「蝶」を含むことわざ・慣用句・熟語

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胡蝶之夢

前に「蝶にまつわる面白い話」の記事を書きましたが、蝶は私たちにとって最も身近な昆虫のひとつです。

最近は「昆虫採集」があまり流行らないようですが、私が子供の頃は草むらでよくモンシロチョウを追いかけたものです。

また、庭に咲く花々の蜜を吸いにやって来るいろいろなアゲハチョウを見るのも楽しみでした。

ところで、蝶は昔から日本人や中国人には馴染みの深い昆虫ですが、「蝶」を含むことわざ・慣用句・熟語は意外と少ないです。

1.「蝶」が付くことわざ・慣用句

(1)胡蝶の夢(こちょうのゆめ)

「胡蝶の夢」とは、「夢なのか現実なのか、その区別がはっきりしないこと。また人生のはかないことのたとえ」です。

これは、「荘子がある夜、胡蝶となった夢を見て目が覚めた後、自分が夢で胡蝶となったのか、胡蝶が今夢の中で自分になっているのか区別がつかなくなった」という「荘子」斉物論の故事に基づく言葉です。

どちらが真実の姿であるかというのは問題ではなく、胡蝶であるときは栩栩然(くくぜん)(*)として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論じるより、どちらも肯定して受け入れ、それぞれの場で満足して生きればよいと説いているのです。

(*)栩栩然:飛ぶ羽のように、伸び伸びと活発に動き回り嬉しげな様子

この故事は、荘子の「無為自然(逍遥遊)」「万物斉同」の考え方がよく現れていいます。これは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生活ができると彼は説いています。

彼が他の説話において示した「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賤」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、彼はそれを「ただの見せかけに過ぎない」と言っています。

ちなみに「荘子」は古代中国・戦国時代の道家の思想家荘周(荘子)(B.C.369年頃~B.C.286年頃)のことで、その著作も「荘子」と呼びます。

(2)蝶よ花よ

子供を非常に可愛がり大切にするたとえです。主に女児について言います。

用例:蝶よ花よと育てた娘

(3)蝶のように舞い、蜂のように刺す

モハメド・アリ

これはアメリカのプロボクサーモハメド・アリ(1942年~2016年)(旧名:カシアス・クレイ)のボクシングスタイルを形容した表現です。

「蝶のように舞い」とは「軽やかなフットワーク」のことで、「蜂のように刺す」とは「鋭く的確なジャブ」を指しています。

2.「蝶」が付く熟語

(1)初蝶(はつちょう)

その年の春に初めて見る蝶のことです。俳句で「春」の季語です。

(2)唐蝶(からちょう)

揚羽蝶(アゲハチョウ)の異称です。

(3)蝶番(ちょうつがい)

蝶番ドアの蝶番

開き戸や箱のふたなどを自由に開閉するために取り付ける金具です。形が蝶に似ているため、このように呼ばれます。

(4)冬の蝶

冬に蝶を見かけたことがある人は少ないかもしれませんが、モンキチョウや小型の蝶であるシジミチョウ、雑木林に生息するルリタテハなどは成虫で越冬します。「冬の蝶」は「冬」の季語です。

単に「蝶」と言えば、俳句では「春」の季語です。ただし「揚羽蝶(アゲハチョウ)」や「黒揚羽(クロアゲハ)」のような主に夏に現れる大型の蝶は「夏」の季語となっています。

なお、「秋の蝶」という言葉もあります。秋に見られる蝶は、キタテハ(下の画像)・モンキチョウ・秋型のナミアゲハなどがあります。

キタテハ

(5)蝶紋

平清盛の家紋は「丸に揚羽蝶(まるにあげはちょう)」です。平氏一門も「蝶紋」を多用しました。織田信長も「替紋」に「揚羽蝶紋」を使用していました。

「蝶紋」には「揚羽蝶紋」のほかに次のような様々なバリエーションがあります。

蝶の家紋

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