鎮魂歌・レクイエムの楽曲。長崎の鐘・真白き富士の根・ひとつ・防人の詩など

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レクイエムと鎮魂歌

「鎮魂歌」と言えば、私は真っ先に「長崎の鐘」が思い浮かびます。また「レクイエム」と言えば、モーツァルトの「レクイエム」が有名ですね。

そこで今回は、「鎮魂歌」と「レクイエム」の違いを説明するとともに、代表的な鎮魂歌・レクイエムをご紹介します。

1.「鎮魂歌」と「レクイエム」の違い

(1)「鎮魂歌」とは

霊を慰めて、魂を鎮めるために歌われるのが「鎮魂歌」であり、苦しまないようにする気持ちを込めて歌うものです。

カトリック教会では暴れだす霊の気持ちを抑えるためにも歌われているものであり、穏やかな曲調は聴く人の心も落ち着かせます。

家族と別れて哀しい気持ちでいる霊や、つらいと感じていつまでもあの世へ行けずにこの世をのたうち回りさまよう死者に、いくらか穏やかな気持ちにさせるためにも歌で慰めてあげようという気持ちが込められているわけです。

殺人、テロ、紛争など理不尽なことで亡くなってしまった死者の霊魂に呼びかけるような歌により、残された人や讃美歌を担当する合唱隊が歌うわけです。

(2)「レクイエム」とは

死者を安らかに眠らせ、あの世へと無事に行けますようにと神様に祈る意味も込めて歌うのが「レクイエム」(ラテン語: Requiem)であり、ラテン語では古くから「安息を」という意味で認知されている言葉です。

カトリック教会では眠る死者が静かに墓で眠りにつけるよう心を込めてミサを捧げつつ家族や友人、恋人など愛する人の死を慈しみ、いかに自分が哀しい気持ちでいるかを伝えるわけです。

「葬送曲」としても使われており、ヴェルディやモーツアルトなど名だたる作曲家がラテン語のテクストに曲をつけて「死者のためのミサ曲」(死者ミサ曲)を作りました。

とくに、災害や不慮の事故で突然命を絶たれた人に対して作曲したものを「レクイエム」と言います。

(3)「鎮魂歌」と「レクイエム」の違い

カトリック教会のミサで歌われる「レクイエム」は、死者に安息を与えるために捧げる聖歌であり、美しい声と音とともに神へと捧げられます。

「鎮魂歌」は宗教に関係なく、不慮の死を遂げただけに怒りを持って成仏できずにいる気の毒な死者の魂を慰め、天国へ行ってほしいと思う意味を込めて歌うという違いがあります。

しかし、残された人は愛する者を急に失った悲しみと怒りで取り乱した状態でありますので、その生き残った人の気持ちを穏やかにするという意味でも「鎮魂歌」を歌うわけです。

2.「鎮魂歌」・「レクイエム」の楽曲

(1)長崎の鐘

『長崎の鐘』は、作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而による1949年(昭和24年)リリースの歌謡曲(歌:藤山一郎)です。

歌詞は、医師・永井隆の随筆「長崎の鐘」をモチーフとして、サトウハチローが作詞しました。廃墟となった浦上天主堂の鐘楼「アンジェラスの鐘」は、現在も終戦当時のまま現地で保存されています。

サトウハチローの詞には、原爆を直接描写した部分は全くありません。これは当時の占領軍(GHQ)の検閲をはばかったものと思われます。これは単に長崎だけではなく、戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂歌であり、打ちひしがれた人々のために再起を願った詞です。なお、サトウの弟(節)も広島の原爆の犠牲者となっています。

2020年のNHK朝ドラマ「エール」では、古関裕而をモデルとする主人公が永井医師を訪ねるシーンがありますが、実際には古関裕而は永井医師に会わずに『長崎の鐘』を作曲しています。

なお、古関裕而については「朝ドラ『エール』のモデル・古関裕而の戦時中の軍国歌謡と戦後の大変身」という記事に詳しく書いていますので、ご一読ください。

長崎の鐘 / 藤山一郎 昭和48年紅白歌合戦より

最初に歌った藤山一郎も聞きごたえがありますが、次にご紹介する鶫真衣さんの歌も心が癒される歌声です。

なお、彼女については「女性自衛官の鶫真衣(つぐみまい)の歌声には癒しの力があり、元気が出る!」という記事に詳しく書いていますので、ご一読ください。

【コロナに負けるな!】第6弾 中部方面音楽隊「長崎の鐘(鶫真衣)」いまこそ音楽の力で心をひとつに『終戦75年追悼』

(2)真白き富士の根

『真白き富士の根(ましろきふじのね)』は、、神奈川県鎌倉市七里ヶ浜(しちりがはま)で1910年に発生したボート転覆事故(逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し、全員死亡した事故)の鎮魂歌として同年に発表された歌謡曲です。

「真白き富士の嶺」、「七里ヶ浜の哀歌」 とも呼ばれます。1935年、1954年にはこの事件を題材にした同名の映画にもなりました。

メロディの原曲は、アメリカの讃美歌『Garden Hymn(The Lord into His Garden Comes)』です。

12人の生徒が事故の犠牲となった逗子開成中学校の系列校である鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師だった三角錫子(みすみ・すずこ)(1872年~1921年)が作詞を行いました。

