「オデュッセイア」や「オデュッセウス」と言えば、ホンダの乗用車のオデッセイやキャロウェイゴルフのオデッセイパターを思い出す方も多いかもしれませんが、「トロイア戦争(トロイ戦争)」で「トロイアの木馬(トロイの木馬)」の計を考案した英雄オデュッセウスとはいったいどんな人物だったのでしょうか?
1.オデュッセウスとは
オデュッセウスとは、ギリシャ神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公でもあります。
ラテン語で「ウリクセス(Ulixes)」あるいは「ウリュッセウス(Ulysseus)」とも言い、これが英語の「ユリシーズ(Ulysses)」の原型になっています。
トロイア攻めに参加した他の英雄たちが「腕自慢の豪傑」たちであるのに対し、彼は「頭を使って勝負するタイプの知将」とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれます。
ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として描かれています。
(1)生い立ちからトロイア戦争以前の逸話
イオニア海の小島イタケーで、王ラーエルテースとアンティクレイアとの間に生まれました。父の跡を継いでイタケーの王となり、ペーネロペーと結婚して息子テーレマコスをもうけました。
彼が生まれた時、イタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫の命名を頼まれ、「自分は今まで多くの人に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたそうです。
スパルタ王テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してはギリシャ中から多くの求婚者が集まったため、テュンダレオースは「誰が選ばれても、残りの男たちの恨みを買うだろう」と恐れました。
そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、美女のペーネロペーとの結婚を取り持ってほしいと提案しました。
テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従って「誰が選ばれても、夫となった者が困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いを求婚者たちに結ばせることに成功しました。
結局スパルタ王メネラーオスがヘレネーと結婚することになりました。
そしてオデュッセウスは、テュンダレオースの協力によって無事にペーネロペーと結婚することができました。
(2)トロイア王子パリスのヘレネー略奪事件
オリュンポスで人間の子ペーレウス(テッサリアー地方のプティーア王)とティーターン神族の娘テティスの婚儀が行われた時、この饗宴に争いの女神エリスだけが招待されず、怒った彼女は「最も美しい女神へ」と書かれた「ヘスペリデスの黄金の林檎(不和の林檎)」を神々の座へ投げ入れました。
ちなみに、後に「トロイア戦争」の英雄となるアキレウスは、このペーレウスとテティスとの間に生まれた息子です。
この供物をめぐって、ヘーラー・アテーナー・アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかの判断をトロイアの王子パリスに委ね(パリスの審判)ました。
三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ち、なおかつヘーラーは世界を支配する力を、アテーナーはいかなる戦争にも勝利を得る力を、アプロディーテーは最も美しい女を、それぞれ与える約束をしました。
若いパリスは富や権力よりも愛(美しい女)を選び、アプロディーテーの誘いによってスパルタ王メネラーオスの妃ヘレネーを奪い去りました。
(3)トロイア戦争
ヘレネーがパリスに連れ去られたため、スパルタ王メネラーオスはかつての求婚者たちに、誓いに基づいて彼女の奪還に協力を求めました。
オデュッセウスは「誓いの提案者」であるにもかかわらず、戦への参加を厭い、狂気を装いました。理由は、神託の予言によると「もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になる」ということだったからです。
オデュッセウスは、驢馬と雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔きました。
パラメーデースはアガメムノーンの要請により、オデュッセウスが本当に狂気か確かめようと、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので狂気の偽装は暴露されました。そのためオデュッセウスは、トロイア戦争に参加せざるを得なくなり、故郷から離れざるを得なくなる原因となったパラメーデースを戦争中も憎みました。
オデュッセウスと他のアガメムノーンの使節はスキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようとしました。というのも、アキレウスを欠いてはトロイアは陥落しないと予言されていたからです。
しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしました。というのは、神託で「アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかである」と予言されていたからです。
どちらも今でいう「兵役逃れ」の計略ですね。
しかし、オデュッセウスは、前に立った女性たちの誰がアキレウスなのかを見抜くことに成功しました。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったのに対し、アキレウスだけが武器に興味を示したからです。
さらにオデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるよう鼓舞しました。結局アキレウスもオデュッセウスと同様に、アガメムノーンのらのアカイア勢に参加することになりました。
アキレウスは予言された通り戦死しましたが、最高の勇者に与えられるという「アキレウスの遺された武具」をめぐってオデュッセウスは大アイアースと争い、勝利しました。
(4)「トロイアの木馬(トロイの木馬)」の計
オデュッセウスは「トロイアの木馬(トロイの木馬)」を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打ちました。
この木馬には、ネオプトレモス・メネラーオス・オデュッセウス・ディオメーデース・ピロクテーテース・小アイアースなどの猛将たちが乗り込みました。
木馬の準備が完了すると、アカイア軍は陣営を焼き払って撤退を偽装し、敵を欺くためにシノーンだけを人身御供として残して近くのテネドス島に待避しました。
シノーンはトロイア人に捕まり、拷問を受けましたが、「ギリシャ人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そしてなぜこれほど巨大なのかと言えば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシャ人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導しました。
この計画は、木馬を怪しんだラーオコオーンとカッサンドラーによって見破られそうになりましたが、アカイア勢に味方するポセイドーンが海蛇を送り込んでラーオコオーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなりました。
城門は木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、アテーナーの神殿に奉納しました。その後、トロイア人は市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけました。守衛さえも手薄になっていました。
何だか2019年12月31日に起きた「カルロス・ゴーン被告の保釈条件違反の楽器箱に入っての密出国逃亡」という怪しからぬ出来事を思い出してしまいますね。
市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、計画通り松明でテネドス島のギリシャ勢に合図を送り、彼らを引き入れました。その後ギリシャ勢は、イーリオス市内で暴れ回りました。
