「小の虫を殺して大の虫を助ける」にまつわる面白い話

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小の虫を殺して大の虫を助ける

前に「思考実験」の一つである「トロッコ問題」の記事を書きましたが、「小の虫を殺して大の虫を助ける」ということわざは、それに似ているようでもありますが、実際問題としては「トリアージ」に近い話です。

1.「小の虫を殺して大の虫を助ける」とは

「小さなものを犠牲にして、大きなものを生かすこと」また「全体を生かすために、一部を切り捨てることのたとえ」です。

「小を捨てて大に就く」「大の虫を生かして小の虫を殺す」も同様の意味です。

英語で言うと次のようになります。

Let a large bug live and kill a small one.

Lose a leg to save one’s life.

Sacrifice something small in order to save something great.

2.「一殺多生(いっせつたしょう/いっさつたしょう)」とは

「小の虫を殺して大の虫を助ける」と似て非なる言葉に「一殺多生」があります。意味は「一人の悪人を犠牲にして、多数の者を救い生かすこと」です。

これは仏教の言葉で、本来仏教において「殺生(せっしょう)」は罪悪ですが、大乗仏教の教典である「瑜伽師地論(ゆがしじろん)」では、菩薩が大盗賊を殺す事例を挙げて功徳を説いています。

「死刑制度の存在理由」のようなものでしょう。

ただ、この言葉は、戦前の日本の右翼団体「血盟団」の指導者井上日召(1886年~1967年)の政治思想として用いられ、1932年2月から3月にかけて「血盟団事件」という連続テロ事件が起き、前大蔵大臣の井上準之助(1869年~1932年)と三井財閥総帥の團琢磨(1858年~1932年)が暗殺されました。

3.寛永三馬術の「筑紫市兵衛(つくしいちべえ)伝」

有名な武芸講談の演目の一つに「寛永三馬術」があります。これは、寛永年間(1624年~1644年)の馬術の名人で、義兄弟の筑紫市兵衛、曲垣(まがき)平九郎、向井蔵人(くらんど)の武芸伝です。いずれも架空の人物です。

馬術の名人筑紫市兵衛は、部屋住みの若殿の命を助けました。若殿は手厚く報いたいと思いましたが、適当な品の持ち合わせがなく、まだ家督を相続していない大名の子には、「恩賞の予約」しかできません。そこで予約の証(あかし)として印籠(いんろう)を市兵衛に預けます。しかし、それすら自分のものではないので、与えることは出来ない不自由な身分です。

不幸はこのことから生じました。大名がその印籠を必要とすることがあって子息に尋ねますが、若殿は答えられません。市兵衛にやったとも貸したとも言えないのです。彼に命を助けられた時の外出そのものが隠し事だったからです。

悪い回り合わせが重なって市兵衛に嫌疑がかかり、捕縛されます。訳を知った市兵衛は甘んじて無実の罪に服します。そして怒りだした部屋頭に、一言だけ老母に伝えて下さいと頼みます。「大の虫を生かすために、小の虫を殺すのだと」

市兵衛は、若殿の名誉を守るために、自分の名誉・自由・生活を殺そうと決心したのです。それが中間(ちゅうげん)に身を落としてはいても、武士であった男の守らねばならぬ真実だと彼は信じたのです。

こういう受忍の義理を、彼は「大の虫を助けるために小の虫を殺すのだ」と表現したのです。「一寸の虫にも五分の魂」に通じる心意気ですね。

市兵衛のように、一つの真実を守り抜こうとする男が、何ら強制されずに自分の意思で己を殺して罪に服するのは、忍苦の美・悲痛な嗜虐的趣味に訴える美があります。

しかし、自分はそんな危険から免れておいて、他人にこのような犠牲的精神を強いるのは言語道断です。そういう意味で、太平洋戦争末期の「神風特攻隊」を発案した大本営の参謀などの罪は大変深いと思います。

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