「カバー曲」が爆発的大ヒットで代表曲に!U.S.A.、なごり雪、Y.M.C.A、まちぶせ

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DAPUMP

世の中には、その歌手の「オリジナル曲」ではなく、他人が歌った歌の「カバー曲」が以外にも爆発的に大ヒットして、その曲があたかもその歌手の「オリジナルの代表曲」のように思われている歌がいくつかあります。

1.U.S.A.

DA PUMP – U.S.A.

DA PUMP(ダパンプ)の大ヒット曲「U.S.A.」が、2018年11月15日に「第60回日本レコード大賞」の最優秀作品賞にノミネートされました。

11月7日には、「2018ユーキャン新語・流行語大賞」が発表されましたが、DA PUMPの「ダサかっこいい/U.S.A.」がノミネートされています。

11月14日には、第69回NHK紅白歌合戦の出場を16年振りに決めるなど大ブレイクした1年でした。

You Tubeでの公式ミュージックビデオ動画再生回数は1億回を超え、子供だけでなく赤ん坊まで夢中になり、全世代に行き渡った「国民的ポップス」になったようです。このような現象はほかの歌手でも、長らくなかったことではないでしょうか?

登美ヶ丘高校

昨年、荻野目洋子さんの「ダンシングヒーロー」が、登美丘高校ダンス部のダンスで再ブレイクしたり、平野ノラさんとの「バブリーダンス」がブレイクした流れを受けて、「ノリノリ・きれっきれっのダンス」で、「『いいねポーズ』のダンスの部分は誰にでも覚えやすく真似しやすい」という点が、ISSAさんの歌声とともに、多くの人の心と体に響いたのではないでしょうか?「Simple is best.」ですね。

11月21日の名誉都民授賞式では、浅田真央さんと竹内涼真さんがDA PUMPと一緒に「いいね」のポーズの部分だけですが、「U.S.A.ダンス」を披露する様子がテレビで流れていました。

この「U.S.A.」という曲が実はカバー曲だということは、知らない人が多いのではないでしょうか?。

原曲は、「ジョー・イエロー(Joe Yellow)」というユニット(1958年生まれのイタリア人アーティストDomenico Ricchiniが作った音楽ユニット)が1992年にリリースした曲だそうです。

「カバー曲」ということで、少し気になる噂があります。「カバー曲はレコード大賞の対象にならない」というルールがあるとの噂です。しかし、「ノミネート」されていますね。その噂によれば、「カバー曲は、ノミネートまではいいが、大賞はあげられない」という関係者が出て来ているようです。

こういう「賞」の選考に関しては、レコード大賞に限らず、選考委員の「買収」とかいろいろとお金がからむ不透明な部分も多いようですね。公正な選考を期待したいものです。

それにしても、このダンスは、これから忘年会、新年会などの宴会や運動会の時などに、余興でやる人も多いことでしょう。

2.なごり雪

イルカ 「なごり雪」 平成2年

「なごり雪」という曲は、イルカさんのオリジナルの代表曲と思われていますが、もともとこの曲は、伊勢正三さんが作詞・作曲したかぐや姫の楽曲です。

1974年にかぐや姫のアルバム「三階建の詩」の収録曲として発表されました。このアルバムはオリコンチャート1位にもなっています。

1975年にイルカさんがこの曲をカバーしたシングルを発売すると、たちまち大ヒットとなりました。以降、日本の早春を代表する歌の一つとして、テレビでも流れますし、カラオケなどでもよく歌われています。また、さまざまなアーティストによってカバーされています。

3.YOUNG MAN(Y.M.C.A.)

西城秀樹 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)(2013年11月)

「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」という曲は、今では西城秀樹さんの代表曲の一つのようになっていますが、元祖は、アメリカのディスコグループである「ヴィレッジ・ピープル」が1978年にリリースしたディスコソングです。

しかし、日本で1979年に西城秀樹さんがカバーした「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の歌詞は、原曲とは全く無関係で「(元気のない)若者を元気にする応援歌」となっています。全身を使って「Y」「M」「C」「A」と行う振り付けというかダンス(?)をテレビでよく見たものです。

元祖は、オリコンで30万枚のセールスですが、西城秀樹さんのカバー曲は、オリコンで80万枚のセールスでした。

4.まちぶせ

石川ひとみ まちぶせ 「 NHK紅白歌合戦 初出場 映像 1981年 ( 昭和56年 ) 」

「まちぶせ」という曲は、今では石川ひとみさんのオリジナル曲のように思われていますが、この歌は荒井由実(現在の松任谷由実)さんが作詞・作曲して、もともとは歌手の三木聖子さんに提供した楽曲です。1976年にシングルが発売されましたが、ヒットしませんでした。

それで、1981年に石川ひとみさんのカバーシングルが発売され、自身の最大のヒット曲になったのです。石川ひとみさんの代名詞のような曲ですね。

しかし、彼女は1978年のデビュー以来3年間は鳴かず飛ばずで、このカバー曲をもらった時は、「この歌だったら、これが私の歌手生活のピリオドになっても悔いはないな」と思ったそうです。「最低4年間は頑張ろう」と考えていたちょうど4年目、10枚目のシングルでした。

彼女にとってこの曲は、起死回生の「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」のような大ヒットだった訳ですね。