酔って眠りこけていたトロイア人たちは、反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまいました。
トロイア王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡しました。
(5)トロイア戦争以後
トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国に凱旋するべく、イタケーを目指して航海を開始しましたが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていました。
彼は本来は北に航路を取るべきでしたが、激しい嵐に見舞われてはるか南のリビアの方へと流されてしまったのです。
①ロートパゴス族
リュビアー(リビア)の西部に住むロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を食べて生活していました。
漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちは、ロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説では花)をもらって食べました。するとロートスがあまりにも美味だったので、それを食べた部下は皆オデュッセウスの命令も望郷の念も忘れて、この土地に住みたいと思うようになりました。
ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなる効能がありました。ロートスの効能もさることながら、部下たちも相当疲れ果てていたのでしょう。
このためオデュッセウスは、嫌がる部下たちを無理やり船までひきずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航しました。
②キュクロープスの島
これはアイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト(1667年~1745年)の「ガリバー旅行記」にある「巨人の島・ブロブディンナグ」を思わせるようなお話です。
オデュッセウス一行が一つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちのよって洞窟に閉じ込められました。
部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取りました。
気を良くしたポリュペーモスがオデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「お前を最後に食べてやろう」と言いました。
ポリュペーモスが酔いつぶれて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰しました。ポリュペーモスが大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まって来ましたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまいました。
オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れました。この時興奮したオデュッセウスがっ本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーン(海神)に祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになりました。
なお、ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって予言されていたということです。
③アイオロスの島
ポセイドーンによって嵐を送り込まれたオデュッセウスは、風の神アイオロスの島であるアイオリア島に漂着しました。
アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを詰めた革袋を与えました。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれました。
西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができましたが、部下は逆風を封じ込めた革袋を開けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまいました。
今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返しました。
④ライストリュゴネス人
風の力を失ったため、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まなければなりませんでした。部下たちが疲れ切ったため、休ませようと近くの島に寄港することにしました。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではありませんでした。
部下たちは入り江の内側に係留しましたが、オデュッセウスは入り江の外側に係留しました。
この島は夜が極端に短く、さらに巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいました。この巨人は、難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物でした。
ライストリュゴネス人は大岩を投げつけて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていきました。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭く手なかなか抜け出せず、もたもたしているうちに大岩を当てられて大破してしまいました。
この島から逃げ切ることができたのは、入り江の外側に係留していたオデュッセウスの船だけでした。
⑤魔女キルケーの住む島
多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島に立ち寄りました。
この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していました。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていました。
偵察に出かけたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かいました。その途中でヘルメースから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草)を授かり、それを飲んでキルケーの館に臨みました。
キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物に変身させようとしましたが、モーリュの効力によって魔法は全て無効化され、動物に変身することはありませんでした。
魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待しました。
疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約1年間この島にとどまることになりました。
一年後、故国イタケーへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意しました。キルケーは悲しみましたが、結局彼らを送り出すことにしました。
その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言しました。また冥界へ行く方法も伝授しました。
⑥テイレシアスの亡霊
キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王ハーデースの館の前で儀式を行い、預言者テイレシアスを召喚しました。
テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、しかしそれを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれました。
オデュッセウスはさらに、母の霊に妻子の消息を尋ねたり、アキレウスやアガメムノーンの霊を出会って幾多の話を聞いたりしました。
