2メートル(幅4メートル、高さ9メートル)で、煉瓦・花崗岩造りでアーチ型橋脚を持つ風格ある建造物で、静かな東山の風景に溶け込んでいます。古代ローマの水道橋を思わせるようなデザインですね。右脇の階段を上まで登ると、水路閣を滔々と流れる疎水を見ることが出来ます。

古代ローマの水道橋は、ローマ帝国の滅亡とともに、多くは破壊されましたが、現在でもいくつかの水道橋が、ヨーロッパ各地に残存していて修復して使用されているそうです。

京都市は現在でも「琵琶湖疎水」を利用して年間2億トンの琵琶湖の水を得ているそうです。

私は、歴史は「個人」によって作られるという考えを持っていますが、この南禅寺水路閣を設計・デザインした田辺朔郎氏の例もそうだと思います。彼は、日本初の水力発電所(蹴上発電所)の建設や、関門海底トンネルの提言を行うなど、日本の近代土木工学の礎を築いた人です。

彼は、工部大学校(今の東京大学工学部)在学中に、京都府知事が「遷都で疲弊した京都を活性化させるため、角倉了以時代からの長年の懸案だった琵琶湖疎水工事を天皇下賜金で断行する」ことを知り、明治14年に卒業研究として京都へ調査旅行に赴き、卒業論文「琵琶湖疎水工事計画」を完成させました。のちにこの論文は海外雑誌にも掲載され、イギリス土木学会の最高賞「テルフォード賞」を授与されたそうです。このような経緯で、弱冠21歳で琵琶湖疎水の大工事を任されたというわけです。

もし田辺朔郎氏がいなかったら、誰か別の二番手の技術者が出て来て工事を成功させたかも知れませんが、失敗に終わった可能性も高いのではないでしょうか?田辺朔郎氏も、難工事でたびたび苦労したそうです。

田辺朔郎氏は、もともと能力の高い優秀な技術者だったのでしょうが、欧米の技術を熱心に学んで、今まで日本では造られたことのない水道橋を見事に完成させた原動力は、100年先を見据え明治神宮の森を作った大正時代の造園技術者たちと同様の「大志」と「熱意」であったのではないかと思います。

その恩恵を100年後の我々が受けているのだと思うと、先人の偉大さを改めて感じます。

田辺朔郎氏の銅像が、廃線となった「インクライン」の上の「蹴上疎水公園」にあり、京都市内を静かに見下ろしています。