人間五十年は天上界の1日で人間界の儚さを表す。人生100年時代の生き方を考える

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百歳日野原重明

<2021/9/15追記>2021年、日本人の100歳以上の高齢者が過去最高を更新

2021/9/15時点で全国の100歳以上の高齢者は86,510人で、51年連続で過去最多を更新しました。最高齢は118歳の女性で、男性の最高齢は111歳です。

<2021/7/31追記>2020年、日本人の平均寿命は過去最高を更新

2020年の日本人の平均寿命は、男性が81.64歳(2019年は81.41歳)で、スイスに次いで世界第2位、女性が87.74歳(2019年は87.45歳)で引き続き世界第1位です。

1.「人間五十年」の正しい意味

織田信長が、本能寺において明智光秀の謀反に遭い、「人間五十年 下天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり 一度(ひとたび)生を享け 滅せぬもののあるべきか」と、幸若舞の『敦盛』を演じながら、炎を中で48歳の生涯を閉じるシーンは、テレビでよく見ますね。

この「人間(じんかん)五十年」は、「人間の寿命は五十年にすぎない」という意味ではありません。また織田信長が48歳で亡くなったことの連想からか「当時は平均寿命が50歳くらいだった」と勘違いしている方が時々おられます。

「人間五十年」とは、仏教用語で、「人間界(人の世)の50年の歳月」という意味です。「化天(けてん)」の一昼夜は人間(じんかん)の800年に当たり、「下天(げてん)」の一昼夜は人間(じんかん)の50年に当たります。人間界は「化天」や「下天」に比べればなんと儚いあっという間の世界かがわかるでしょう。

私と同じように仏教などの宗教を信じない方は、「宇宙の悠久の歴史」を想像されればよいと思います。宇宙の歴史から見れば、人類の歴史などつい最近の出来事であり、ましてや一人の人生など「須臾(しゅゆ)の間」(一瞬のこと。極小の数字の単位10-15(1000兆分の1)でもある)に過ぎません。

天上界のうち、まだ欲にとらわれている六つの天界を「六欲天」と呼び、「化天」(正しくは「化楽天(けらくてん)」)は第5位、「下天」(正しくは「他化自在天(たけじざいてん)」)は第6位となっています。

「六欲天」は、天上界の中でも人間界に近い下部の六つの天で、上から「四大王衆天(しだいおうしゅてん)」「忉利天(とうりてん)」「夜摩天(やまてん)」「兜率天(とそつてん)」「化楽天(けらくてん)」「他化自在天(たけじざいてん)」です。

ちなみに「六道(ろくどう)」とは、天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界のことです。天上道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道ともいいます。

2.「人生100年時代」の到来

日野原重明さん(1911年~2017年)は、105歳で亡くなりましたが、「生涯現役」の医者でした。著書も多数あり、90歳を過ぎても医療を続ける姿や講演で話す様子がたびたびテレビで放映されました。

戦国時代はともかく、戦後間もない1947年(昭和22年)でも日本人の平均寿命は、男性が50.06歳、女性が53.96歳となっています。それが2016年(平成28年)には、男性80.98歳、女性が87.14歳と驚異的な伸びを示しています。

最近よく言われる「人生100年時代」はちょっと言い過ぎとしても、「人生80年時代」が到来していることは、間違いありません。

2018年には100歳以上の人が69,000人を超えました。

夏目漱石は、49歳の時「明暗」を執筆中に亡くなり、これが絶筆となりました。まだ50歳にもならずに、「則天去私」という達観した境地になれたのは、漱石がいかに濃密な人生を生きたかを示しているように思います。それに比べて、私などはいたずらに馬齢を重ねているようで恥ずかしい限りです。

一方、戦国時代でも徳川家康は73歳まで生きています。家康の遺訓に「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝つ事ばかり知りて、負くる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」というのがありますが、彼の人生観がよく出ていると思います。

家康は幼少時代「人質」として織田氏や今川氏のもとで過ごしたので、質素な生活に慣れていましたが、健康には特に気を使い、天下人となった後も、戦国武将の頃の質素な食生活を続けていたそうです。麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆もよく食べていたとのこと。その成果が当時としては驚異的な73歳という長寿となったのでしょう。

閑話休題して、本論に入りましょう。

3.「人生100年時代」の老後の生き方

私の父の時代は、55歳定年でしたから、「老後」の生活は25年から30年に及びました。私の場合は、70歳でサラリーマン生活から完全リタイアするつもりですので、平均寿命通りの余生とすれば、「老後」の生活は10年程度です。しかし平均寿命はまだ伸びる可能性もあるので、人生100年になれば、父の世代と同じく30年になります。

老後の生き方について考える時期としては、50歳前後が適当ではないかと思います。アメリカ人の実業家などは50歳より前に「アーリーリタイア」をする人もいるそうですが、一般の日本人の場合は、それより前は現役サラリーマンとして脂の乗り切った働き盛りの時期ですので、50歳でよいと思います。スケジュールが真っ白では落ち着かないという人もいるようですが、あまり過密スケジュールにすると余裕がなくなり、「楽しい老後生活」とは言えないと私は思います。「ワーカーホリック(仕事中毒)」に逆戻りしては、元も子もありません。助走期間中に、色々試してみて、自分に合わないと思ったらさっさとやめて、別の趣味を捜せばよいわけです。

