花をテーマにした抒情歌・唱歌

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秋桜コスモス

日本には、四季折々の日本の風景や風物を見て感じたことを歌った美しい抒情歌や唱歌があります。

これらの歌は、我々の心を和ませる癒しの効果があります。特に私のように70歳を過ぎた団塊世代の老人には、楽しかった子供の頃や古き良き時代を思い出させてくれるとともに、心の平和・安らぎ(peace  of  mind)を保つ「心のクスリ」のような気がします。

ちなみに「抒情歌」(「叙情歌」とも書く)は、日本の歌曲のジャンルの一つです。 「抒情詩(叙情詩)」の派生語で、作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、これらの童謡や唱歌をはじめ、歌謡曲のスタンダードなバラードといったものを一つのジャンルにまとめたものです。

ちなみに2006年(平成18年)には、文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしいとして日本語詞の叙情歌と愛唱歌の中から「日本の歌百選」(101曲)の選定が行われました。

前に「季節を感じる抒情歌・唱歌」を5回にわたってご紹介しましたが、今回は「花をテーマにした抒情歌・唱歌」をご紹介します。

1.秋桜 コスモス

山口百恵 秋桜 歌詞

『秋桜 コスモス』は、1977年10月にリリースされた山口百恵のシングル曲です。作詞・作曲:さだまさし。「日本の歌百選」の1曲です。

倍賞千恵子、中森明菜、平原綾香、夏川りみなどの女性歌手から、 福山雅治、徳永英明、河村隆一、そして山口百恵の長男・三浦祐太朗などの男性歌手まで、幅広いアーティストがカバーしています。

淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
この頃 涙脆(なみだもろ)くなった母が
庭先でひとつ咳(せき)をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 くりかえす
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日(あした)嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日も ひとりではなかったと
今更ながら我儘(わがまま)な私に
唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉を
かみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もう少しあなたの
子供でいさせてください

歌詞では、明日に結婚を控えた娘が、過ぎ去りし日々の思い出と母の愛をかみしめる様子が描写されています。

歌詞のポイントは二つあります。一つは「秋桜(あきざくら)」という花の名前、もう一つは「小春日和(こはるびより)」という季語です。

歌の季節は秋なのに、あえて桜や春が含まれる言葉が使われる意味や理由は何でしょうか?

秋の桜という名前の由来は、「花が桜の形と似ていることから」です。

なお、「秋桜」という漢字を「あきざくら」と読まずに「コスモス」と読むようになったのは、この山口百恵『秋桜 コスモス』のヒットに由来しています。

小春日和(こはるびより)とは、晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天のことで、冬の季語です。

晩秋に、厳しい冬の到来を前にして、過ぎ去った春がまるでまた戻って来たかのような穏やかな陽気の日に使われる言葉です。

秋桜(あきざくら)も小春日和(こはるびより)も、冬が近づく秋の季節に、過ぎ去った春の気候や風景がよみがえってきたかのような、秋に春をいとおしむような、ある意味で懐古的な名前です。

山口百恵『秋桜 コスモス』の歌詞の内容に照らして考えると、それはまるで、明日に結婚を控えた秋の日にしみじみと思いだされる、まだ母が若く娘が幼かった頃の懐かしく穏やかな時間を暗に表現しているかのようです。

娘が無邪気な子供でいられた穏やかな春の時間が、結婚を控えた秋のひとときに、母への感謝の気持ちや寂しさとともに鮮やかによみがえってきます。

長い春に比べればほんのわずかですが、それは母と娘の二人が積み重ねてきたかけがえのない人生が凝縮された時間です。

2.庭の千草

Shaylee – 庭の千草(Niwa no Chigusa)アイルランド民謡 / The last rose of summer (Japanese lyrics)

