「赤裸々な人間像」を描く「最近の伝記(偉人伝)」

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野口英世

私が小学生の頃は、「伝記」(偉人伝)と言えば、発明王のエジソンや、黄熱病研究者の野口英世博士、ヘレン・ケラー、キューリー夫人などの「偉人の伝記」でした。

しかし、それらは大半が偉人の業績を称え、美化したもので、大人になるとあまり魅力のないものになりました。

私が最近、「伝記」あるいは「伝記小説」で面白いと思った本をご紹介します。

1.遠き落日(渡辺淳一)

これは、野口英世(1876~1928)の伝記ですが、従来の「逆境をバネにして努力を重ね、世界的な学者になった」模範とすべき偉人というストーリーではなく、人間として良い面ばかりでなく悪い面も沢山あった赤裸々な人間野口英世像を描いています。

小さい頃の英世は、勉強だけしていればよく、家の手伝いはほとんどしなかったそうです。猛勉強をする一方、弁舌巧みに借金してはすぐ放蕩生活で使い果たすなど「金銭的性格破綻者」だったということです。

1898年8月、知人からすすめられて、坪内逍遥の流行小説「当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)」を読んだところ、弁舌を弄し借金を重ねつつ自堕落な生活を送る登場人物・野々口精作が彼の名前によく似ており、また彼自身も借金を繰り返して遊廓などに出入りする悪癖があったことから強い衝撃を受け、そのモデルであると邪推される可能性を懸念し改名を決意しました。

実際は、この小説が出版(1885年~1886年刊行)された時、野口清作は9歳の子供で、坪内逍遥も関連性を否定しています。ただ、野口英世が恐れたのは、名前の類似性もさることながら「自堕落で素行の悪い人物」というのが自分とそっくりだったからではないでしょうか?

彼の才能を幼少時に見抜いた郷里の恩人である小林栄(高等小学校教頭)に相談した結果、世にすぐれるという意味の新しい名前「英世」に改名しました。本来、戸籍名の変更は法的に困難ですが、彼は別の集落に住んでいた清作という名前の人物に頼み込んで、自分の生家の近所にあった別の野口家へ養子に入ってもらい、第二の野口清作を意図的に作り出した上で、「同一集落に野口清作という名前の人間が二人居るのは紛らわしい」と主張するという手段によって、戸籍名を改名することに成功しました。

1900年のこと、放蕩生活で借金を重ねたため、アメリカ留学の渡航費用がなくなった彼は、資産家の姪斉藤ます子(医師を志す女学生)と結婚する約束をして持参金を受け取り、渡航費用に充てることにしました。しかし渡航前夜に大半を使い果たしてしまいました。この婚約はうやむやになっており、「結婚詐欺」まがいの話です。彼は1911年にアメリカ人女性メリー・ダージスと結婚しています。

結局アメリカへの渡航費用は、以前から彼を援助していた歯科医の血脇守之助(ちわきもりのすけ)(1870~1947)が、高利貸から借金して用立てたそうです。

ちなみに、血脇守之助は「野口英世のパトロン」として有名な人物で、野口の左手の手術をした渡部鼎の友人です。東京歯科大学の創立者の一人で、日本歯科医師会会長も務めました。

また、英世を世界的に有名にした研究成果に「小児麻痺や狂犬病や黄熱病の病原体の特定」などがありますが、現在では一部を除いてほとんどが間違いだとされているそうです。

私は、医学について専門家でないド素人なので、この本に書かれていることがどこまで正しいのかわかりませんが、従来の伝記に比べるとよほど本当らしく思えます。

野口英世の病原体特定の研究成果のほとんどが、今では間違いとされているという話で思い出すことがあります。

4年前の2014年に理化学研究所の小保方晴子さんが、「スタップ細胞の発見者」「リケジョの星」として、一躍有名になりました。「iPS細胞」でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥京都大学教授の業績をも凌ぐ「世紀の大発見」なのかと、素人の私は当時思ったのものです。結局検証実験を重ねた結果「スタップ細胞」は存在しないと断定され、小保方さんはSTAP論文や博士論文の不正などを理由に「研究者として不適格」の烙印を押され、博士号も剥奪されるなどして、神経衰弱のような状況に追い込まれたようです。最初の記者会見に同席した上司の教授の自殺も追い打ちを掛けたようです。

