「メモリースポーツ」のストーリーと落語の「頭山」はどちらも奇想天外!

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99人の壁

先日、何気なくテレビを見ていると、「超逆境クイズバトル!!99人の壁」という番組で、「メモリースポーツ」という記憶術の能力を競う競技のチャンピオンが出演し、その一端を披露していました。

記憶術天才少女

1.「メモリースポーツ」

(1)「メモリースポーツ」とは

「メモリースポーツ」とは、「その場で短期記憶した能力を披露し、競う競技」で、「世界記憶力選手権」や「ジャパンオープン記憶力選手権」「記憶力日本選手権大会」もあります。

「世界記憶力選手権」は1991年に、イギリスの著述家で教育コンサルタントのトニー・ブザン(1942年~2019年)とチェスのグランドマスターであるレイモンド・キーンが創設した「人間の記憶技術の向上」をテーマとした世界競技大会です。

これは、東大王クイズなどのように「過去に蓄積した知識の量」や「類推・推理力」を競うものではありません。

(2)日本国内の競技種目とルール

日本国内の「競技種目」と「ルール」(世界記憶力選手権の公式ルールを参考にしたもの)は、次のようになっています。

①「顔と名前」:15分間で記憶し、30分間で解答

②「スピードカード」:5分間で暗記し、10分間で解答

③「無作為の単語」:15分間で暗記し、30分間で解答

④「数字記憶」:5分間で暗記し、10分間で解答

⑤「架空の年表」:100個の架空の出来事とそれに対応する年号を記憶

(3)記憶術のコツ

テレビに出演していた記憶の達人の話を聞くと、記憶術のコツは「場所を作ること」と「奇想天外なストーリーを作ること」で、場所を順番に進んで行き、記憶対象を場所と組み合わせてストーリーを作り鮮明な記憶を実現することのようです。

たとえば「自宅」という場所を想定して、「玄関ドア」→「ソファー」→「テーブル」→「浴槽」という順番を付けます。最初に覚える項目が「ひまわり」と「矢」だとすると、「玄関のドア一面に沢山のひまわりが飾られていて、その中から矢が飛び出す」というストーリーを作るといった具合です。

「石に立つ矢」ということわざがあります。これは「一心を込めて事を行えば、不可能なことはない」というたとえです。石を虎と思って矢を放ったところ、射通したという「韓詩外伝」や「史記・李広伝」に見える故事ですが、奇想天外なストーリーの適例でもあります。

(4)記憶術のいろいろ

記憶術には、大きく分けて「場所法」「物語法」「頭文字法」があります。

「場所法」は、場所(自宅や実際にある場所でも、架空の場所でもよく、体の部位に配置する方法もある)を思い浮かべて、そこに記憶したい対象を置く方法です。「記憶の宮殿」「ジャーニー法」「基礎結合法」とも呼ばれています。

「物語法」は、物語を考え、その話に記憶したい対象を登場させる方法です。

「頭文字法」は、記憶したい対象の頭文字を取り出して覚える方法です。歴史の年号を数字の語呂合わせ(「平安京にウグイス鳴くよ」で794年)で覚えるのもこの方法です。

余談ですが、プロの将棋では対局後に必ず対局を振り返る「感想戦」をします。これは自分と相手が駒をどのように進めたかという「ストーリー」が頭に入っているからこそ出来るのでしょう。

2.落語の「頭山」

「奇想天外なストーリー」と言えば、落語にも「頭山(あたまやま)」(上方落語では「さくらんぼ」)という適例があります。

それは、次のような話です。

気短な(あるいはケチな)男が、サクランボを種ごと食べてしまったことから、種が男の頭から芽を出して大きな桜の木になる。

近所の人たちは、大喜びで男の頭に上って、その頭を「頭山」と名付けて花見で大騒ぎ。男は、頭の上がうるさくて、苛立ちのあまり桜の木を引き抜いてしまい、頭に大穴が開いた。

ところが、この穴に雨水がたまって大きな池になり、近所の人たちが船で魚釣りを始めだす始末。

釣り針をまぶたや鼻に引っ掛けられた男は、怒り心頭に発し、自分で自分の頭の穴に身を投げて死んでしまう。

この「頭山」の原話は、1773年刊行の「坐笑産」の「梅の木」と、同じく1773年刊の「口拍子」の「天窓(あたま)の池」です。

実は海外にも似たような話があります。1786年に出版されたビュルガー原作の小説「ほら吹き男爵の冒険」にもよく似たエピソードが出てきます。ミュンヒハウゼン男爵(1720年~1797年)は実在の人物で、「ホラ話」をして人を楽しませるのが得意だったようです。

主人公のミュンヒハウゼン男爵が狩りに出かけ、大鹿を見つける。あいにく弾丸が切れていたので、代わりにサクランボの種を鉄砲に込めて撃つと、鹿の額に命中したものの逃げられてしまう。

数年後、同じ場所に行ってみると、頭から10フィートばかりの立派な桜桃の木を生やした鹿がいた。男爵はこれを仕留め、上等の鹿肉とサクランボのソースを一緒に手に入れた。

どちらかが真似たのか、あるいは全く無関係に、日本と西洋で同じ頃に同じ発想をする面白い人がいたのか真相はわかりません。

3.林家正蔵のエピソード

林家正蔵

落語家「七代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)」(1894年~1949年)に面白いエピソードがあります。この人は「どうもスイマセン」と頭を掻く仕草で有名な「初代林家三平」(1925年~1980年)の父親で、「九代目林家正蔵」(1962年~ )の祖父です。

ある時、弟子の一人に「後学のために」と誘われてジャズ喫茶を見学したそうです。彼は耳を聾するような喧騒と、ビート族の若い男女が発散する熱気の中で「なんだい、こりゃァ」と渋面を作って端然と座っていました。

その後、彼は「いい勉強になりました」と前置きして次のように語ったそうです。

「ジャズ喫茶にたむろしている連中に聞いてみますとね、みんな落語が好きだってんですな。何が好きだって聞くと、それがねえ、口をそろえて「あたまやま」がすばらしいって云うんです。今の若い人には、ああいうものが受けるんですね。」

「頭山」の奇想天外で、自由な面白い発想が、現代の若者の心にも響いたということでしょう。

私は個人的には、古典落語の「人情噺」にも捨てがたい味があると思うのですが・・・



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