「石の地蔵さん」にまつわる面白い話。赤いよだれ掛けの由来なども紹介

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石の地蔵さん

1.石の地蔵さん

(1)地蔵菩薩が由来

地蔵さんは正式には「地蔵菩薩」で仏教の信仰対象である「菩薩」の一つです。私は個人的には「宗教」は信じない立場ですが、古来からの民衆信仰としての「地蔵信仰」と地蔵さんには「子供を優しく見守るお地蔵さん」というイメージがあり親近感を覚えます。

サンスクリット語では「クシティ・ガルバ」と言い、「大地の母胎」という意味です。大地が全ての生命を育む力を持つように、苦悩する民衆を無限の慈悲心で包み込んで救ってくれるというわけです。

妊婦の安産を守るという「子安地蔵」、水子を供養する「水子地蔵」、災難に遭った人の苦しみを身代わりになって引き受けてくれる「身代わり地蔵」というのもあります。村の境界や道の辻を守る「道祖神」も地蔵と似たようなものだと思います。

また珍しいお地蔵さんとしては兵庫県宝塚市に「首地蔵」という頭部だけの地蔵もあります。これは殿様の頭痛が治った時、夢にお地蔵さんが出て来たので、首だけの地蔵を作らせたという説と、琵琶湖から小浜まで首だけの地蔵が流れ着いたからという説があります。「首地蔵」は首から上にご利益があるということで、「頭がよくなるように」という連想からか受験生がお参りに来るようです。

首地蔵

余談ですが、日本各地に「首無し地蔵」というのが残っています。しかしこれは明治時代初期の「廃仏毀釈運動」によって破壊されたお地蔵さんです。

首なし地蔵

(2)赤いよだれ掛けの由来

寺の参道や田舎の道端・辻などに、赤いよだれ掛けをした石のお地蔵さんが置かれていることがあります。

江戸時代、「賽(さい)の河原」の物語が、庶民の間で流行しました。これは、「幼くして死んだ子供が、父母が恋しくて三途(さんず)の川の河原に小石を積み、父母を供養するために塔を作る。しかし、積んでも積んでも、鬼が崩していく」という悲しい物語です。

この物語と地蔵信仰が結びついて、幼くして子供を亡くした親たちの間で、「お地蔵様なら、我が子の不幸せを救ってくれるだろう。それに縋ろう」という考え方が生まれたのです。

そこから、地蔵菩薩は、安産や子育てなど、子供を守ることに縁の深い仏として親しまれるようになり、親たちは、自分の子供が使ったものを地蔵菩薩に身につけてもらい、我が子を見守ってもらおうと願ったわけです。

その習慣から、現在でもお地蔵さんは、赤いよだれ掛けや赤い毛糸の頭巾などを付けていることが多いのです。

2.地蔵盆

私が子供の頃は、町内会(自治会)で「地蔵盆」(私たちは「お地蔵さん」と呼んでいました)が8月23日~24日の2日間にわたって盛大に行われ、他の町内からも子供たちが「お供え物のお下がり」のお菓子や果物を目当てにたくさん集まって来て賑やかなものでした。24日の夜7時頃には大人たちが揃って「ご詠歌」を唱えていました。

現在は少子化の影響もあり、また戦前生まれの人が少なくなったこともあって「地蔵盆」が廃れた地域は多いと思いますが、「地蔵尊」の多くは今も大切に守られています。

3.個人や会社で地蔵さんを祀っている例

私の住んでいる町にも、個人や会社で地蔵さんを祀っているところがあります。

個人の例は、町内を流れている小川に石の地蔵さんが流れて来たので祀るようになったそうです。多分明治時代の頃の話だと思います。

会社の例は、土地の区画整理をしていた時に土を掘り返すと石の地蔵さんが出てきたので祀るようになったそうです。

これらはいずれも明治時代初めの「廃仏毀釈運動」の結果かも知れません。

4.「菩薩」と「如来」の違い

余談ですが、「地蔵」のほか、「観音」や「弥勒」「文殊」は「菩薩」です。これに対して「阿弥陀」や「釈迦」は「如来」です。

両者はどう違うのでしょうか?

(1)身分の違い

「如来」は「悟りを開いた人(仏陀ブッダ)」であるのに対し、「菩薩」は「悟りを開くに至っていない修行中の身」です。

「如来」の原語はサンスクリットの「タターガタ」という言葉で、「そのように行きし者」「あのように立派な行いをした人」という語義で、「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味していましたが、「如来」という漢訳表現には、「人々を救うためにかくの如く来たりし者」という後世の大乗仏教的な見解が潜んでいます。

「菩薩」の原語はサンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」という言葉で、これを音写した「菩提薩埵(ぼだいさった)の略です。悟り(菩提)を求める衆生(薩埵)という意味です。

「菩薩」は修行中の身とは言っても、人間の修行僧と同じではなく、「来世では如来になることが既に決まっている」そうで、だからこそ「如来」と同じく人間の救済を行っているというわけです。

(2)外観の違い

如来の外観

「如来」のモデルは、釈迦が悟りを開いた姿と言われています。

奈良の大仏

「螺髪」は如来にしかない特徴なので、如来は見た目で簡単にわかります。

①螺髪(らほつ)

髪の毛が細かくカールされています。パンチパーマのようですね。

②肉髷(にっけい)

知恵が発達しすぎて頭の肉が盛り上がっているものです。これは菩薩にも見受けられますが、はっきりとした肉髷があるのは如来だけです。悟りを開くと頭が盛り上がると言われています。

③白毫(びゃくごう)

長い白い毛の丸いまとまり(右巻き)のことです。これは菩薩にも見受けられます。

5.歌謡曲

歌謡曲でも「地蔵さん」の歌がいくつもありました。曽根史郎の「夕焼け地蔵さん」、三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」、島倉千代子の「さよなら地蔵さん」、美空ひばりの「花笠道中」などが思い浮かびます。

「花笠道中」はタイトルに「地蔵」はありませんが、「これこれ石の地蔵さん・・・」で始まる歌です。ある人が調べたところによると、昭和30年代に「地蔵さん」の歌は13曲も出たそうです。

「地蔵さん」が身近だったこともあり、三橋美智也の歌のヒットにあやかるように「地蔵さん」の歌が続々と作られたようです。

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