「豊臣秀吉」の「人たらしの極意」がよくわかる「長短槍試合」という「講談」

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歌舞伎長短槍試合

織田信長の跡を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉(1537年~1598年)は、人使いに抜群の才能を発揮した天才的な「人たらし」としても有名です。

今回は、豊臣秀吉の見事な「人たらしの極意」がよくわかるエピソードとして、講談「太閤記」の中の「長短槍試合」をご紹介します。

歌舞伎や浪曲にもこの演目がありますが、私が聞いたのはNHKラジオで、講談師初の人間国宝になった六代目一龍斎貞水の講談だったと記憶しています。

1.話の発端

織田信長が家来を集めて、「武具の中で、何が一番有利か」を尋ねると、槍の指南番の上島主水(うわじまもんど)が、「短い九尺柄の槍が一番」と答えます。一方、木下藤吉郎は、「長い三間柄の槍が最も有利」と主張します。ちなみに「九尺」は約2m72cmで、「三間」は約5m46cmです。

そこで信長は、「短い槍を持った軍勢と、長い槍を持った軍勢で勝負する槍試合をせよ」と命じます。百人の足軽を集め、五十人ずつに分けて三日間槍の練習をし、四日目に試合をすることになりました。足軽たちは槍の名手である上島の組に入りたいという者ばかりなので、「くじ」で分けることになります。

2.槍試合までの準備

木下方に決まった足軽は元気がない。どうせ負けると思っていたからです。渋々ながら木下の屋敷に行くと、右側の部屋には煮魚、刺身が大きな皿に盛られ、燗を付けた酒が用意されています。左側の部屋には大福、きんつば、あんころ餅が並んでいます。酒の好きな者は右の部屋へ、甘い物が好きな者は左の部屋へ案内される。

「槍の稽古」に来たのになぜ御馳走があるのか、足軽たちは不審に思います。そこで藤吉郎は「自分は槍のことはよく知らない」と打ち明けます。勝負に勝つことをあきらめた足軽たちは、なかばやけくそで飲食します。

二日目は昨日よりさらに豪勢な御馳走が用意され、足軽たちはたらふく食事します。

最後の三日目、連日の御馳走で太ってしまった足軽たちは不安になって、藤吉郎に「試合に勝つ方法」を尋ねます。すると藤吉郎は、足軽たちに三間の槍を与え、太鼓や号令の合図とともにする動作を教え込みます。

足軽を二十五人ずつに分け、「第一軍」には「稲刈り!」という合図と同時に、上島方の兵の向こう脛を稲を刈るような格好で叩くことを教えます。「第二軍」には「麦打ち!」という合図とともに、麦を打つように敵兵の陣笠を上から叩くように教えます。

さらに褒美として、槍を取った者には百、陣笠を取った者には二百、相手を生け捕りにした者には五百を与えると言います。藤吉郎の兵は感謝し、士気はいやが上にも高まります。

一方、上島はもし負けたら指南番を辞めなければならないので必死です。上島方の兵は朝早くから夜遅くまで猛稽古を続けますが、とても槍の素人の足軽が三日間で覚えられるものではありません。出来ない者を容赦なく殴ったり叩いたりしたので、上島の評判は悪く上島方の兵の士気は下がる一方です。

3.槍試合の状況と結末

四日目、いよいよ試合の当日、桜の馬場に織田信長が着席し、太鼓の合図とともに試合が始まります。合図とともにきびきびと動く木下軍。上島は藤吉郎が槍術だけでなく教練を教えていることに驚きます。一方、上島方の兵は事前の準備が出来ていないので、号令を掛けても思い通りに動いてくれません。

いよいよ試合です。槍をつかんだ上島方の兵は勢い込んで乗り込んできますが、木下方の兵は逃げ出します。しかし藤吉郎の「止まれ」の号令とともに止まり、「稲刈り!」「麦打ち!」の反転攻勢で、藤吉郎方の一方的勝利に終わります。

敗れた上島が「こんな滅茶苦茶な槍の使い方があるか」と怒りますが、藤吉郎は「勝負であるのなら槍だけを使わず、いかに知恵を使って勝つかが殿への真の御奉公」と平然と答えます。信長は喜び、満足して藤吉郎にたくさんの褒美を与えたということです。