『庭の千草(にわのちぐさ)』は、1884年(明治17年)発行の「小学唱歌集(三)」に『菊』として掲載された日本の唱歌です。

原曲は、アイルランド民謡(歌曲)『夏の名残のバラ(夏の最後のバラ)』です。

作詞者(訳詞者)は、イギリス民謡『埴生の宿(はにゅうのやど)』訳詞でも知られる明治時代の文学者・里見義(さとみ・ただし)(1824年~1886年)。

歌詞の内容は、原曲のアイルランド民謡『夏の名残のバラ』をある程度踏まえた内容となっています。

庭の千草も むしのねも
かれてさびしく なりにけり
あゝしらぎく 嗚呼白菊
ひとりおくれて さきにけり

露もたわむや 菊の花
しもにおごるや きくの花
あゝあはれあはれ あゝ白菊
人のみさおも かくてこそ

『庭の千草』の歌詞では、人生の晩年、愛する人に先立たれ一人残された人物の寂しい気持ちが歌われています。

「かれて」については、花が「枯れる」という現代的な意味と、「疎遠になる、離れる」といった意味の古語「離る(かる)」の二つの意味があると考えられます。

「おくれて」については、「人に先立たれる」という意味の古語「後る・遅る」と解釈できます。親しい人に先立たれて一人残された様子を暗示しています。

「露もたわむ」については、先立たれ一人残されて涙に暮れる様子が目に浮かびます。

「しもにおごる」は古い漢文に由来する表現で、漢字では「霜に傲る」と表記されます。

「傲る」とは、霜に負けずに力強く咲く菊の花の様子を表しており、ここでは悲しみに対して力強く生きていこうとする人物の気丈な様子が暗示されていると考えられます。

なお、寒さに耐える菊を表す「傲霜(ごうそう)」という言葉もあります。

「あはれ」は、寂しさや悲しさを表す古語の感動詞。「みさお(操)」は、不変の意思・節操、伴侶への貞節などの意味があります。

庭に咲いた周りの草花(庭の千草)が皆枯れてしまった中、秋冬の厳しい寒さを一人耐え忍ぶ菊の花のように、人間も強く生きていきたいものだというメッセージが込められているように感じられます。

3.すみれの花咲く頃

『すみれの花咲く頃』は、フランスのシャンソン『白いリラの咲く頃』に基づく宝塚歌劇団の代表曲です。歌いだしの歌詞は「春 すみれ咲き 春を告げる」。

1929年のパリでは、ドイツの流行歌『白いライラックがまた咲いたら』のヒットを受けて、同曲をフランス語カバーした『白いリラの咲く頃』が流行していました。

ちょうどその頃ヨーロッパに渡っていた宝塚歌劇団の演出家・白井 鐵造(しらい てつぞう)(1900年~1983年)は、宝塚歌劇団の創始者である小林一三の命を受け、『白いリラの咲く頃』を含むパリの流行歌を収集しノートにまとめ、日本に持ち帰りました。

同曲を日本語カバーする際、歌詞の「リラ(ライラック)」は、日本人になじみの深い「すみれ」に置き換えられ、今日知られる『すみれの花咲く頃』が誕生しました。

春すみれ咲き 春を告げる
春 何ゆえ人は汝(なれ)を待つ
たのしく悩ましき
春の夢 甘き恋
人の心酔わす
そは汝(なれ) すみれ咲く春

すみれの花咲くころ
はじめて君を知りぬ
君を想い日ごと夜ごと
悩みしあの日のころ
すみれの花咲くころ
今も心ふるう
忘れな君 われらの恋
すみれの花咲くころ

忘れな君 われらの恋
すみれの花咲くころ

以後、『すみれの花咲く頃』は、宝塚歌劇団を象徴する特別な楽曲となって行きました。宝塚歌劇100周年の2014年には、阪急電鉄・宝塚本線の宝塚駅において発車メロディとして採用されています。

ちなみに、日本に持ち込まれた際に花の名前が変えられた世界の歌としては、アイルランド歌曲『夏の名残のバラ The Last Rose of Summer』を元にした『庭の千草』が有名(バラが菊に変わった)です。

