井上陽水の少年時代の歌詞の意味は謎めいている?私なりの解釈をご紹介します!

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少年時代井上陽水

井上陽水(1948年~ )作詞作曲の「少年時代」という歌は、メロディーがゆったりとしていて、少年時代への郷愁を誘うようで私の好きな曲の一つです。カラオケでもよく歌いました。

しかし、個々の歌詞については意味やつながりがよくわからず、違和感を抱いたまま今日まで来ました。

前に「谷村新司の昴の歌詞の意味」の記事を書きましたが、今回は井上陽水の少年時代の歌詞の意味を考えてみたいと思います。

1.井上陽水の「少年時代」の歌詞の意味

歌詞は次の通りです。

夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう

青空に残された 私の心は夏模様

夢が覚め 夜の中 永い冬が 窓を閉じて 呼びかけたままで

夢はつまり 想い出のあとさき

夏まつり 宵かがり 胸のたかなりに あわせて

八月は夢花火 私の心は夏模様

目が覚めて 夢のあと 長い影が 夜にのびて 星屑の空へ

夢はつまり 想い出のあとさき

夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう

八月は夢花火 私の心は夏模様

(1)言葉の意味

①風あざみ

これは、8月から10月にかけて花が咲く「ノハラアザミ」が風に揺れている様子を表した井上陽水の「造語」です。「ノハラアザミ」は1mくらいの草丈で、野原で普通に見かけるアザミです。

なお彼はNHKのテレビ番組の中で、「オニアザミという言葉がふと浮かんだ時に、きっとカゼアザミもあるんだろうなと思った。もしそれが無かったとしてもそれでいい。実在しない言葉を歌詞に使ったからといって罪に問われることは無いだろうから」と語っています。

また「響きのよさで作った言葉で、意味ないんだよ」「僕の仕事は真実をお伝えすることではなくて、楽しけりゃいい」とも述べています。

②夏模様

これは主人公の「私」の少年時代の「心象風景」で、「季節は夏が過ぎて秋になったけれども、自分の心は楽しかった夏休みの思い出を、今もまだ引きずっている」ということでしょう。

これも井上陽水の「造語」です。

③宵かがり

「宵」は夜の初め頃のことで、午後6時~9時頃を指す言葉です。夏は蛍狩り・花火・夏祭り・盆踊り・地蔵盆・カブトムシ取り(これは昆虫好きだけの話で一般的ではありませんが)など夜の行事が多いものです。また「祭の宵宮」の時は神社の境内に篝(かがり)火が焚かれます。「かがり」はこの篝火で、鉄製の籠に薪(まき)などを入れて焚く火のことです。

これも井上陽水の「造語」です。

④夢花火

「夢のように儚い花火」という程度の意味だと思います。雰囲気でわかりますが、これも井上陽水の「造語」です。

活動的で楽しかった明るい夏休みの思い出との対比で、夏休みの終わった後の儚さ・空しさ・切なさを象徴的に表現しています。

⑤夢はつまり想い出のあとさき

これが最も分かりづらい言葉です。

ただ、今回調べてみると、よく似た言葉で「夢のあとさき」というのが二つ出て来ました。

一つは山口百恵のラジオのレギュラー番組「夢のあとさき」で、1980年4月から半年間放送されました。

もう一つは、一条ゆかりの漫画作品「夢のあとさき」で、「りぼん」(集英社)の1987年5月号~7月号に連載されました。

「あとさき」は、①ある場所の前と後ろ・前後、②ある時点の前と後・過去と将来、③物事の順序・筋道といった意味です。

この歌の場合、少年時代を懐かしみ、回想する中年男の見た「夢」というのは「夏と冬、年の前後もあいまいに入り混じった少年時代の思い出」のことなのでしょう。

(2)全体の歌詞の意味

「夏が過ぎて アザミの花が風に揺れている 誰かの憧れにさまよっているかのように

季節は秋になったけれど 私の心は楽しかった夏休みの思い出を 今だに引きずっている

そんな楽しい夢が覚めると 今度は暗く長い冬の中に 自分がいる夢を見る

すると今度は 夏祭りや宵宮の篝火が夢に出てきて 胸が高鳴ってくる それに合わせて

夏の終わりを告げる花火が見え 再び私の心は楽しかった夏休みの思い出に浸る

やがて楽しい夢から覚めると 今度は暗く長い影が 夜の星空に伸びて行く夢を見る」

私の勝手な解釈ですが、このようなことを歌っているのではないかと思います。

詩(詩歌)というものは、理屈だけで論理的に解釈しようとするのは無理があります。一般の文章(散文)の叙述と異なり、説明不足や論理の飛躍もあるでしょう。そこで詩人の心象風景とか情感、感性を汲み取る必要がありますが、受け取り方は個々人の自由だと私は思います。

私は中年以降に、「夜中に見る夢」ではありませんが、少年時代の出来事を何の脈絡もなく、後先もバラバラでふと思い出すことが多くなりました。

嫌な出来事を思い出すと、不愉快になったり落ち込んだりしますが、明日のことを思い煩(わずら)う必要もなく何も考えずに無邪気に無心に遊び回っていた少年時代のことを思い出した時は、わけもなく懐かしく、心が癒されるような感じがします。それで、アニメの「聖地巡礼」ではありませんが、子供の頃によく行った摂津峡の方に自転車を走らせることもありました。

2.井上陽水の「少年時代」の作詞作曲秘話

この曲はもともと、彼の飲み仲間であった藤子不二雄Ⓐ(1934年~ )から「少年時代」という自作の詩を渡されて、作曲を依頼されたものです。

出来上がった曲には藤子不二雄Ⓐの詩は一行も使われていませんでしたが、彼が抱いていたイメージ通りの素晴らしい曲となっていたので満足したそうです。井上陽水は、「藤子不二雄Ⓐさんの心をもらった」とコメントしています。

また、メンバーがふざけて弾いたビートルズの「Let it be」の旋律に、井上陽水が歌詞を付けたものが原曲だという話を聞いたこともあります。確かにゆったりしたメロディーが似ていると言えば似ていますね。

この曲は、ビートルズが分裂しつつあるのを悲観していたポールマッカートニーに、亡き母メアリーが降りてきた際に述べた「あるがままを、あるがままに(全てを)受け入れるのです」という囁きを元に書いたと言われています。

ビートルズの曲名の「なすがままに」「ありのままに」という老子の「道」に似た意味と、歌詞の中にある苦難に出会った時の亡き母(あるいは聖母マリア)の言葉、現在中年男として人生を戦っている自分の懐かしい少年時代の思い出などから発想を飛ばして、「少年時代」の歌詞を紡ぎだしたのかもしれません。

3.井上陽水の「少年時代」という曲について

井上陽水の「少年時代」は、1990年9月にリリースされた通算29枚目のシングルで、彼の最大のヒット曲です。

この曲は、1990年に上映された東宝映画「少年時代」の主題歌になりました。この映画の原作は、柏原兵三の小説「長い道」を藤子不二雄Ⓐが漫画化した作品「少年時代」(講談社の「週刊少年マガジン」に1978年から約1年間連載)です。

また、この曲は1991年にはソニーの「ハンディカム105」(「今日は、明日の、思い出です」のキャッチコピーで有名)のCF曲にも採用されました。そのほか、キリンビールや健康家族のCF曲としても使われました。



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