「運慶」と「快慶」にまつわる面白い話

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東大寺南大門金剛力士像

「運慶」と「快慶」と言えば、「東大寺の金剛力士像」が有名ですね。

1.金剛力士とは

「金剛力士」とは、仏教の護法善神(守護神)の一つで、サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ)(仏敵を退散させる武器)を持つ者」を意味します。

開口の「阿形(あぎょう)像」と口を結んだ「吽形(うんぎょう)像」の二体を一対として、寺院の表門などに置かれることが多く、一般に「仁王」(二王)の名で親しまれています。

東大寺・金剛力士像開眼法要

2.「東大寺の金剛力士像」の作者

1203年に安置された「東大寺の金剛力士像」の作者は、従来、阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心となって作ったとされてきました。

しかし1988年から1993年にかけてこの仁王像が解体修理された際に、像内に納入された文書が発見され、作者が判明しています。

阿形像:大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて製作

吽形像:大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に製作

3.「運慶」と「快慶」との関係

運慶(?~1224年)と快慶(生没年不詳)との関係は、どのようなものだったのでしょうか?師匠と弟子の関係だったのでしょうか?

運慶は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての仏師で、康慶の子です。慶派の中心的仏師として活躍しました。豪放な力強さと写実に特色があり、鎌倉新様式を築きました。作品には東大寺南大門の金剛力士像のほか、興福寺北円堂の無著像・世親像などがあります。

一方、快慶は、鎌倉時代前期の仏師で号は安阿弥(あんなみ)、運慶の父康慶の弟子と言われています。作風は運慶の剛健な表現と異なり、安阿弥様(よう)と呼ばれる理知的で流麗な形式美を見せ、後世の仏像様式に大きな影響を与えました。

作品には浄土寺阿弥陀三尊像、東大寺僧形八幡神像、東大寺南大門の金剛力士像のほか、多数の阿弥陀如来立像があります。

このように、運慶と快慶は直接の師弟関係はなかったものの、慶派の仏師として、共同製作にも当たったようですが、作風が根本的に違います。

快慶にとって、運慶は師匠の息子ですから、いろいろ気を使ったり遠慮するところがあったと思われます。

運慶は、後輩の快慶の才能に恐れを抱き、嫉妬していた面もあるようです。これは、松本清張の短編小説「小説日本芸潭」から仕入れた知識に基づく私の想像です。



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