不寛容社会になった日本。言葉狩りとポリティカル・コレクトネスについて考える

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炎上不寛容社会

1.言葉狩り

最近、中日ドラゴンズの応援歌の歌詞にある「お前」という言葉が不適切だとして「自粛」することになったという報道がありました。これは明らかに行き過ぎだと私は思います。

これは、ピンクレディーのヒット曲「サウスポー」からとった応援歌に、「レッツゴー○○(選手の名前)、お前が打たなきゃ誰が打つ」というフレーズがあり、与田剛監督が教育上どうかと指摘し、球団と応援団が協議して使わないと決めたそうです。子供が年上の選手に言うのは不適切ということのようです。

しかし「お前」という歌詞のある応援歌を自粛することによって、どの程度子供の教育上の改善効果があるのか、私にははなはだ疑問です。

話が脱線しますが、この「お前」という言葉は、室町時代までは相手に尊敬の気持ちを表す「御前」という言葉でした(「貴様」も同様)。ただ、文化・文政期(1804年~1830年)ごろには「対等」を意味する言葉になり、天保期(1831年~1845年)ごろからは「罵り」言葉となりました。「日本語の変遷」の一例です。

しかも、12球団の応援歌の歌詞の中に「お前」が出て来るのは実に8球団もあるそうです。今回の中日のように、長年慣れ親しんできた歌詞に唐突に「目くじらを立てる」のはどうかと思います。

「障害者」という言葉は、本来は「障碍者」とすべきところ、「碍」という漢字が当用漢字にないことと、「害」という字が悪いイメージがあるという理由で「障がい者」という言葉に置き換えるようになりましたが、障害者に対する差別問題の解決とは直接結びつきません。

蛇足ですが「言葉狩り」とは、「今までは普通に使用されていた言葉などが、一部の人々により不適切だと見なされてタブーとなること」です。

2.ポリティカル・コレクトネス

「社会的に正しい言葉に置き換える」という意味で「ポリティカル・コレクトネス」(political correctness)という言葉があります。

これは、1980年代に多民族国家であるアメリカで使われるようになった言葉で、「性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用すること」です。

ただし、これも「ポリティカル・コレクトネス」を使用したからと言って、「人種差別」や「性別による差別」がなくなるわけではありません。病名が差別的だとして、「感染症」「認知症」「統合失調症」「ハンセン病」などに改名することも同様です。

「言葉狩り」も「ポリティカル・コレクトネス」も、表面を取り繕うだけの「偽善者」のようで、的外れな風潮だと私は思います。

3.不寛容社会の背景

不寛容社会」というのは、「みんなが他人を許すことができず、怒っている社会のこと」です。社会を構成するみんなが、いつも自分以外の誰かや何かに対して、無意識のうちに苛立ちや怒りの感情を抱いている状態です。

現在、日本社会が「不寛容社会」になっている背景としては、一般には次のような原因が挙げられています。

①怒りの刺激を求める人の増加

②マスコミとSNSによる怒りの増幅と拡散

③時代の変化による感情を抑制できない人の増加

私は、このような「過剰批判社会」になった大きな原因は、フライデーなどの写真週刊誌や週刊文春や週刊新潮などの週刊誌による記事と、それを各テレビ局の「情報バラエティー番組」がこぞって取り上げて「煽り立てる」ことだと思います。

テレビは今や「タブロイド紙」か「ゴシップ新聞」のようになっています。かつて評論家の大宅壮一がテレビを「低俗な一億総白痴化のマスメディア」と喝破しましたが、このような状況も予見していたのかもしれません。

もう一つの原因は、週刊誌やテレビによる「煽り立て」に加えて、政治的・経済的な閉塞感と目まぐるしく変化する社会の中で、現代日本人が多くのストレスを抱えて精神的に「ゆとりをなくしていること」だと思います。

過剰な怒りの感情を抑え、「心の平安」(peace of mind)を保つことは、個々人の精神衛生上大変重要なことだと思います。

前に「深呼吸して気持ちを落ち着ける」という記事を書きましたので、参考にして頂ければ幸いです。