4.あざみの歌

あざみの歌(昭和24年)伊藤久男

「山には山の愁いあり 海には海のかなしみや」が歌いだしの『あざみの歌』は、1949年にNHKラジオ歌謡で発表された日本の歌謡曲です。

作曲は『さくら貝の歌』で知られる八洲秀章。作詞は『さよならはダンスのあとに』、『下町の太陽』などを手掛けた横井弘。

山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば

高嶺(たかね)の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は はてなくも
香れよせめて わが胸に

横井は戦後に転居した長野県下諏訪で、自然散策をしながら15編余りの詩をしたためました。最も気に入った一編が、八島ヶ原湿原で書かれた『あざみの歌』だったということです。

八島ヶ原湿原(八島湿原/やしましつげん)(下の写真)とは、長野県の霧ヶ峰にある標高約1,632mの高層湿原です。

八島ヶ原湿原

霧ヶ峰には、八島ヶ原湿原、車山湿原、踊場湿原の3つの湿原があり、そのすべてが国の天然記念物に指定されています。ちなみに八島ヶ原湿原には、『あざみの歌』の歌碑が建立されています。

5.野に咲く花のように

『野に咲く花のように』は、1983年から13年間放送されたドラマ「裸の大将放浪記」主題歌として、夫婦デュオ「ダ・カーポ」が歌った楽曲です。作詞:杉山政美 作曲:小林亜星

野に咲く花のように 風に吹かれて
野に咲く花のように 人をさわやかにして
そんなふうに 僕たちも
生きてゆけたら すばらしい
時には暗い 人生も
トンネル抜ければ 夏の海
そんな時こそ 野の花の
けなげな心を 知るのです

野に咲く花のように 雨に打たれて
野に咲く花のように 人をなごやかにして
そんなふうに 僕たちも
生きてゆけたら すばらしい
時にはつらい 人生も
雨のちくもりで また晴れる
そんな時こそ 野の花の
けなげな心を 知るのです

そんなふうに 僕たちも
生きてゆけたら すばらしい
時にはつらい 人生も
雨のちくもりで また晴れる
そんな時こそ 野の花の
けなげな心を 知るのです

自然に咲く花のけなげさから人生のあり方を学ばんとするこの曲は、ドラマ終了後も小学校の音楽教科書に掲載されるなどして歌い継がれ、小学生向けの合唱曲としても編曲されています。

2007年に塚地武雅(ドランクドラゴン)主演でリメイクされた際にも同曲が主題歌として使われ、槇原敬之によるカバーも劇中歌として流れました。

なお『野に咲く花のように』を歌った「ダ・カーポ」は、1973年8月に『夏の日の忘れもの』でデビューした男女ペアの音楽デュオで、1980年に結婚し夫婦デュオとなりました。

グループ名は、曲の冒頭へ戻ることを指示する演奏記号「Da Capo/D.C.」に由来し、いつまでも「初心を忘れずに」という思いが込められているということです。

6.故郷を離るる歌

故郷を離るる歌 (歌詞つき) 鮫島有美子

『故郷を離るる歌』(こきょうをはなるるうた)は、1913年7月に出版された「新作唱歌 第五集」に掲載された日本の唱歌です。「さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば」のフレーズが印象的です。

ドイツ民謡・歌曲『Der letzte Abend 最後の夜』を原曲とし、『早春賦 そうしゅんふ』で知られる日本の作詞家・吉丸一昌(よしまる かずまさ)(1873年~1916年)により訳詩(作詞)されました。

一説によれば、原曲『Der letzte Abend』は現在のドイツ国内ではほとんど知られていないということです。作詞・作曲者や作曲された年代などは一切不明ですが、ドイツ中部フランケン地方の民謡という情報もあるようです。

「民謡」というよりは「歌曲」に近い完成度の楽曲であり、おそらくはシューベルト歌曲のように、しっかりとした作り手による作品だったのでしょう。

園の小百合 撫子(なでしこ) 垣根の千草
今日は汝(なれ)をながむる 最終(おわり)の日なり
おもえば涙 膝をひたす さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

つくし摘みし岡辺よ 社(やしろ)の森よ
小鮒(こぶな)釣りし小川よ 柳の土手よ
別るる我を 憐れと見よ さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

此処(ここ)に立ちて さらばと 別れを告げん
山の蔭の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて たそがれたり さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

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