真相は藪の中ですが、私はこの騒動は、発表時期の「フライング」が原因のような気がしてなりません。もう少し慎重に検証してから発表すべきだったと思います。野口英世の頃とは異なり、最先端の研究についても、世界各国の研究者が検証を行って、それが正しいのか間違いなのかは、1年もかけずに明らかになったのではないかと思うのです。その段階で「スタップ細胞が存在するという(予言?)論文」を撤回していれば、研究者を続けることもできたでしょうし、あれほどバッシングを受けることもなかったのではないかと思います。「失敗は成功の母」とも言いますからね。

今年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)教授も、2014年に「新潮45」という雑誌に寄稿した「STAP論文問題私はこう考える」で「ネイチャー誌、サイエンス誌に掲載された論文の中で、生き残るのは2割以下」と述べています。1年以内に5割が誤りと判明し、数年後にはあと3割が消えて行くそうです。つまり約8割が、掲載後の実証・再現実験による検証の結果『嘘』と判明するのだそうです。

2.父の肖像(辻井喬)

これは、実業家(西武・セゾングループ代表を歴任)・小説家・詩人である著者の堤清二(ペンネーム:辻井喬)(1927~2013)が、明治・大正・昭和にかけての時代を背景に、実の父親である政治家(衆議院議長を歴任)・実業家(西武グループの創業者)の堤康次郎(やすじろう)の生涯を自分自身の半生も織り交ぜながら描いた伝記小説です。

堤康次郎は西武グループの創業者で、5人の女性との間に5男2女を持ちましたが、堤清二が生まれた時は実母とは内縁関係にありました。このことが、父への反抗につながり、東大生時代の共産党への入党や文学への傾斜のきっかけとなって行きます。「父との確執・父への反抗と、父への理解と親愛の眼差し」が交錯して、この伝記小説の底流に流れています。

私には芹沢光治良の自伝的小説である「人間の運命」と同じような魅力を感じる小説で、引き込まれるようにして読了しました。

3.スティーブ・ジョブズ(ウィルター・アイザックソン)

スティーブ・ジョブズ(1955~2011)は、Appleの創業者であり、革新的な製品を生み出し続けてきたカリスマ事業家ですが、56歳の若さで亡くなりました。

彼は、数々の名言を残しています。それは、彼の人生観・仕事観などを独自の表現で示したもので、考えさせられるものが多いです。

「成功と失敗の一番の違いは、途中で諦めるかどうかだ。」

「毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。『もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?』と。NOと答える日が何日も続くようなら、何かを変えなければならないということだ。」

「他人の意見に耳を傾けすぎて、自分の心の声がかき消されてはいけない。最も大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。あなたは既にどうなりたいかを直感的に知っているのだから。それ以外の全ては重要ではない。」

「何か一つのことがうまく行ったら、そこにいつまでもとどまらずに、別の素晴らしいことをやるべきだ。次にするべきことを見つけろ。」

「死んだ時に墓場で一番のお金持ちになりたいとは思わない。私にとって重要なのは、夜眠るときに、自分たちは素晴らしいことをしたと言えることだ。」

「年配の人たちは、『これは何?』と尋ねる。でも少年は、『これで何ができるの?』と尋ねる。」

4.三国志(吉川英治)

吉川英治(1892~1962)は、様々な職業に就いた後に作家活動に入った人物です。彼の小説は、「宮本武蔵」や「新・平家物語」「新書太閤記」「私本太平記」「新編忠臣蔵」にしても、「講談本」のような痛快な面白さがあって、私などはついつい引き込まれて読み進みます。ただ、今ではちょっと「時代遅れ」と感じる方も多いかも知れません。

三国志は、中国の歴史小説「三国志演義」に従いつつも、人物描写は日本人向けに大胆にアレンジしてあるので、大変親しみやすい内容になっています。気宇壮大な構想で、多くの英雄・豪傑・軍師が登場します。

「講談は古臭い」と思っている方には、あまり興味が湧かないかも知れませんが、神田松之丞さんのような「若手講談師」も出て来て、人気があるようですので、毛嫌いせず、一度読んでみられてはいかがでしょうか?