日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』(その4)

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尋常小學唱歌 第四學年

前に「欧米の民謡をカバーした明治時代初期の翻訳唱歌。原曲の外国民謡とは?」という記事を書きましたが、1910年(明治43年)には、日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』が誕生しており、現代でも有名な唱歌が数多く掲載されています。

1.日本独自の唱歌誕生は明治末期

1911年(明治44年)から1914年(大正3年)にかけて文部省が編纂した『尋常小学唱歌』には、『春が来た』、『春の小川』、『かたつむり』など、現代でも広く知られる日本の代表的な唱歌が掲載されています。

『尋常小学唱歌』の特徴としては、それまで主流だった「翻訳唱歌」から脱却し、日本人の作曲家による日本独自のメロディと歌詞が用いられている点が挙げられます。

内容的には、1910年(明治43年)に発行された「尋常小学読本唱歌」がそのまま引き継がれており、第一学年用から第六学年用までの全6冊、各20曲で合計120曲が収録されています。

ちなみに、「文部省唱歌」という用語は、この『尋常小学読本唱歌』以降の唱歌を指します。「小学唱歌集」などの「翻訳唱歌」は「文部省唱歌」には含まれません。

2.尋常小学唱歌 第四学年

(1)春の小川

春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に

『春の小川』は、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる日本の童謡・唱歌です。1912年(大正元年)12月の「尋常小学唱歌」第四学年用に掲載されました。

高野辰之が当時住んでいた東京府豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木)周辺を流れる河骨川の情景を歌ったものとされています。

(2)いなかの四季

道をはさんで 畠一面に 麦はほが出る 菜は花盛り

「道をはさんで 畠一面に」が歌いだしの『いなかの四季(田舎の四季)』は、1912年(大正元年)12月発行の音楽教科書「尋常小学唱歌」に掲載された文部省唱歌です。

歌詞では、日本の農家で行われる養蚕や田植え・稲刈り・年越しなど春夏秋冬の田舎(いなか)の風景が描写されています。

作詞者は、愛媛県出身の教員・堀沢周安(ほりさわ ちかやす)。愛媛県大洲市(おおずし)の旧制大洲中学校で教壇に立っていた縁から、市内の冨士山(とみすやま)公園には『いなかの四季』の歌碑が建立されています。

作曲者については不明ですが、大阪の箏曲家・楯山登(たてやま・のぼる)とする説があるようです。

(3)村の鍛冶屋

鞴(ふいご)の風さへ 息をもつがず 仕事に精出す 村の鍛冶屋

「しばしも休まず 槌(つち)うつ響き」が歌い出しの童謡『村の鍛冶屋(かじや)』は、1912年刊行「尋常小学唱歌」で発表された文部省唱歌です。作詞・作曲者は不明。

日本における「鍛冶屋」と言えば、武士の時代に武器の生産をしていた刀鍛冶・鉄砲鍛冶が思い浮かびますが、この童謡・唱歌『村の鍛冶屋(かじや)』では、料理道具や農具を扱ういわゆる「野鍛冶」を題材としています。

1912年に文部省唱歌として出版された当時の3番の歌詞を見ると、「刀はうたねど大鎌小鎌、馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)鋤(すき)よ鉈よ」とあり、刀ではなく「平和の打ち物」を打つ「野鍛冶」の歌であることがよく分かります。

文部省唱歌『村の鍛冶屋』3番以降はその後歌われなくなり、昭和22年にはひらがな表記の童謡「村のかじや」に改められました。改訂後の2番の歌詞「うち出す鋤鍬 心こもる」の部分に「野鍛冶」を示す表現が残されています。


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