「少額紙幣」の思い出と「お札の肖像」になった歴代の人物にまつわる話を紹介

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五千円札

千円札

私が子供の頃は、1950年(昭和25年)発行の千円札も1957年(昭和32年)発行の五千円札も聖徳太子の肖像でした。そして一万円札が1958年(昭和33年)に発行された時も、やはり聖徳太子でした。お札のことを「聖徳太子」と呼ぶことがあるのもそのためです。

私が子供の頃は少額の「お札(紙幣)」が今よりも多く、「一円札」「十円札」「五十円札」「百円札」「五百円札」がありました。

1.今は見かけなくなった「少額紙幣」

(1)一円札(肖像:二宮尊徳)

一円札

私が小学生のころは、どこの小学校にも「薪を背負いながら本を読んで歩く姿」(負薪読書図)の「二宮金次郎像」がありました。

二宮尊徳(通称:二宮金次郎)の弟子の富田高慶が著した「報徳記」には、「大学の書を懐にして、途中歩みながらこれを誦し、少しも怠らず」とあります。

一円札があったことをはっきり覚えているのは、1955年(昭和30年)に「アルミの一円硬貨が出来る。しかも原価は一円以上する」ということで当時大変な話題になったからです。

余談ですが、2015年時点での一円硬貨の製造コストは3円だそうです。

(2)十円札(肖像:なし)

十円札

十円札は、私が子供のころ一番馴染みの深かったお札です。というのも、アイスキャンディーなどのお菓子を買いに行くときは、十円札を握って行ったからです。

この緑色のお札には肖像画はなく、左半分に国会議事堂の絵があり、右半分に「圓拾」とありました。今と違って右から書いてありましたが「拾圓」ということです。

十円硬貨(ギザ有り)の発行開始が1953年(昭和28年)ですから、小学校に上がる前は十円札のお世話になっていたことになります。

(3)五十円札(肖像:高橋是清)

五十円札

五十円札は、ほとんど馴染みがありません。「あったような気もする」という程度です。

五十円硬貨(無孔)の発行開始は1955年(昭和30年)ですが、小学校に入る前の子供には50円は「高額」なため、五十円札をあまり見なかったのでしょう。

高橋是清は、「日本のケインズ」とも呼ばれる人物で、首相を務めた後に大蔵大臣も務め、金融恐慌を鎮静化させましたが、二・二六事件で暗殺されました。

(4)百円札(肖像:板垣退助)

百円札

百円硬貨の発行開始が1957年(昭和32年)ですから、小学生のころは遠足のお菓子を買いに行くのに、よく百円札を握って行った記憶があります。長いあごひげが懐かしいですね。

板垣退助は、暴漢に襲われた時発したとされる「板垣死すとも自由は死せず」という言葉で有名な自由民権運動家です。

(5)五百円札(肖像:岩倉具視)

五百円札図

五百円硬貨の発行開始が1982年(昭和57年)ですから、五百円札はもっとも長く使用した「少額紙幣」になります。

岩倉具視は公家出身で、幕末に討幕派と組んで王政復古に尽力し、「維新の十傑」の一人とされています。

「若大将」のニックネームで一世を風靡し、82歳の現在も若々しく芸能活動を続けている加山雄三の母方の先祖に当たる人物でもあります。

2.「新硬貨」発行当時の失敗談

私は「五百円硬貨」が出始めた当初、百円硬貨より少し大きいものの、五百円玉自体にまだあまり慣れていないため、飲食店で500円支払うつもりで、百円玉4枚と五百円玉1枚を出したことがあります。

お店の人は、遠慮がちに「これだけもらえたらうれしいんですけど・・・」と言ったので、出し過ぎに気付いた失敗談があります。今では信じられない話だと思いますが・・・