「わらべうた」の歌詞にまつわる謎

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茶壺道中

皆さんは子供の頃、「わらべうた」を歌って遊んだ記憶はありますか?今は「わらべうた」を歌って遊んでいる子供をあまり見かけませんね。

それにしても、よく知られている「わらべうた」でも歌詞の意味がよく分からず、謎が多いように思います。

1.ずいずいずっころばし

これは、もともと「お茶壺道中」についての唄だそうです。

胡麻味噌をすっていると、「お茶壺道中」が来ると言うので、戸をぴしゃんと閉めて、家の中に入り、道中が通り過ぎるまで、家の中でやり過ごすという情景です。

「お茶壺道中」は「新茶」を将軍に献上する行列なので、粗相があると「切り捨て御免」の世の中ですから、庶民は家の中で息をひそめていたようです。すると、米を齧(かじ)るネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れた音まで聞こえてくるという訳です。

2.かごめかごめ

これも江戸時代にできたわらべ歌です。元の歌詞では「鶴と亀がすべった」と「後ろの正面だあれ」ではなく、「つるつるつっぺいた」「なべのなべのそこぬけ そこぬいてたもれ」となっていたそうです。

明治以降に出来た「後ろの正面だあれ」については、子供たちの輪の真ん中で目隠しして座った鬼が、後ろにいる人を当てるという意味はわかるのですが、「鶴と亀がすべった」については、私も調べてみましたが本当に諸説ありすぎで、決定的なものは見当たりませんでした。

また「夜明けの晩に」は、一見矛盾した言葉のようですが、「夜明け前の晩」や「真夜中過ぎの晩」という解釈が多いようです。「夜明けの番人=籠の中の鳥、すなわち鶏」とする解釈もあります。

謎の多いわらべうたの代表的なものかも知れません。

3.あんたがたどこさ

この歌の歌詞のように、「肥後・熊本・船場山」と非常にローカルな地名の入った歌が全国的なわらべうたになっているのも、不思議な感じがします。

戊辰戦争の時に、薩長軍が東征軍として、彰義隊の残党を追って埼玉県の川越市に進駐し、「仙波山」に駐屯していたことがあります。その時、仙波山付近の子供達が兵士に「どこから来たのか?」と尋ね、熊本藩出身の兵士が答える様子が描かれているという説もあるそうです。

4.通りゃんせ

これも江戸時代にできたわらべうたです。

神奈川県小田原市の菅原神社や、埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であるという説があり、ともに発祥の碑が立てられています。

このほか、「関所」を舞台とする説もあります。「行きは楽に通してくれるが、帰りの時は厳しく調べられる」からという訳です。しかし歌詞の中に「天神様の細道」とありますから、どうも当たっていないようです。でも、それではなぜ、天神様へお詣りした後の帰り道がなぜ怖いのか、疑問が残ります。

上記の三芳野神社は、川越城の中にあり、「お城の天神様」と呼ばれていたそうです。城の中なので、見張りの武士もいて、他国のスパイや怪しい者がいないか城から出て行く者(参拝客たち)を厳しく監視したことが、この歌詞の由来だという訳です。

「関所遊び」と言う遊び方の一種で、「ロンドン橋(落ちた)」も似たような遊びのようですね。