故郷・春の小川・朧月夜・紅葉などの作詞者高野辰之とは?分かりやすく紹介します

フォローする



高野辰之

現代の私たち日本人にとって、「故郷(ふるさと)」「春の小川」「朧月夜(おぼろづきよ)」「紅葉(もみじ)」などの歌は、文部省唱歌・童謡というよりも、「日本人の心の歌」のようになっています。

しかし、これらの歌の作詞者高野辰之についてはあまりよく知られていません。

今回は高野辰之についてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.高野辰之とは

高野辰之(1876年~1947年)は、実家が長野県の豪農の国文学者・作詞家です。

1897年に長野県尋常師範学校を卒業後、1899年に上京して東京帝国大学の上田萬年教授に師事して国文学を学んでいます。

1904年に文部省吏員となり、国定小学読本編纂委員を務めた後、東京帝大講師(日本演劇史)・東京音楽学校教授・大正大学教授を歴任しています。

また1925年、49歳の時に「日本歌謡史」の研究で東京帝大から文学博士号を授与されています。

彼は文部省在職中に「文部省唱歌」を数多く作詞しました。しかし「文部省唱歌」については、編纂委員会の合議で作詞・作曲されたことと、国が作った歌ということを強調するためもあり(著作権は文部省)、当時文部省は作詞者・作曲者に高額の報酬を支払う代わりに名前は一切出さず、作者本人も口外しないという契約を交わしたそうです。

そのため、文部省編「尋常小学唱歌」は当初、作詞者・作曲者の名前が伏せられていました。

2.高野辰之の作品

(1)「故郷」(作曲:岡野貞一)1914年(大正3年)尋常小学唱歌

(2)「春の小川」(作曲:岡野貞一)1912年(明治45年)尋常小学唱歌

(3)「朧月夜」(作曲:岡野貞一)1914年(大正3年)尋常小学唱歌

(4)「紅葉」(作曲:岡野貞一)1911年(明治44年)尋常小学唱歌

(5)「春が来た」(作曲:岡野貞一)1910年(明治43年)尋常小学唱歌

なお、彼はこれらの「小学唱歌」のほかに、多くの「校歌」も作詞しています。

3.歌は人の心をつなぐ

(1)「日本人の愛唱歌」

「日本人の愛唱歌」とも言えるこれらの歌を作詞した高野辰之ですが、もし彼がいなかったら、「日本人の愛唱歌」が出来ただろうかと、私はふと思ったりします。「歴史は個人によって作られる」というのが私の考え方ですが、日本人の心に響くいかにも日本人らしい歌を作ってくれた彼に大いに感謝したいと思います。

(2)外国の曲で日本人の心に響く曲

①アイルランド民謡の「庭の千草

「庭の千草」は、もともとアイルランド民謡「夏の名残りのバラ(The Last Rose of Summer)」(作曲者不詳)で、日本語の歌詞を付けたのは里見義という人です。1884年(明治17年)の文部省「小学唱歌集」に掲載されました。

「文部省唱歌」も、最初の頃はこのような外国の歌を翻訳して作られたものが多いようです。

②イングランド民謡の「埴生の宿

「埴生の宿」は、もともとイングランド民謡「楽しき我が家(Home! Sweet Home!)」で、日本語の歌詞を付けたのは「庭の千草」と同じ里見義です。1889年(明治22年)に東京音楽学校が出版した「中等唱歌集」に収録されました。

竹山道雄の「ビルマの竪琴」では、敵のイギリス兵に囲まれた日本兵が全員で歌った「埴生の宿」がイギリス兵の心を打ち、敵味方双方の合唱へと発展するという感動的で象徴的なシーンがあります。

③スコットランド民謡の「蛍の光

「蛍の光」は、もともとスコットランド民謡「オールドラングサイン(Auld Lang Syne)」(「久しき昔」とも訳されます)で、日本語の歌詞を付けたのは稲垣千頴です。1881年(明治14年)の文部省「小学唱歌集」に掲載されました。

このように、唱歌も明治の初めごろは外国、特にアイルランド・イングランド・スコットランドなどのイギリスの民謡の翻訳が多かったようですが、なぜか日本人の心に響く曲が多いですね。日本もイギリスも「島国」という共通点があるので、心情的に似たところがあるのかも知れません。

④アメリカンポップス

太平洋戦争に敗れた日本では、戦後アメリカのポップスが洪水のように入って来ました。1950年代は、アメリカで発売されるとすぐに「日本語訳の歌」(カバーポップス、和製ポップス)が出来ました。あの頃は多くの日本人が、「アメリカかぶれ」になっていたように思います。

⑤日本の歌謡曲も海外の人の心を打つ

「のどじまんTHEワールド!」のような外国人歌うま選手権の番組が時々あります。それを見ていると、日系人の多いブラジルの人もいますが、インターネットのYouTubeなどを通じて日本の歌を知って興味を持ち、日本が好きになった人が世界中にたくさんいるのに驚かされます。

彼らの好む曲は、新しい歌よりも日本らしいしっとりした美しいメロディーのものが多いように感じます。日本人にしかわからないと思っていた情緒や情感が、歌を通じて外国人にも理解できるのだと分かったのは新しい発見です。