荘子「養生主」の「庖丁解牛」と「肯綮に中る」の話をわかりやすく紹介します

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荘子

荘子(B.C.369年頃~B.C.286年頃)は古代中国の戦国時代の宋に生まれた思想家で、「道教」の始祖の一人とされています。

前に彼の面白い寓話「混沌の徳・鵬程万里・轍鮒の急」をご紹介しましたが、今回は荘子・内篇「養生主(ようせいしゅ)」にある「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」と「肯綮(こうけい)に中(あた)る」の話をご紹介します。

わが国でも貝原益軒が「養生訓」を著して、広く一般庶民に養生の心得を説きましたが、古代中国の荘子も「養生」を説いています。しかし荘子の説くところは、卑近な養生術というよりも哲学的な心構えです。

1.「養生主(ようせいしゅ)」の根本原理

我々人間の生命には限りがあるが、知識や欲望には限りがない。限りある身をもって限りない知識や欲望を追求するのは危険なことである。

それを知りながらもこれに引きずられるのは、ますますもって危険である。だから善を行っても名利に近づかず、悪を行っても刑戮(けいりく)に近づかないことである。

善に偏らず悪に偏らない無心の境地を守って、「自然(ありのまま)にあること」を生活の基本原理とすれば、わが身を保ちわが生を全うし、親に孝養を尽くし、天寿を尽くすことができるというものである。

2.庖丁と文恵君の問答

古代中国の戦国時代の話です。梁(りょう)の「文恵君(ぶんけいくん)」(恵王)のところに、「庖丁(ほうてい)」という料理人がいました。現在わが国で料理用の刃物を「庖丁(ほうちょう)」と呼ぶのは、この人物の名前が転訛したものです。

これはその庖丁と文恵君の問答になっています。

(1)庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)

「庖丁牛を解(と)く」と読み下します。「庖」は料理人のことで、「丁」は人名で、「料理人の丁さん」です。「解牛」は牛を解体することです。

料理人の丁が文恵君のために牛を解体したところ、神業のような見事さで、牛刀の肉を捌(さば)く音が音楽のように響き渡ったという故事に由来する言葉です。

料理人の丁が文恵君のために牛を解体した。彼が牛を解体する時の巧みさは、牛の体に左手を軽く触れ、左肩をそっと寄せ掛ける、その手の触れ方、肩の寄せ方、足の踏まえ方、膝の曲げ方に至るまで、まことに見事この上なく、刀を動かし始めれば、骨と肉とがさくりと離れ、切り放たれた肉塊はばさりと地に落ち、さらに刀を進めればざくりざくりと音を立てて肉がほぐれる。

全てがリズミカルで、いにしえの舞楽である「桑林の舞」や「経首の会」を思わせるほどであった。

文恵君も感嘆して、「ああ立派なものだ。技とはいえ、名人ともなればここまでくるものか」と言った。

(2)肯綮に中る(こうけいにあたる)

すると庖丁は刀を脇に置いて一息しながらこう答えた。

「いえ、私の志すのは「道」で、技以上のものです。もちろん私もはじめて牛を解体した頃は、牛そのものに心を奪われて、なかなか手が付けられませんでした。

しかし3年も経つと牛の全体など少しも気にならなくなりました。今では全く勘を頼りに、目で見なくても立派に捌けます。つまり五官(耳・目・口・鼻・体)の働きがやんで、精神の働きだけによると申せましょう。

ですから、牛の体の自然の理に従って、大きな隙間に刃をふるい、大きな穴に刃を導き、全く無理をしません。今までに一度も刃を肯綮にあてたことはありませんし、ましてや大きな骨に刃をうち当てるようなしくじりなどは思いもよらぬことです。」

「肯綮」の「肯」とは、「骨にまつわりついた肉」のことで、「綮」とは、「筋と骨の入り組んだ場所」のことです。ですから、「肯綮に中る」とは、「事の急所・要所に触れる」という意味になります。

(3)庖丁の名人譚の続き

「腕達者の料理人ともなりますと、時たま刃こぼれを起こす程度なので、年に1本の刀で事足りますが、普通の料理人はよく刃を骨にうち当てて折ってしまうので、毎月1本の刀が必要になります。

私は19年間に数千頭の牛を料理しましたが、刃は研いだばかりのようです。牛の骨節の隙間に厚みのない刃を入れるのでゆとりがあります。ですから刃が痛みません。

しかし私も筋や骨のかたまったところでは、心を集中させ、ゆっくりと刃を動かします。肉が離れると、土の塊がもとの大地に落ちた時のようです。私は牛刀を持って立ち上がり、四方を見渡して満足して牛刀を鞘に納めます。」と言った。

文恵君は「すばらしい!私は養生の道を会得したよ。」と言った。


荘子(内篇) (ちくま学芸文庫) [ 荘子 ]



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