真白き富士の根 鎮魂歌を歌う緑咲香澄

(3)暁の鎮魂歌

『暁の鎮魂歌(あかつきのレクイエム)』はテレビアニメ『進撃の巨人Season3』のエンディングテーマ曲です。

「毎話誰かが死んでゆく『進撃の巨人』のストーリーに対して、それぞれの死に寄り添えるような楽曲」を目指し、「レクイエム」という形になったそうです。

【MAD・AMV】進撃の巨人 × 暁の鎮魂歌 歌詞付き ~Attack on Titan~

(4)長渕剛の「ひとつ」

長渕剛は、2011年12月31日放送の『第62回NHK紅白歌合戦』で東日本大震災の被災地石巻市から中継出演し、この『ひとつ』を歌唱しました。

この曲は東日本大震災の被災者への鎮魂歌でもあります。

東北から歌うための曲として彼は、祈りと鎮魂の思いを込めた新曲『ひとつ』を書き下ろしました。「震災で亡くなった方々の無念さ、残された者たちの悲しみとか不安、それらを紡いだ祈りの歌がほしいと思いました。どういう言葉で紡ごうかなと思って難儀しましたが、何となく今回は自分が書いたのではなく、誰かによって書かされたかのような不思議な思いでした」と明かした彼は「ひとつになって ずっといっしょに 共に生きる」――復興に向けた力強い決意表明を歌詞に込めました。

長渕剛/ひとつ (2012年)

(5)さだまさしの「防人の詩」

『防人の詩』(さきもりのうた)は、1980年にリリースされたさだまさしの12枚目のシングルで、映画『二百三高地』の主題歌です。

これは生きとし生けるものへの命の鎮魂歌・挽歌だと思います。

歌詞は『万葉集』第16巻第3852番(*)に基づいて作られています。

(*)「鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼」

読み:いさなとり うみやしにする やまやしにする しぬれこそ うみはしほひて やまはかれすれ

意味:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。

『二百三高地』が戦争肯定映画であると解釈されたこともあり、主題歌を作ったさだも「右翼」と批判されました。

さだは前年に「関白宣言」で「女性蔑視」だとバッシングされていたことから度重なる批判に落ち込んでいましたが、文芸評論家の山本健吉(1907年~1988年)は「挽歌」(*)を引き合いに出し、「いなくなった人を歌うのは、日本の詩歌の伝統であって真髄である」「日本の詩歌の本道をちゃんととらえている」と擁護しました。

(*)「挽歌(ばんか)」は、葬送のとき、柩 (ひつぎ) を載せた車をひく人たちがうたう歌。また、人の死を悼んで作る詩歌(哀悼歌)。

万葉集では、「雑歌 (ぞうか)」 「相聞 (そうもん) 」とともに三大部立ての一つです。辞世や人の死に関するものなどを含み、古今集以後の哀傷歌にあたります。

防人の詩/さだまさし(3333 in 武道館)

3.「レクイエム」の楽曲

モーツァルト・ヴェルディ・フォーレのレクイエムは「三大レクイエム」と呼ばれています。

これにケルビーニのレクイエムを加えて、「四大レクイエム」と呼ばれることもあります。

モーツァルト(1756年~1791年)は誰もが知っているオーストリアの天才作曲家です。この『レクイエム ニ短調』はモーツァルト最後の作品であり、彼の死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成されました。

モーツァルトの死後、未亡人コンスタンツェと再婚したゲオルク・ニコラウス・ニッセンの著したモーツァルト伝などにより、彼は「死の世界からの使者」の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布しました。当時、依頼者が公になっていなかったことに加え、ロレンツォ・ダ・ポンテに宛てたとされる有名な書簡において、彼が死をいかに身近に感じているかを語り、「灰色の服を着た使者」に催促されて自分自身のためにレクイエムを作曲していると書いているのです。いかにも夭折した天才にふさわしいエピソードとして長らく語られてきました。

しかし1964年になってこの匿名の依頼者がウィーンのフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープ という人物であることが明らかになりました。ヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家であり、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていたのです。彼が1791年2月に若くして亡くなった妻アンナの追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させたというのが真相でした。

ヴェルディ(1813年~1901年)は、「オペラ王」の異名を持つイタリアの作曲家で、「椿姫」「アイーダ」「オテロ」などで有名です。彼は1873年に、亡くなった尊敬する小説家であり詩人であったアレッサンドロ・マンゾーニを讃える『レクイエム』を作曲しました。

フォーレ(1845年~1924年)はフランスの作曲家です。父親の死後に作曲された『レクイエム ニ短調』は彼の代表作の一つです。彼は肺炎のためパリで死去しましたが、マドレーヌ教会で『レクイエム』の演奏される中、国葬が行われました。

ケルビーニ(1760年~1842年)はイタリア出身ですがフランスで活動した作曲家です。ルイ16世の処刑を悼んで作曲された『レクイエム ハ短調』(1816年)は、非常に大きな成功をおさめました。この作品はベートーヴェンだけでなく、シューマンやブラームスにも絶賛されています。ドイツの指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューローはこの作品を「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価しています。

モーツァルト: レクイエム:「キリエ」[ナクソス・クラシック・キュレーション #切ない]
リッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団2019年日本公演 ヴェルディ『レクイエム』
フォーレ:レクイエム ニ短調より「アニュス・デイ」
L.ケルビーニ作曲 「レクイエム・ハ短調」より Pie Jesu



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