しかし、何事もやり過ぎは禁物です。体を壊してしまっては、元も子もありません。「年寄りの冷や水」などと揶揄されない程度に、適当にほどほどにやって行くことです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。自戒も込めて・・・

以下に私が実際に行っている活動をご紹介します。もし皆さんの方で、何か別の面白い活動をしておられましたら、ご教示願います。

(1)読書

現役サラリーマン時代は、常に睡眠不足と慢性疲労に悩まされていて、ゆっくり読書する余裕がありませんでした。しかし、サラリーマンの上りが見え始めた頃から、通勤電車の中で新聞を読むのをやめて、代わりに文庫本読書を始めました。自宅では、図書館から借りて来た別の単行本を2~3冊並行して読むようにしました。これは、現在も続けている私の読書法です。何冊読んだのか数えていないのでわかりませんが、かなりの読書量になるはずです。

(2)サイクリング

私の場合、本格的なサイクリング自転車の「ロードバイク」や「クロスバイク」ではなく、いわゆる「ママチャリ」です。これでも、国道171号線に沿って京都市内に行ったり、淀川左岸の堤防沿いに大阪市内に行ったりしました。最近はそこまで元気がありませんので、せいぜい摂津峡周辺か、西は富田・茨木方面、東は水無瀬・山崎方面、南は枚方・寝屋川方面までのサイクリングです。この程度の距離のサイクリングでも、結構な運動量になりますので、ぜひお勧めします。

以前、スポーツジムの会員になって、水泳やバイク、筋力トレーニングもやったことがありますが、長続きしませんでした。特にバイクは、固定された自転車をひたすら漕ぐだけなので、すぐ飽きてしまいました。やはり、自転車に乗るなら、野外に限ります。

ただし、最近は歩行者との事故も増えているので、あまりスピードを出し過ぎないように十分注意が必要です。またスクランブル交差点での自転車同士の接触・衝突事故や、夕暮れ時の事故も多いようですので、気を付けたいものです。

(3)水泳

最近はブログを始めて忙しくなったので、中断していますが、私は20年以上前から市民プールで水泳を楽しんでいます。高槻市の芝生市民プールや吹田市の片山市民プールは、夏場は屋外の50mプールも使えます。高槻市には、芝生のほか、前島・番田にも温水プールがありますが、いずれも自転車で行ける距離です。どのプールにも「サウナ室」が完備していますので、泳いだ後、サウナで汗を流すのは気持ちの良いものです。ブログが一段落したら、また泳ぎたいと思っています。

(4)ボランティア活動

先日、山口県で行方不明になった2歳の男の子を見つけたスーパーボランティアの尾畠春夫さんのような「ボランティア活動専一」の生活はとても出来ませんが、私もささやかながら、自宅周辺の清掃活動を週に2回のペースで続けています。私は、年齢相応に膝や腰の痛みがあるので、いつまで続けられるかわかりませんが、出来る範囲で続けて行きたいと思っています。

(5)ブログ

今年(2018年)7月に始めたこのブログですが、早いもので120記事を超えました。最初は「いつまで続くかな?」「書くことが無くなるのでは?」「誰も読んでくれないのでは?」と不安がいっぱいでしたが、少しずつ読者の方が増えているようなので、ほっとしています。

しかしなにぶんにも、一般受けのする記事を目指して書いているブログではなく、私の思ったこと・関心のあること・疑問に思うことなどを、私の独断と偏見で記事のテーマとして選んで書いていますので、それほど愛読者数が増えるとは思えません。

私がブログを始めた直接のきっかけは、長男がブログを始めたことですが、もう一つのきっかけは、私の父が長年「日記」を付けていたことです。

確か「3年日記」とか「5年日記」という「連年日記」を愛用していたようです。「ようです」というのは、今現物が手元にないからです。私は父が亡くなった後の遺品整理で、沢山の古書については、一般受けしないと思われる「鉄道の歴史」や「郷土史」は廃品に出し、画集や豪華挿絵集などは古本屋に買い取ってもらいました。「日記」は10冊以上あったように思いますが、ぱらぱらと見て、毎日の出来事や感想を2~3行書いたメモのようなものだったので、廃品に出しました。今思うと申し訳ないような気持ちですが、その当時は、じっくり読む心のゆとりもないような状態でした。

そこで、私は、妻や息子たちへの「遺言」のような気持ちも込めて、このブログを書き始めました。これを読めば、私が69年間の人生の中でどんなことを感じ、考えていたのかがわかると思ったからです。また、記事の内容は、一般の読者の皆さんにも役に立つ面白い情報を提供するよう心掛けていますので、少しずつでも読んでくれる人が増えるのではないかと期待しています。もし、ご意見やご感想があれば、「コメント」をお寄せください。