「写本」の意味や歴史とは?豪華な装飾写本文化が中世ヨーロッパで開花!

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平家納経

(平家納経)

印刷」技術が発明されるまで、あるいは印刷技術が伝来するまでは、「本の流布」は「写本」(Manuscript)によって行われていました。

今回は写本の歴史や面白いエピソードなどをご紹介したいと思います。

1.「写本」とは

「写本」とは、手書きで複製された本や文書のことで、またその行為そのものを指す言葉です。仏教の経典の「写経」も写本の一種です。

「原本」(オリジナル)である「正本(しょうほん/せいほん)と対応させて、それを書き写した「書写本」であることを強調するために用いられる場合もあります。

2.日本の「写本」

日本では、木版印刷による商業出版が本格化する江戸時代以前の古文書や記録資料、編纂資料などは多くの写本によって伝えられています。

写本の作成の際に用いられた原本を「底本」と言いますが、底本は必ずしも成立当初の原本ではなく、写本であることも多いようです。

(1)法華義疏(ほっけぎしょ)

「三経義疏」の一つで、法華経に注釈を加えた書です。「日本最古の写本」と言われ、「御物」となっています。

(2)古典の写本

①古事記:室町時代の真福寺本(1371年)が最古で、国宝です。

古事記の最古の写本

②日本書紀:9世紀の写本が最古で、奈良国立博物館に所蔵されており、国宝です。

③万葉集:平安時代中期の桂本が最古級で、金泥・銀泥を施した優美なものです。20巻揃いのものは鎌倉時代後期の西本願寺本が最古です。

④古今和歌集:平安時代中期の高野切が最古です。

源氏物語:藤原定家による写本を基礎とした「青表紙本」と、源光行・源親行親子による「河内本」の二系統が存在します。この二つ以外の写本は「別本」と呼ばれています。

源氏物語の写本

藤原定家が写本した源氏物語は、「藤原定家自筆本源氏物語」(下の画像は「花散里」巻)とか「定家自筆本」などと呼ばれますが、彼は源氏物語以外にも、伊勢物語、土佐日記や更級日記など数多くの写本を残しています。これらの写本は「定家本」と呼ばれています。彼は一つの底本の書写にとどまらず、複数の写本を比較して考察し、校訂を加えることもあったようです。

藤原定家自筆源氏物語

⑥枕草子:三巻本・能因本・堺本・前田本という、共通する本文を多く含みながらも大幅に異なった形態を持つ系統の写本があり、どの系統が原本に近いのか諸説あります。

⑦平家納経:平清盛が厳島神社の奉納した法華経などの経典で、優れた装飾経としても有名で国宝となっています。

⑧辞書(ヅーフ・ハルマ):福沢諭吉が幕末に適塾でオランダ語を学んでいた時のエピソードです。テキストは1冊しかなく、塾生が全て書き写さなければならない上、オランダ語の辞書(ヅーフ・ハルマ)も写本が1冊あるだけなので、大勢で順番に使ったそうです。なお、大名からヅーフ・ハルマの写本の依頼が来ることもあり、塾生のいいアルバイトになっていたそうです。

3.世界の「写本」

(1)手書きで複製された本

活版印刷術がグーテンベルクによって発明される15世紀まで、ヨーロッパの書物は全て手書きの「写本」でした。古くは古代ギリシャ時代から作られています。

素材は時代によって、パピルス、羊皮紙、紙が用いられました。

(2)キリスト教の「聖書」や古典・図鑑の写本

古代ギリシャでは、パピルスへの写本が盛んに行われたようですが、現存していません。プラトンなどの哲学者の著作は、後世に写された写本によって中世にその内容が伝わりました。

キリスト教の発展とともに、「聖書」の写本が盛んに作られるようになります。

その他にも薬草の図鑑や古典など、教養や学問のための写本も作られました。

(3)中世ヨーロッパの写本時代は7世紀~15世紀

7世紀頃から修道院にキリスト教の写本工房が作られ、修道士が聖書や古典の写本を盛んに制作しています。主に羊皮紙に装飾文字や細密画の挿絵とともに描かれ「彩色写本」と呼ばれました。

13世紀末頃からは、修道院に代わって裕福な王侯貴族が豪華な装飾写本文化を作り上げます。

3.珍しい写本や「写本」にまつわる面白いエピソード

(1)「死海写本」(Dead Sea Scrolls)

死海写本の一部

「死海写本」は、現存最古の聖書写本です。紀元前3世紀頃~紀元前1世紀頃に成立したと推定され、内容は旧約聖書(ヘブライ語聖書)とその関連文書です。主に羊皮紙に書かれています。

次に古い聖書の写本は、「ナグ・ハマディ写本」です。西暦350年~400年頃に成立したと見られ、内容は「トマスによる福音書」など新約聖書に関連する文書です。パピルスに書かれています。

(2)「ギガス写本」(Codex Gigas)

ギガス写本

「ギガス写本」とは、13世紀にボヘミア(現在のチェコ)のベネディクト会の修道院で作られた「中世期の現存する最大の写本」です。高さ92cm、幅50cm、厚さ22cmで、重さが75kgもあります。

「三十年戦争」中の1648年にスウェーデンが戦利品として持ち帰り、1649年~2007年までストックホルムの「スウェーデン国立図書館」に保管されていました。2007年9月~2008年1月の間「一時貸与」の形で、プラハの「チェコ国立図書館」で展示されましたが、現在は再び「スウェーデン国立図書館」に戻されています。

全てラテン語で書かれており、「ヴルガータ版聖書」のほか様々な歴史的文書が含まれています。中には大きな悪魔のイラストがあり、その製作にまつわる伝説から「悪魔の聖書」(Devil’s Bible )とも呼ばれています。

その伝説とは次のようなものです。

この写本を書いたのは修道僧としての誓いを破り監禁された修道僧です。この厳しい刑罰に耐えるため、彼は修道院を永遠に讃え全ての人類の知識を集めるべく、「一晩で写本」することを誓います。しかし真夜中になって誓いを守れそうにないことが明らかになり、彼は神ではなく「堕天使ルシファー」に語りかけ、自身の魂と引き換えに本を完成させてほしいと願います。悪魔は写本を完成させ、修道僧は感謝の意を表すために悪魔の絵を追加したそうです。

写本作業を再現してみたところ、完成までに20年以上かかると見積もられたそうです。

(3)「ケルズの書」(The Book of Kells)

美しいケルズの書

中世ヨーロッパでは、豪華な装飾を施した「装飾写本」が盛んに作られ、「写本装飾」は「輝かせるもの」という意味で「イルミネーション」(illumination)と呼ばれました。

アイルランドのケルズ修道院で800年頃に完成された「ケルズの書」は、「世界で最も美しい写本」と呼ばれ、アイルランドの国宝となっています。

(4)「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(Les Très Riches Heures du Duc de Berry)

ベリー公のいとも豪華なる時祷書

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は、15世紀に中世フランス王国の王族ベリー公が時祷書として作らせた装飾写本で、「中世装飾写本の最高峰」と呼ばれています。

(5)中国の写本

敦煌の洞窟で発見された六朝から宋代にかけての仏典などの資料である「敦煌写本」や、徽州で発見された宋代から清代にかけての民間の契約文書類の資料である「徽州文書」などがあります。



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