「百科事典」や「広辞苑」のような分厚い本は、冗談で「枕にもなる」などと言います。
「枕代わり」と言えば幼児に読み聞かせて眠りを誘う絵本や、退屈で眠りを誘うような大人向けの本もありますね。
ちょっと脱線してしまいましたが、江戸時代にも枕にもなるような「百科事典」があったのでしょうか?
1.江戸時代の百科事典「節用集」
前に「百科事典ブームは、科学技術が遅れた国の証拠!?」という記事を書きました。
これは、「百科事典がたくさん出版されている国は、科学技術の発達が遅れているか停滞している国だということで、文化的に進んだ国でもなんでもない。」という話でした。
ただ、現代のように科学技術が日進月歩で発達している時代と違って、江戸時代には文化・歴史・風俗や実用的なことなど様々なことについての広範な知識を得る方法として、百科事典の必要性はあったと思われます。
室町時代にまとめられた「節用集(せつようしゅう)」は、漢字の書き方を調べるためのシンプルな「字引(じびき)」でした。
それが江戸時代になると、生活に役立つ知識や雑学などが追加され、あちこちにイラストも載せられるなどして、次第にボリュームアップしました。
こうして生み出された増補版の「節用集」は、「江戸時代のウィキペディア」とも呼ぶべき百科事典でした。
2.『遊小僧(うかれこぞう)』より「四方髪(しほうがみ)は昼行燈(ひるあんどん)といふ事」
一家に一冊というほどには備わっていなかった「節用集」ですが、長屋の地主や大家(おおや)のところ、あるいは名主(庄屋)の家など、地域社会のどこかには置かれていました。
南方熊楠のような最初から最後まで読み通したい人は少なく、何か一つのことについて調べたいと思って引く場合が普通なので、調べたい時だけ借りてくれば済む話です。
何も知らないのに、知ったかぶりをする人がいました。人は類をもって集まるという言葉もあるように、もっともらしく勉学に励むふりをする男が友達にいました。
ある時「節用集」を取り出して文字を調べていたところ、その物知り顔の仲間が来て、「何を勉強なさっているのですか?ずいぶん精が出ますね」と声をかけました。
「ええ、あんまり無気力だったので、昔の聖人の道をしっかりわきまえようと思いまして『節用集』を読んでいるのです」と答えると、例の男は感心しました。
「さてさて、素晴らしいことでございます。私も最近は全く勉学に励んでおりません。しばらく『節用集』も開いておりませんので、何ページか読み聞かせてもらえませんか?」
ちなみに「四方髪」とは、「総髪」とも呼ばれる男子の髪型の一種で、長く伸ばした髪を、まわりから掻き上げて、うしろでたばねたものです。江戸時代の医者、禰宜(ねぎ)、学者、浪人などが結んだ髪型で、特に儒者のことをこのように言いました。
「昼行燈」とは、昼間に行灯(あんどん)を灯しても何の意味もないことから転じて、ぼんやりした人や役に立たない人(無能)をあざける言葉として使われます。忠臣蔵で有名な大石内蔵助も「昼行燈」とあだ名されました。
3.『笑顔(わらい)はじめ』より「居候(いそうろう)」
ある儒者のもとに居候している儒者がいました。毎日外に出かけては、お昼ごろに帰って自分の部屋に戻ってきます。
ある時、その居候が小僧を呼び出して「本を貸してくれ」と頼みました。小僧が『文選(もんぜん)』を持ってくると「これじゃあ低い」というので今度は『漢書(かんじょ)』を渡すと「まだ低い」と答えます。そこで『史記(しき)』を手渡すと「これでもまだ低い」。さすがの小僧も呆れてしまいました。
「そもそも『史記』とか『漢書』といえば、たいていの学者が重んじております。それを低いとおっしゃるのは、よっぽどのご学力でいらっしゃるのですね。それじゃあ、何がお望みでしょうか?」
すると居候が答えました。「いやいや、昼寝をする枕に使うだけだから、『節用集』でも構いませんよ」
分厚い本なので、この笑い話のように昼寝の枕に使う人もいたかもしれませんね。
4.『今歳笑(ことしわらい)』より「節用」
「早引節用って、便利だね。どんな知らない字でも、早く簡単に調べられるから」と言うと、田舎の人がそれを聞いていて「あのう、私も調べてもらいたいのですが」と尋ねてきました。
「何という字ですか?」「はい、四文銭を百枚置き忘れてわからなくなったので、どこにあるか引いてみてください」
「節用集」が「何でも載っている事典」といっても、もちろん出ていないこともたくさんあります。そのため載っているはずのないことを調べようとする人が笑いを招きます。