「親の愛情」と学校の「保身体質」「隠蔽体質」を実感した話

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親の愛情

私が小学3年生になったばかりの頃の出来事です。「体育」の授業で、二組に分かれて「ソフトボール」の試合をすることになりました。狭い校庭の一角を使ってその試合は始まりました。

バッターと待機している児童たちとの距離は、普通の野球場ではありませんので、3mくらいしかなかったように思います。私も、ほかの児童たちと同じように校庭に座って見ていました。

するとバッターが打った直後に、見ている我々の方に向かってバットを放り投げたのです。その瞬間、バットが飛ぶのをスローモーションで見たような感覚の後、目の前が暗くなり強い痛みを覚えました。私はよける間もなく、顔面にバットを受けて大きなこぶが出来てしまったのです。

しかし、担任の先生は出血がないためか、すぐ病院に連れて行ってくれるわけでもなく、保健室で休んでおくように言っただけでした。

そして、終業時間になった時、皆の前で「今日、体育の授業で○○君が××君のバットに当たってけがをしました。××君がバットをみんなのいる方に向かって投げたのも悪いですが、よけなかった○○君も悪い。これからは注意しましょう。」といった趣旨の話で締めくくりました。

私はこの話を自席で聞いていて、「被害者の方も悪い」と担任の先生が決めつけたことは非常に心外で唖然としました。しかし、その当時はそのような理不尽な話にはっきり抗議する言葉も持ち合わせず、悔しい気持ちを抱いたまま黙っていました。

家に帰ると、母がたんこぶで腫れあがった私の顔を見て、びっくりしました。そしてすぐに外科に連れて行ってくれました。医者は、「少し顔の形が変わるかも知れないが、骨は折れていない」と平然と言いました。それを聞いて母は泣き出してしまいました。

父が帰宅すると、私の顔を見て「一体どうしたんや?」と聞くので、事情を話しました。すると父は、「飯を食ったら、すぐその子供の家に行って、親に文句を言う」と憤慨しました。

8時頃だったと思いますが、父と一緒にくだんの同級生の家に行きました。しかしその家は普通の住宅ではなく、表がガラス扉で「事務所」のような感じでした。

父が「こんばんは」と言って入ると、奥から「誰や?こんな時間に何の用や?」というどすの利いた声がしました。

父が事情を話すと、「坊主は今、若い衆と風呂(銭湯)に行っとる。帰るまでテレビでも見て待っとけ」と答えました。

私は、この家がやくざの組事務所のようで、何だか怖くなりました。父も同様に感じたようですが、仕方なく座敷に上がって「プロレス中継」を見ていました。

しかし15分くらい経っても同級生は戻ってこないので、私は父の袖を引っ張って、帰るように合図しました。それで父も、「こんな時間にあんまり待たせてもらうのも悪いので、息子さんによろしく伝えてください」と言って辞去しました。

先方は、「そうか。坊主が帰ったら聞いとくわ」と言っただけで、謝罪はありませんでした。しかし、私は「やくざのお礼参り」というのが頭に浮かんできて、怖くなりました。父も同様な不安を感じたのではないかと思います。父が喧嘩腰にならなかったのは賢明だったと思います。もし、父が強硬な抗議をしていたら、その組事務所に監禁されて若い衆の「袋叩き」に遭っていたかも知れません。

今考えると、担任の先生は、バットを放り投げた生徒の家が「やくざ」であることを知っていて、「後難を避ける」ために一方的に親がやくざの児童を責めず、被害者の私の「不注意」を責めたのではないかと勘繰りたくもなります。

当時は、「学校の安全注意義務」とか「学校の監督責任」とかが厳しく問われる時代ではなかったので、「学校に抗議する」とか「学校の責任を追及する」ということは、私も両親も考えず、「泣き寝入り」に終わりました。

後日談ですが、バットを放り投げた生徒は私が中学に入ったころには見かけなくなりました。噂では「少年院」に入れられたということでした。

「お礼参り」もなく、その生徒の親との縁も切れたのでほっとしたのですが、最近の「いじめ問題」での学校や教育委員会の「保身体質」「隠蔽体質」の走りだったような気もします。

それにつけても、「親の愛情」の深さを実感した出来事でした。あの時の父の気持ちは、貴ノ岩が日馬富士から暴行を受けた時に貴乃花親方が激怒したのと同じような気持ちだったのではないかと思います。