太平洋戦争の戦局の転換点となったミッドウェー海戦とは?日本の敗因は何か?

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ミッドウェー海戦

皆さんは「ミッドウェー海戦」をご存知でしょうか?

太平洋戦争で日本が敗北に至るターニングポイント(転換点)となった海戦で、それに続く「ガダルカナル島の戦い」とともに日本が大惨敗を喫した戦いです。

ではなぜ日本が敗れることになったのでしょうか?

今回はこれらについてわかりやすくご紹介したいと思います。

1.ミッドウェー海戦

ミッドウェー島地図ミッドウェー島航空写真

(1)ミッドウェー海戦とは

「ミッドウェー海戦(Battle of Midway)」とは、太平洋戦争中の1942年6月5日から6月7日にかけて、中部太平洋上のアメリカ領ミッドウェー島付近で行われた海戦です。

ちなみに「ミッドウェー島(Midway Atoll)」(「Atoll」は「環礁」のこと)とは、北太平洋のハワイ諸島北西(ハワイ・ホノルル島から約2,000km)にある環礁で、「ミッドウェー諸島」「ミッドウェー環礁」とも呼ばれます。

ミッドウェー海戦の日本軍機ミッドウェー海戦の米軍機

同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ軍が迎え撃つ形で起こりました。日本の新聞は緒戦の勝利を大々的に報じました。

なお、この新聞記事の見出しに「アリューシャン列島猛攻」とあるのは「アッツ島の戦い」のことです。

現在左翼的な傾向の強い朝日新聞が「太平洋の戦局此一戦に決す」という戦意を高揚するような記事を書いているのも興味深いですね。

ミッドウェー海戦の新聞記事

しかし「日本海軍空母機動部隊」と「アメリカ海軍空母機動部隊および同島基地航空部隊」との航空戦の結果、日本海軍は投入した空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)とその艦載機約290機の全てを失いました。

空母エンタープライズ艦上のTBD雷撃機

友永雷撃機の攻撃を受ける空母ヨークタウン米軍機爆撃を受けて逃げる飛龍

「ミッドウェー海戦」は「MI作戦」(*)の一部であり、この敗北で同作戦は中止され、日本の敗北へ至る転換点となりました。

(*)「MI作戦」とは、太平洋戦争中の1942年6月の「ミッドウェー島の攻略と米空母部隊撃滅を目的とした日本海軍の作戦」です。ミッドウェー島の攻略前の空襲作戦で「ミッドウェー海戦」が起き、日本海軍空母機動部隊が壊滅的敗北を喫したため、この作戦は中止されました。

(2)ミッドウェー海戦における日米の戦力・損害比較

<指揮官>

①日本:山本五十六、南雲忠一、近藤信竹、山口多聞

②アメリカ:F・J・フレッチャー、R・A・スプルーアンス

<戦力>

①日本:航空母艦4、戦艦2、重巡洋艦2、軽巡洋艦1、駆逐艦12、艦載機248、水上機16、

乗員・将兵約100,000名

②アメリカ:航空母艦3、重巡洋艦7、軽巡洋艦1、駆逐艦15、艦載機232、水上機1、

基地航空機101、飛行艇31、潜水艦20、ミッドウェー島守備隊3,000名

<損害>

①日本:航空母艦4沈没、重巡洋艦1沈没、重巡洋艦1損傷、駆逐艦1損傷、戦死3,057名

②アメリカ:航空母艦1沈没、駆逐艦1沈没、戦死307名

2.ミッドウェー海戦の経過

(1)第一次攻撃

5月27日午前6時に第一航空艦隊は呉基地の柱島を出撃しました。6月5日午前1時30分ミッドウェーの北西約210カイリ付近に到着し、ミッドウェー攻撃隊108機を発進させ、基地への攻撃を開始しました。

この時点で日本軍は空母で1隻上回り、その他の戦艦や巡洋艦の数でもアメリカ軍を上回っていました。

第一次攻撃隊は、午前3時45分から4時10分にかけてミッドウェー基地施設を爆破・炎上させました。ちょうど同じ午前4時頃、アメリカ軍の航空機による攻撃が第一航空艦隊に対して行われました。

(2)「第二次攻撃ノ要アリ」との報告と南雲司令長官の判断ミス

そして第一次攻撃隊から「第二次攻撃ノ要アリ」との報告がありました。南雲忠一司令長官は、ミッドウェー付近にはアメリカ艦隊がいないものと判断して第二次攻撃を決定し、航空機の装備を「艦艇攻撃用」から「地上攻撃用」に転換を命じました

ちなみに、南雲忠一(なぐもちゅういち)(1887年~1944年)司令長官(最終階級は、死後一階級特進で海軍大将)は、海軍兵学校出身の職業軍人です。第一航空艦隊および第三艦隊(南雲機動部隊)司令長官を務めた後、「サイパンの戦い」で自決しました。