その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還しました。キルケーは戻った彼に対し、セイレーンに気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発しました。
⑦セイレーンの歌
これはドイツのライン川の魔女伝説である「ローレライ伝説」とよく似ています。
セイレーンは美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥でした。セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けました。
一人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断しました。
⑧スキュラの海峡
セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には渦潮を起こして船を沈没させるカリュブディスの潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らうスキュラの棲息する海峡かどちらかを選ばなければなりませんでした。
キルケーの助言では、「スキュラを選ぶべき」ということでした。理由としてはカリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまいますが、スキュラなら6人が死ぬだけだからです。
キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになりました。この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできませんでした。
この話は何だか「トロッコ問題」や「トリアージ」(命の選別)の問題とも似ていますね。
⑨ヘリオスの怒り
スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島にたどり着きました。この島では太陽神ヘリオスが家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも危険だから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」と忠告されていました。
しかし部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方なく休息のために上陸することになってしまいました。この時、嵐によって1ヵ月も出航できなくなってしまい、食糧が尽きてしまいました。
空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出し、立派な牛を殺して食べてしまいました。
これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼みました。ゼウスは嵐を呼び、やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕しました。
船は裂け、船員たちは海に投げ出されました。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみつきました。すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃しました。
カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、9日間も海を漂流する運命になりましたが、部下は全員死亡しました。
⑩カリュプソーの島
漂流して10日目に、海の女神カリュプソーの住む島に流れ着きました。そこは故郷からは途方もなく遠い場所でした。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、彼に愛情を注ぎ、7年間オデュッセウスとともに暮らしました。
カリュプソーと愛を育みながらも、オデュッセウスは望郷の思いを捨てきれず、毎日涙を流しました。
これを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるための行動を開始しました。カリュプソーのもとを訪れ、オデュッセウスをイタケーへ帰すように促しました。
オデュッセウスを愛していたカリュプソーは悲しみましたが、オリュンポス(オリンポス)の神々の意思ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送りました。
⑪ポセイドーンの怒り
ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進めるオデュッセウスを認めると、怒りで胸を焦がしました。
息子であるポリュペーモスの眼を潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を起こしてオデュッセウスの船を破壊しました。
大波に吞み込まれたオデュッセウスは死を覚悟しますが、海の女神レウコテアーがこれを哀れみ、着けた者は決して溺死することのない魔法のスカーフを彼に授けました。
オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごしました。ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいきました。
⑫ナウシカアとの出会い
オデュッセウスは浜辺に打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女ナウシカアと出会いました。彼女はオデュッセウスを王宮へと招き入れました。
アテーナーの手引きもあって、パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、競技会や酒宴を開きました。
そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、オデュッセウスは思わず涙を流しました。そしてオデュッセウスは自らの名や身分を明かし、今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めました。
なお、スタジオジブリの宮崎駿監督の作品「風の谷のナウシカ」のナウシカは、このギリシャ神話のパイエケス人の王女ナウシカアに由来します。
⑬帰国
パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することが出ました。故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちはオデュッセウスをすでに亡き者として扱い、彼の領地をさんざん荒らしていました。
オデュッセウスはすぐに正体を明かさず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えました。
ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきましたが、それももう限界だと思い「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせました。
老人に変身していたオデュッセウスはこれを利用して求婚者たちを罰しようと考えました。求婚者たちは矢を射ろうとしますが、あまりにも強い弓だったため、弓を張ることすらできませんでした。
しかし老人に変身したオデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させました。
そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにしました。求婚者たちも武装して対抗しようとしましたが、歯が立ちませんでした。
こうして求婚者たちは死に、その魂はヘルメースに導かれて冥界へと下っていきました。
ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスのことを本物かどうか疑っていましたが、彼がオデュッセウスしか知り得ないことを発言すると、本物だと安心して泣き崩れ、再会を喜びました。
2.オデュッセイアとは
「オデュッセイア」は、「イーリアス」とともに、アオイドス(吟遊詩人)ホメーロスの作として伝承された古代ギリシャの長編叙事詩です。
「イーリアス」が「トロイア戦争の物語(アキレウスの怒りが中心)」であるのに対し、「オデュッセイア」は「トロイア戦争が終わって英雄オデュッセウスが10年にわたる漂流・放浪の末、故国に戻り王位に復するまでの物語」です。
「イーリアス」とともに、「ギリシャ最初の文学作品」として極めて重要です。