阿波局とは?頼朝の異母弟・阿野全成の妻で北条氏の為に政治的情報戦で暗躍!

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実衣・宮澤エマ

今年はNHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されている関係で、にわかに鎌倉時代に注目が集まっているようです。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、宮澤エマさんが「頼朝の異母弟・阿野全成の妻」となる「阿波局(実衣)」を演じており、重要な役どころである予感がします。

彼女は「鎌倉殿の13人」では、姉の北条政子をからかったり、父・北条時政の後妻の「牧の方」の態度に腹を立てたり煙たがるなど面白いキャラクターとして描かれていますが、どのような人物だったのでしょうか?

ところで歴史上の人物で、肖像画などがある有名な人はイメージしやすいのですが、「阿波局(実衣)」のように何もない場合は想像しにくいので、冒頭に宮澤エマさんの画像を入れました。

頼朝・政子・義時・時政

1.阿波局(実衣)とは

北条家の家系図

阿波局(あわのつぼね)(?~1227年) は、初代執権北条時政の娘です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、「実衣(みい)」と呼ばれていますが本名は不明です。

異母姉に源頼朝の後妻・政子がいます。母は伊東祐親の娘で、北条宗時・北条義時の同母姉妹に当たります。

2.頼朝の異母弟・阿野全成の妻となり、実朝の乳母となる

義兄・源頼朝の異母弟である阿野全成に嫁ぎ、四男・時元を儲けます。その後、甥である頼朝の次男・源実朝の乳母となります。『吾妻鏡』には全成の「妾」と記されています。

なお、北条泰時の母で義時の妾とされる人物も同じく「阿波局」と呼ばれ混同されることがありますが、これは別人です。

3.「梶原景時粛清事件(梶原景時の変)」のきっかけを作る

阿波局がきっかけとなったとされる一つの事件があります。それが、正治元年(1199年)の「梶原景時粛清事件(梶原景時の変)」です。

頼朝の死によって「十三人の合議制」(「鎌倉殿の13人」)を敷くこととなった鎌倉幕府では、将軍からの信頼が厚かった梶原景時が他の御家人の反感を買っていました。

そんな時、梶原景時が、2代目将軍・頼家に有力御家人の結城朝光(ゆうきともみつ)について讒言しました。

これを事前に知った阿波局は、朝光に景時の讒言を告げます。これをきっかけに朝光は他の御家人を集め、景時を失脚させたのでした。

頼朝が死去し、嫡男・頼家が跡を継いで数か月後の正治元年(1199年)10月25日、御家人の一人である結城朝光が侍所の詰め所で在りし日の頼朝の思い出を語り、「『忠臣、二君に仕えず』というが、自分も出家してそうするべきだったと悔やまれる。なにやら今の世は薄氷を踏むような思いだ」と述べました。

その翌々日の27日、阿波局が朝光に「梶原景時が、先日の発言が謀反心のある証拠だとして讒訴し、あなたはすでに殺されることになっている」と告げたのです。驚いた朝光が御家人たちに呼びかけ、景時を糾弾する御家人66名の連判状を作成し、頼家に提出しました。

11月13日、景時は鎌倉を追放され、翌年の正月に都へ向かう道中で一族もろとも滅ぼされました。

4.夫・阿野全成の謀反・没落の端緒を作る

比企能員の変

建仁3年(1203年)に起こった夫・阿野全成の謀反・没落も、阿波局が父・時政や姉・政子の指示で端緒を作ったと見られています。

このように北条氏の一員として、一族の成り上がりに一役を買った女性でもあったのです。

景時滅亡の3年後、北条氏と2代将軍頼家との争いが激化し、建仁3年(1203年)5月19日に北条氏側と見られた夫・阿野全成が頼家の手の者により謀反人として捕らえられて殺害されました。

頼家は阿波局も逮捕しようとしましたが、政子が引き渡しを拒否しました。

その後頼家は北条氏が中心となって鎌倉を追放され、幽閉されたのち殺害されました。

5.「牧氏の乱」も事前に北条政子に通報

建仁3年(1203年)9月2日に「比企能員の変」が起きました。

その直後の元久2年(1205年)閏7月、今度は北条家の内部で騒乱が起こりました。義時や阿波局の父、時政が迎えた後妻「牧の方」が、時政邸で政務を執っていた実朝を暗殺し、自分の娘が嫁いでいた平賀朝雅を4代将軍にしようと画策したのです。

これは「時政の子である政子・義時・阿波局vs時政の後妻である牧の方」の対立となります。

阿波局は「時政邸に若君(実朝)を置いておくのは、後妻の牧の方に悪意があって、乳母としては危険を感じる」と、実朝が牧の方に殺される可能性があることを事前に政子に知らせていて、クーデターが起きる前に、政子は実朝の身柄を時政邸から義時邸に移動していました。

実朝暗殺に失敗した時政と「牧の方」は御家人の信用を失って失脚し、時政は伊豆の北条氏の領地に帰って10年後に病死しています。

その後の動向は明らかでなく、実朝が暗殺された後、息子・阿野時元が謀反の疑いで義時の命により誅殺された際にも、時元を弁護したなどの記録はありません。

嘉禄3年に亡くなったときには伯母に当たるという理由で北条泰時が30日の喪に服しています。

表舞台では目立たずに「政治的情報戦」で暗躍する形となった阿波局は、波瀾万丈の人生を送りましたが、同母弟の北条義時や異母姉の北条政子より長生きしました。

1224年に北条義時が亡くなり、その翌年(1225年)に北条政子が亡くなった後、1227年11月に後を追うように亡くなっています。

なお、その他の登場人物については「NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主な登場人物・キャストと相関関係をわかりやすく紹介」に書いていますのでぜひご覧ください。



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