南雲忠一司令長官

(3)アメリカ軍空母の発見で航空機装備の再転換

ところが、午前4時28分に「索敵機」(空母の周りを偵察する航空機)から、「敵ラシキモノ10隻見ユ」との報告が届きます。

南雲司令官は、アメリカ艦隊が近くに存在することは確実であり、空母も含まれると判断し、午前4時45分に第二次攻撃をとりやめ、航空機の装備を艦船攻撃用に再度転換を命じました。

午前5時20分になって、索敵機は「 敵ハ其ノ後方ニ母艦ラシキモノ一隻ヲ伴フ」と報告してきましたので、アメリカ軍空母の存在は確実になりました。

しかしアメリカ軍航空機の断続的攻撃はやまず、日本軍攻撃隊航空機の兵装転換作業も完了しない状況の中で、第一次攻撃隊が空母に戻り始めてきました。

(4)司令部のジレンマ

ここで司令部は大きなジレンマに直面しました。

アメリカ軍空母に対する攻撃隊の発進を急ぐために、それらの飛行機を甲板上に並べれば、第一次攻撃隊の着艦が遅れて、燃料不足で不時着する者が出てきます。

だからといって、第一次攻撃隊を収容してから第二次攻撃隊を準備すれば、その発進は著しく遅れることになります。

司令部は結局「後者の道を選択しました。午前6時5分に艦隊に対し「攻撃隊収容後、敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」と命令しました。

(5)「運命の5分間」で空母3隻を失う

攻撃隊航空機も兵装転換を終え、午前7時半から8時頃には発進可能と報告しました。

しかし、その発進直前の7時25分に「蒼龍」がアメリカ軍12機の攻撃を受けて3弾命中、26分に「赤城」が3機の攻撃を受けて2弾命中、30分に「加賀」が9機の攻撃を受けて4弾命中し、いずれも大火災となりました。

この結果、第一航空艦隊は5分間で空母4隻中3隻を失いました

(6)最後の空母「飛龍」も炎上

その後、唯一無傷で生き残った「飛龍」が引き続き戦闘を続けましたが、午後2時5分にアメリカ軍の攻撃を受けて炎上し、飛行甲板が使用不能となりました。

ここに日本軍空母全部が戦闘不能になって、事実上作戦能力を失うに至り、ミッドウェー海戦の勝敗はここに決しました。

3.日本の敗因

1941年12月の「真珠湾攻撃」から連戦連勝を重ねた日本海軍は、山本五十六率いる「戦艦大和」をはじめ、主力部隊で臨みました。対するアメリカは寄せ集めの部隊で、整備員など人員も不足していました。

しかし日本が大惨敗を喫した原因としては、次のようなことが考えられます。

(1)アメリカ軍が「暗号解読」していたこと

戦力だけを見ると日本が優位に見えましたが、アメリカは「暗号解読」という技術で立ち向かいました。そして無線を傍受し、攻撃を事前に把握して迎撃準備を整えていたのです。

(2)作戦の目的が曖昧だったこと

主な目的が、「敵の空母を攻撃すること」なのか、「ミッドウェー島(のアメリカ軍基地)を攻略すること」なのかが明確にされておらず、このことが現場に大きな混乱を招きました。

(3)日本軍内部での連絡・連携が不十分だったこと

決定的なミスの一つが連合艦隊司令長官の山本五十六の判断ミスです。アメリカ海軍の動きが極めて活発になり、敵の空母がミッドウェー方面に出てきたことなど重要な情報を機動部隊に知らせず、敵の空母を発見した際も直ちに攻撃命令を下さなかったことです。

(4)希望的観測に基づいた作戦シナリオ

さらに作戦は、希望的観測に基づいたシナリオで、燃料の補給なども軽視していました。また上に述べたように、開戦前からアメリカ側に暗号を解読されていて、攻撃日時、戦力の配備などが筒抜けで、対策を取られてしまったのです。

連合艦隊司令長官の山本五十六は、この海戦で勝利した後ハワイを攻略し、その後講和に持ち込みたいと考えていました。

しかし、もし仮に日米の早期講和が実現したとしても、日露戦争終結時の講和よりも条件を緩和しなければならなかったでしょうし、講和交渉が決裂して再び戦争になる可能性もありました。

山本五十六の対アメリカ作戦構想は、「物量的に劣勢な日本海軍がアメリカ海軍に対して優位に立つには、多少の危険を冒しても、奇襲によって積極的な作戦を行い、その後も攻勢を維持して相手を守勢に追い込み、短期決戦で相手の戦意を喪失させるしかない」というものでした。

(5)指揮官の判断ミス「運命の5分間」

急降下爆撃を受けて炎上する空母飛龍

日本の空母3隻がアメリカ軍から急降下爆撃を受けた際、まさに日本の空母からも魚雷を積んだ攻撃機が飛び立とうとしていました。

「あと5分あれば攻撃機は発進でき、日本の空母が攻撃されることはなかっただろう」とのことです。これは当時第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介が1949年に発表した文章で広まった説です。

【ミッドウェー海戦】映像と解説 / 暗号解析と運命の5分間 – 第二次世界大戦 太平洋戦争



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